ナボ マヒコ(Nabo magico)11
酔いが一気に覚めてしまうようなぞっとする声だった。まだ一言もしゃべってないうちに、どうして僕が誰かということが判るんだろう? 疑問に思って男にそう尋ねると、男はククっと喉で笑い
「この電話番号は、あなたにしか教えてませんからね。」
と答えた。そして、そのあと僕の心の内を見透かしたように、こう続けた。
「やっと、あなたのお役に立てる時が来たようですね。ええ、いつ、あなたから電話があってもいいように、あの日あなたと別かれてからすぐに必要なものは全て揃えて、ずっと待っていたんですよ。」
「ず、ずっとって... ずっと外出もせずに僕の電話を待ってたんですか!?」
驚いてそう尋ねると、男はそれが当然といった口調で「ええ、ずっとです。」と答えた。
僕は段々気味が悪くなってきて男に電話したことを後悔しはじめていた。そして、受話器を置こうかどうしようかと迷っていると、そんな僕の様子が手に取るように分かるのか、男は少し高圧的な声で
「大丈夫です。全て上手くいきますよ。今直ぐというわけにはいきませんがね。何せ『ナボ マヒコ』は成長するのに少なくとも3日はかかるんです。だから、あなたにお渡し出来るのはそのあとということで...」
「ち、ちょっと待って下さい! 僕はまだ何も...」
慌てて僕がそう言うと男は
「いいえ、あなたはもう、すっかり決めてらっしゃる。」
そう言ってさらに話を続けた。
「いいですね? 三日後ですよ。私の住所はご存じですね? あなたが、ここへ来られる時、わたしは多分いないと思いますので鍵はアパートの入口に置いてあるゴムの木の鉢の下に隠しておきますから。 大丈夫ですよ。今までその植木鉢にさわってる奴を見たことなんてありませんから。鍵がなくなることなんて有り得ませんよ。それから、あなたへのメッセージもテーブルの上にでも残して置きますのでご安心下さい。」
「居ないって、どうしてです!? どこかへ行かれるんですか? 」
僕がそう尋ねると「ええ、ちょっとね」と言うだけなので
「ちょっとって、じゃあ、直ぐに帰って来るんでしょ?」と再び尋ねると男はそれには答えず、ただ
「心配要りませんよ。大丈夫です。全てわたしにお任せ下さい。」
とだけ言い残すと電話を切ってしまった。 僕はしばらく耳に受話器をあてたまま、ツーッという発信音を聞いていた。もしかしたら男のいう『ナボ マヒコ』でマリエの気持ちを僕に繋ぎ止める事が出来るかも知れないという微かな希望と、何かとんでもない事に巻き込まれるんじゃないだろうかという不安が頭の中でグルグルと回るのだった。
ふと、振り返ると帰り支度を整えたマスターが僕の後ろに立っていた。
「かずちゃん大丈夫か? ひとりで帰れるか?」
と、心配そうに問うマスターに、僕は、遅くまで待たせてしまったお詫びを言い、そして酒代として置いたカウンターの上の金が足りたかどうかを確かめると二人で店を出た。
ガラガラッ、ガッチャン。
店のシャッターの閉まる音を背中に聞きながら僕は、悲しそうなマリエの顔を思い出していた。しかし、それはやがて、まだ耳について離れない、あのイナモトという男の声によって掻き消されていった。
アパートにたどり着くと僕は靴も脱がずにベットに倒れ込んだ。その夜、僕は泥のように眠った。 (つづく)
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