ほしいのは勇気

今日骨を正しい位置に戻すというとある施術を受けていて、その施術の過程で本当にほしいものを願っていて、と言われて、本気で願ったものは勇気だった。

いろいろなことを最初は願っていたのだけど、どんどん頭の中から過ぎ去っていって、最後はずっと勇気がほしいと願っていた。

あー、自分は勇気がほしいんだなぁーと。
自分は強い人間だと最近どこか思い込もうとしていたけれど、そうだ全然違かった。
ぼくには勇気がない。というか、どちらかというと恐怖に弱い。
恐怖を感じないために、自分の身を置く環境とか、取り組み方とか一つ一つ積み上げていって、そんな自分でも使命に向けて歩むことができる状態を作っていったんだった。
だからこそ今の自分があるし、到達できた場所がある。そして進むべき方向も明確になっている。けれど、これから先は、その前提の中での選択を繰り返していてはだめだと、どこか直感的にわかっていたのだろう。
だから勇気を願ったんだ。

自分の中では、自分は石橋を叩いて渡るタイプだ。
というよりは、一歩一歩歩むための勇気を持つために、自分が感じる不安や恐怖を取り除くタイプだ。
そしてその自分にとっての不安、恐怖の最たるものは、孤独・分離なのだと思う。
先が見えないこと、わからないことに対して自分は不安、恐怖を感じるタイプではない。というより、そんなのわからないからこそ、進む方向だけわかっていて、だけどそこにどう到達できるかわからないのが楽しいとさえ思う。
自分が不安になるのは、周りが離れていくことだ。一人ぼっちになることだ。だからそうならないような選択をしてしまう。
あと、一定量のお金への不安も、強い不安・恐怖としてあると思う。というか自分のしたいこと、表現したいことに対して何も制約を受けたくない、というお金がないは不安というよりは選択肢を奪われるストレスがある気がする。

ここらへんに執着があるし、フラットに選択していたとしても、そこの不安・恐怖を取り除く、または他で安心を担保した状態で選択をしてしまっているのが自分だ。

今まではそれで良かった。なぜなら、自分の使命を探究する道だったから。
けれどこれからは違う。次は使命を実現していく道だ。
その自分の使命を実現していくためには、多くの仲間、多くの信じてくれる人、多くのお金、そして他にもきっと色々なものが必要なのだけれど、それは使命を実現するために必要なのであって、恐怖から必要なものではない。

から、勇気をもって、使命に最も純粋な選択ができるようになりたい。
どんな状況でも、中今ごとに純粋な選択ができるようになりたい。

きっとそれをするための勇気がほしいんだなーと。
そしてその勇気を得るためなら、恐怖も不安も喰らえるなぁと魂から思った。

今日見たある作家の絵に、自分は闇を見た。そして、その闇は、自分にとっては心地の良いものではなかった。けれど闇だってこの世の一部だし、それだって美しいはず。
自分はまだどこか、光ばかりを美しいと思っているのかもしれない。
そこにもきっと勇気が必要なんだろうな。

本日も読んでくださりありがとうございます。感謝します。




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