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北海道家庭学校 その3 大町桂月

北海道家庭学校敷地内には大町桂月の歌碑が建っています。


大町桂月

 大町おおまち桂月けいげつ(1869 - 1925)は、高知県に生まれた詩人、歌人、随筆家であり、北海道各地を訪れその魅力を紀行文に記したことでも知られています。彼はまた、北海道の層雲峡や羽衣の滝、さらには龍宮街道(サロマ湖湧別側の砂州)の名付け親でもあります。
 桂月は1921年(大正10)8月に大雪山を縦走した後、9月5日に家庭学校を訪れました。

家庭学校での創作

 桂月が家庭学校を訪問したのは、開校7年目の年です。家庭学校の自然、少年たちの生活にふれ、少なくても8首の歌を創作したことがわかっています。

 ・あなたふと 平和の山に わき出でて 人の命を すくふ真清水
 ・礼拝の 堂にとどかぬ 夏木立
 ・朽木たく 子供四五人 百合の花

 ・師の家と 宿舎の間 花壇哉
 ・牛眠り 豚くひ馬なく 夏木立
 ・とりたての 野菜の味や 樹下の庵
 ・蝦夷菊や 谷の清水の ちょろちょろと
 ・半分は はげても青し 平和山

歌碑

 今、北海道家庭学校の診療所として利用される「樹下庵」と呼ぶ建物の向かい近くに湧き出ている「命の泉」のほとりに、桂月の歌った和歌が刻まれた、歴史を感じさせる古い碑がエゾマツに囲まれて建っています。

大町桂月歌碑
人道1919年(大正8)11月15日発行より
1922年(大正11年)7月16日撮影と思われる命の泉
「人道」大正11年8月15日発行より

あなたふと 平和の山に わき出でて
          人の命を すくふ真清水
(平和山から湧き出て人の命をすくう水は、とても尊い)

礼拝堂

 北海道家庭学校は「森の学校」と呼ばれています。森の中には大きな礼拝堂があります。礼拝堂が建つ小高い丘を「望の岡」と言います。留岡幸助氏が「望を抱いて勉強し、よい人となるように」との願いを込めて名付けました。その丘には、家庭学校の山林から掘り出したり伐り出した軟石や木材を利用して建設した礼拝堂が建っています。礼拝堂が建設されたのは、北海道家庭学校開設5年目の大正8年(1919)のことです。
 この礼拝堂は2015年(平成27)に北海道指定有形文化財となりました。

北海道家庭学校礼拝堂

礼拝の 堂にとどかぬ 夏木立 

 今はうっそうと茂る木立が礼拝堂を見下ろしていますが桂月が訪れた大正10年の礼拝堂の周辺は、今ほど大きく育っていなかったのでしょう。

人道1919年(大正8)11月15日発行より
1922年(大正11年)7月16日撮影と思われる礼拝堂
「人道」大正11年8月15日発行より

桂月の日記

 桂月の日記には「樹下庵」「礼拝堂」「畜舎」「掬泉館の博物館」「恵の谷」「命の泉」「望の岡」「楽山庵」「紅葉庵」「独想庵」「掬泉寮」「石上館」「平和の山」「五日山」「緑山」等の語句が記されています。

1922年(大正11年)7月16日撮影と思われる恵の谷
「人道」大正11年8月15日発行より

参考資料 
・北見市史編さんニュース「ヌプンケシ」258号 259号

・北海道家庭学校公式HP 


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