1925年(大正14)2月6日の大町桂月の日記には「◎北海道品川義介 熊肉一斤」と記されています。熊肉が600g届いたということが記されているのです。
品川義介
白雲荘
品川義介(1889-1982)は山口県出身の社会教育家・文筆家です。1914年(大正3)に開校した初期の北海道家庭学校に勤務し(1916-1925)、掬泉寮の寮長を務めました。その後、札幌琴似の「白雲荘」で救護事業・社会教育活動を行いました。
サナブチ平野の春を竢ちて
留岡幸助が編集発刊していた「人道」に品川義介の文が最初に掲載されるのは、義介が家庭学校への勤務2年目、1918年(大7)2月号です。
開校4年目の家庭学校の様子が垣間見えます。
・粛啓 : 手紙の初めに書く、あいさつ語。つつしんで申し上げますの意。
・吉田松蔭(1830-1859) は小塚原回向院に埋葬され、その後世田谷若林に改葬され、現在の松陰神社となった。
・慚愧 : 自分の行為を反省して恥じること
・不堪 : 技芸が未熟なこと。その道の心得のないこと。 ふとどきであること。
・候はん : 昔の手紙文の言葉で「ございましょう/…いたしましょう」の意。
・星霜 : 苦労を重ねて経た年月
・雄健 : 力強く、すこやかなこと。また、そのさま。
・佛暁 : 明け方、あかつき。
・清冽 : 水などが清らかに澄んで冷たいこと。また、そのさま。
・七合五勺 : 1合はおよそ150g、1勺はおよそ15gなので七合五勺はおよそ1Kg125gです。
・餘 : あまり、その数より少し多いこと。
・不堪 : 我慢できないこと、もちこたえられないこと ここの不堪候は、「感謝にたえない-とても感謝している」の意。
・悽愴 : すさまじい
・擱筆 : 筆を置く、書き終える。
・熱禱 : 熱心に祈ること
我羊独語
1929年(昭和4)に出版された「我羊独語」は品川義介の最初の著書かと思われます。そこに1925年(大正14)6月10日の大町桂月死去を受けての6月15日付文章が記されています。これは家庭学校勤務期間(この年の12月末に退職)のことです。
*注「花豆や三里四方に家三軒」は家庭学校で読まれた歌ではなく、9月3日の日記に記されていることから、家庭学校訪問の2日前に濤沸(佐呂間)から下湧別(湧別地区)の間で読んだと思われます。
・渇仰 : 深く慕うこと。
・長逝 : 永眠
・衆寡敵せず : 少数の人数が多数の人数と戦っても勝ち目がないことを意味する慣用句
・耆宿 : 学識・経験のすぐれた老大家。
「熊肉一斤 家庭学校 その3 の3 」につづく
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