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人生日記〜正義が生む悪〜


"あの人ひどいんだよ、また怒ってきた!"

"あの人さあ、異質だから近づきにくいんよな"

"あの人とは分かり合えないんよ。なんか無理というか…"


あの人… あの人… あの人………


あの人を見つめる自分の在り方、
目はどうだろう。

あの人に怒られた
→怒らせる何かを自分がしたかもしれない。
 指摘をしてもらえるありがたさ。
 指摘をされる事で修正する場所が分かる。

あの人異質で近づけない
→その人からしたら自分が異質かもしれない。
 そもそも異質と普通の基準が曖昧。
 話しかける勇気がない事を異質に逃してる
 可能性など。

あの人とは分かり合えない
→あの人を分かろうとしたか。
 分かり合える1ページを探したか。
 分かり合えない態度の前日とてつもない
 悲しい出来事に遭遇してるかもしれない。

〜かもしれないって分岐させていくと
決めつける事、結論がいかに難しいか。


自分の目に映る"あの人"をどう映そうが
自分の自由なのです。


これ木の一部なんですけど、左側の木
なんかゴツゴツしてて角とかに指当てると
木のささくれ刺さって痛そうじゃないですか?


実際触ってみると、
全然ささくれ刺さらないんです。
むしろツルッとしてました。


みなさんは
"いやいや、左側ツルッとしてそうやん!"
っておっしゃるかもしれませんが
僕にはゴツゴツしてて触ると硬くて痛そうって映り方をしていたのです。


僕が映した世界→ゴツゴツで硬くて痛そうな木
触れた世界→刺さらないツルッとした木


見てる世界と事実が違いますよね。
こんな感じの自分の認識違いが僕らの日常にはかなり溢れています。


じゃあ何の仕業で映し出す世界が変わっているのでしょうか。

それは"固定概念"です。


大きい方が強い
勉強してる人は偉い
悪者は敵
………

こんな感じで自分の中で勝手に
"当たり前"
"普通"
"〜であるべき"
と正義と悪を無意識に作っているのです。


昔新聞に載った1ページには子供の鬼が
"僕のお父さんは桃太郎というやつに殺されました"
めでたしめでたし?
というものがありました。

桃太郎からみたらめでたしめでたしの世界。
子供の鬼からみたらお父さんが桃太郎に殺された悲しい世界。

桃太郎からみたら鬼は悪者。
子供の鬼からみたら鬼は最愛のお父さん。

同じ"世界"
同じ"鬼"
と同じ対象物を見てても、
見る人や捉える人のバックグラウンド(経験や環境)で意味が変わってしまうのです。


そんな事を思い始めると、
否定したくなったり、突き離したくなる現実の
見え方が少し変えられそうな気がしてきませんか?
少し相手の世界を見つめて見ようと気が向きませんか?



怒られるという幸せ
→自分の正す場所、現在地が分かる。
(まあ怒り方にも問題あるとも思いますけど💦)

相手にムカつける幸せ
→友達がいなかったら、誰もいなかったらムカつく事すらできない。

うまくいかない葛藤、もがき
→何かに挑戦してる証


なんでこんな事考えだしたかって、
僕は基本的に目の前に映ってるものは
自分の潜在意識や固定概念だと思ってます。


自分が笑えば相手も笑ってくれたり、
自分が真剣な話をしたら相手も真剣に聞いてくれたり
自分が悲しい時にふと悲しい曲が流れてきたり、
気にとまる物は自分の心そのものだと感じて生活しています。


そんな生活の中、
癌細胞が悪者という前提であるお方とメッセージしていてこんな事を言われました。

"癌細胞は悪者と思われているのでしょうか。私はそうは思っていないのですが。癌細胞も種を残すために自らの使命をまっとうしているのにすぎない。"

人間に死や不安を与える意味では悪。
でも癌細胞が自ら必死に生きる姿は悪なの?


結果的に癌細胞は悪かもしれませんが、
そんな彼らの使命やバックグラウンドを見つめずに悪と決めつけるのは違うんじゃないかなってハッとしました。


簡単に結論つけることの責任。
あまりにもハッキリと把握しきれない事が多すぎる。
だから、学びたい、相手を理解しようとしたい。


めちゃくちゃ笑顔をくれる人は今朝膝を抱えて大泣きしてたかもしれない。

とても悲しそうな人は家に帰ってからどこかで誰かを傷つけて笑ってるかもしれない。

そんなこんなも、
目の前の映るものだけみても分からないです。


自分の偏りを認識しようとする心
自分が本当に感じた心
相手を理解しようとする心
に目を向けて見るとどこかの何かは変わりそうです。


こうしてまた今が過ぎて明日が来て時間がすぎて……


今の僕には明日が来る。
呼んでもないのに来る。
明日を、未来を迎えに行くのではなくて、来るのです。


全部の言葉が出来事が経験が刺さりすぎる。
感じすぎてしまう。(HSPではないよ)

自分を認めるのも、否定するのも自分。
正義であり悪である自分。


"正義も悪魔ない、ただ其処に在るだけだと感じなさい"

あなたは私で、私はあなた。

手を取り合ったら
明日を迎えにいける日がいつか作れる気がする。


明日を待つ。



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