ナボ マヒコ(Nabo magico)23
プロレスラーのペドロモラレスがダイエットに失敗したような、その大男は白目の少し黄ばんだ鋭い眼光で僕を見据えると
「東洋人(チーノ)! あそこで何こそこそしてたんだ? 返答次第じゃ、俺はお前を警察(ポリシア)に突きだしてやってもいいんだぜ!」
男がドス効いた声でそう凄んでくるので、僕はその時ようやくこの男が刑事ではないことに気が付き少し平静を取り戻すことが出来た。そして、緊張で上手く回らない舌を何とかなだめながらスペイン語で
Es Usted el portero de este edificio ?
(あなたはここの管理人さんでしょうか?)
と恐る恐る尋ねた。
「そうだ、それがどうしたって言うんだ!? それより、さっさと俺の質問に答えないか!」
相変わらず威嚇的な表情でそう怒鳴ると男は僕がここから逃げ出しそうにないことを感じたのか目の前にあった椅子に、どっかりと腰をおろすとはち切れそうなシャツの胸ポケットからタバコを一本取りだし火をつけた。
男がうまそうに煙をくゆらしている間、僕は必死に言い訳を考えていた。
「どうした、さっさと何か言ったらどうなんだ!」
男に再び急かされて僕は覚悟を決めてスペルを確認するかのようにゆっくりと話した。
「確かこの建物に友人が住んでるはずなんです。今日、たまたま、この付近に用事があって... せっかく近くまで来たので、ちょっと寄っていこう思って... でも、その友人のうちに行くのは初めてだったものですから正確な住所をうっかり忘れてしまいまして... 多分ここじゃないかと思って中に入ったんです。」
自分では中々良く出来た言い訳だと思ったが男は納得しかねた顔で、
「それならその友人(アミーゴ)ってのは、どんな奴だ? で、ここの何階に住んでんだ?」と追求してくるので、僕はしどろもどろになりながら
「確か...アトーチャ通り の14番地の三階だったと思うんですけど... イナモトっていう日本人なんですが...」
男は少し考える素振りを見せたあと、裁判官が判決を宣告するような口調で
「確かにここはアトーチャ通り14番地だが、3階にはイナモトなんて名前の日本人はいないね。それどころか、この建物には日本人はおろか東洋人らしいのは誰も住んじゃいねえ!」
と僕の顔を覗き込んだ。
「た、多分3階のA号室って言ってたと思うんです。そ、そこには誰が住んでるですか?」
僕は頭に血が上って、つい裏返った声で男に尋ねた。
その瞬間、誰かが階段を降りてくる気配がして僕たちは、開けっぱなしになったままの、この部屋のドアの方を見つめた。
しばしの静寂のあと、ドアの前に黒衣をまとった小柄な老婆が現れた。彼女は僕と管理人の男を怪訝そうに一瞥すると男に向かって
「Buenas noches(今晩わ)」とやっと聞き取れるような声でそれだけ言うと暗い通りへと消えていった。
男は顎で老婆の立ち去って行った方向をさすと僕に向かって口を開いた。
「あの婆さんがそうさ。去年旦那に先立たれて今は一人で住んでる。もっとも、たまに息子夫婦か様子を見に来るがな。」
僕は、何がなんだか分からずにしばらく呆然とその場に立ち尽くしていた。放心状態の僕を見て哀れに思ったのか管理人の男は今までとは、うって変わって子供をあやすような優しい口調で
「ホーベン(若いの) まあ、俺が思ってたほどお前さんは怪しい奴じゃなさそうだ。ハポネス(日本人)は勤勉で金持ちだって言われてるしな。まさかラドロン(泥棒)じゃあるまい。まあ、気を悪くせんでくれよ。これも俺の仕事のうちでな。きっとお前さんのアミーゴ(友人)は間違った住所を教えちまったんだろうよ。もう一度そいつに訊いて確かめてみるんだな。」
と言って僕の目の前にタバコの箱を差し出した。僕は、そこから一本つまみだし口にくわえるとそいつに男は持っていたライターの火を近づけてくれた。
Gracias(ありがとう)と小さく言って、僕は彼と別れた。どんよりと身体中に鉛が詰め込まれたような気持ちのまましばらく歩き続け、ふっと我に帰ると既にあの建物から200メートル程離れた暗い裏通りにいた。
(つづく)
」
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