覚悟をしていない

ソクラテスの無知の知という言葉が好きだ。
知るというプロセスは、知らないということに自覚的になって初めて、知るということができる、ということだ。

それと一緒で、自分の人生、やりたいことを掲げて、本気で選択し進んでるようで、そもそもその覚悟をしていなかったということに気づいて初めて、その道に進んでいけるというプロセスを繰り返している。

いつだって、覚悟してないんだ、って気づいた時は苦しいし、情けないなって思うけれど、そこから道は開けるから、あー覚悟できるようになろうってなって、覚悟を決めていく。

今の自分の事業ビジョンだって、人生ビジョンだって、自分がまだ覚悟ができていないということを自覚している。覚悟しようとしているプロセスにいるということに自覚的である。

僕の事業ビジョン、人生ビジョンはこの日本の未来をこう作るというものだけれど、昭和天皇の敗戦後GHQのマッカーサーとの対話こお話を聞いた時、僕はまだこの国の未来を背負う、ということに本当の意味での覚悟ができてないんだなと悟った。
だけど、それでも覚悟したいなって心から思ってるからこそ、毎日葛藤を繰り返してる。

昭和天皇は、マッカーサーに、

この戦争の全ての責任は私にある
その私の判断に国民は従っただけだ。
その国民たちは飢えに苦しんでる。

ここに自身が持ってる金銀財宝や資産を全て記載したリストがある。

これをどうにかできるだけ高く買ってくれないか?そしてそのお金で飢えに苦しむ国民に食糧を与えてやってほしい。

最後のお願いは、私の命はもちろんのこと、自分の息子の命も差し出す。彼にも覚悟ができている。
ただ、妻や娘の命だけはどうにか助けてやってくれないか?

とお伝えしたらしい。
この国のトップが、本当に素晴らしい在り方でいてくれたからこそ、敗戦した日本なのに、もちろんGHQの色々な介入はあったけれど、また復活できたし、結果的に文化も守られた。

そのほかにも過去の様々な素晴らしいあり方をしてくれた人がいたからこそ、今の日本がある。

そんな日本の次を担うなど、まだまだ自分は覚悟ができてない。

けど、やりたいし、やるんだ、と、覚悟するんだ。
覚悟できる人間になれるよう、日々大切に積み重ねている。

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