#20 擬態したコンプライアンス

令和という時代も6年目。西暦で言えば2024年。

自分が生きているこの時代、生まれる前からある法律、自分がいなくなってから生まれる法律…様々なルールの下に社会というものが形成され、それは日進月歩で変わっている。

日本という国も例外ではなく、一部の法律や条例、学校規則などがたびたび問題にされ、いわゆる「炎上」などと騒がれているのが現状だ。

一方、人と人のコミュニケーションの中でここ最近気をつけなればならないものとしてあげられるのは「ハラスメント」であろう。こういう言動は相手にとって不快だからやめましょうという動きがここ数十年〜十数年?で非常に広がってきた。

法律(またはルール)とハラスメントを結びつくと人間の言動はある意味縛られ、制限がかけられる。表向きから見れば「人権侵害の防止」「誹謗中傷の抑制」「事件・人間関係のトラブルの対策」などたくさん掲げる理由はあるだろう。

ここで気をつけなければならないのはタイトルにもある「擬態したコンプライアンス」だ。

本来、誰にも迷惑をかけていない人が不謹慎・不適切と攻撃されてしまうパターンが発生している。不快に感じているという大義名分で相手を容赦無く攻撃してしまうのは本末転倒ではないだろうか?

相手がどういう意図で発言したのか、被害者へ向けられたものなのか、違法性があったのか、それをして本当に不謹慎・不適切なのか汲み取れる能力が今やや不足している気がしていてならない。

怒りや苛立ちに身を任せて攻撃するのではなく、お互い納得いくまで話し合えば解決できる問題はたくさんあるはずだし、一方通行になりやすいネットでの文章、コメントは誤解が解けないまま当事者たちを傷付けていく結果になってしまいがちだ。

「寛容であれ」とメッセージも聞こえてくる現代社会だが、自分は重ねて「冷静な客観的、想像力に満ちた主観的発想」が大切だと思っている。

これは長くなる話なので、またの機会に続きを書こうかと思う。

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