主目的になってはいけない

大体、ネガティブな感情が渦巻いてるときって、主目的がおかしいときだ。
手段を目的にしているときというか。

例えば、最近だと、組織とは?とか、やっと自分の仲間を集めて、一緒に活動する中で考えてたところだったけど、実現するための組織とはきっとこうあるべきだ。みたいな、勝手なイメージだけあって、その組織にするには?という問いを悶々としていたところがある。

けど、「組織をつくる」ことは、目的では本来はない。
じゃあなんのため?というと、より価値を多くの人に提供していくためと今は答えるけど、これももっと研ぎ澄ましていく必要がある。

あと、多分、ぼくがモヤモヤしてるのは、組織としてどうか、とかじゃなくて、そういったことを体現する人を一人でも増やしたいのだけれど、そこの部分の物足りなさというか、自分の最も身近な人にも徹底的に影響を及ぼせれないことにどこかもどかしさを感じていそうだ。
それで、どうやって国が変わろうか?

と、目的を置き直して、目的にすり替わっていた手段を眺めることで、自身の意識が分解でき、問題が明らかになってくる。

そして、扱うべきは共鳴。共鳴をちゃんと使わないとね。

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