ナボ マヒコ(Nabo magico)6
「『魔法の大根』、ですか... そうですね、日本語にすればそうなりますか。まあ、名前なんてどうだっていいんです。さっきも言ったように、わたしは中世のスペイン文学を中心に研究しているのですが、そうなると、どうしても魔女とか悪魔崇拝やらなんていうテーマも無視して通れないんですな。それで、そちらの方も色々と研究しました。そのうち十四世紀前半のものと思われる羊皮紙に面白いことが書かれてるのを発見しましてね。こいつはトレドのサント トメ教会の図書庫にあったんですが、マリア ルイサっていう魔女に対する異端審問(インキシシオン)の口述記録の中で彼女がナボ マヒコを使って十二組の若い男女の間を取り持ったという記述がでてくるんですよ。 ええ、そうなんです。ナボ マヒコっていうのは一種の媚薬みたいなものでして、首吊り死体の下に生える人の形をした根を持つ植物と言われています。その根を煎じて飲み、そして想い人にも飲ませると、その相手とは必ず結ばれるという言い伝えがあるそうです。究極の惚れ薬、という訳ですよ。ここまでお話すればあとはもう、お分かりでしょう? えっ、分からないですって! だから、わたしはあなたにそのナボ マヒコをプレゼントしようと言ってるんですよ! どんな女だってあなたにイチコロになってしまう魔法の薬をね。」
そう言って男はニヤリと笑った。
僕は男の話を全くの作り事だと思って聞いていので彼に向かって皮肉っぽくこう言ってやった。
「でも、どうして、そんな凄いものを僕に? あなたが自分で使えばいいじゃないですか!」
すると男は落ち着きはらった表情で僕にこう言うのだった。
「だから言ったでしょう? わたしは誰かの為に役に立って感謝されたいのです。わたしはあなたのことを大変気に入りましたのでね。」
「それは光栄だけど僕には彼女もいますしね。それに、そんな物の力を借りなくても今まで結構女には不自由しなかったんです。悪いけどそろそろ帰ります!」
そう言って僕が席を立とうとすると男は僕を引き止めようとして僕の右腕をこんなに力があるのかとびっくりする位の強さで掴み
「まあ、そう仰らずに。あなたがわたしの話をお信じになれないのはよく分かります。 でもわたしの言ってる事は本当なんですよ。その証拠にナボ マヒコを見せろと言われても残念ながらそれは今、わたしの手元にはありませんが... でも、あなたがそれを必要なら、一週間ほどで手に入れることが出来るんですよ。」
と言った。
男の顔があまりにも真剣なので僕は少し怖くなってきたが、そんな心の内を男に知られまいとして少々声を荒げてこう答えた。
「それはそれは! どうもありがとうございます。でも今のところ本当に間に合ってますんで!」
すると男はさも残念そうにしばらくグラスを握りしめたまま僕の目をじっと見ていたが再び、さっきまでの愛想の良い顔つきに戻ると
「それでは、あなたがわたしのことが必要になった時にはいつでもここにご連絡下さい。えーっと、住所、電話番号はと...」
そう言ってズボンのポケットの中から取り出した黒い手帳に素早くペンを走らすと、そのページを丁寧にちぎり取り僕に手渡した。
『C / Atocha 14. 3A. Tel 666 4273』
紙切れにはそれだけ書かれており名前はなかった。僕が男に名前を聞こうとするとそれよりも早く
「名前ですか? 心配要りませんよ。そこにはわたししか住んでませんから名前なんてどうでもいいんですよ。おかしいですか? じゃあこうしましょう。」
そう言うと手渡したばかりの紙切れを僕の手から素早く抜き取り住所の下に小さく『INAMOTO』と書き足した。
「イナモトさんっていうんですか?」
そう尋ねると男は
「ええ、まあそんなもんです。」
とニヤリと笑った。そしてその紙切れを僕に渡しながら両手のひらで僕の左手を包み込むようにして握手すると
「今日は本当に楽しい思いをさせてもらいました。ありがとう。いつでも好きな時に連絡して下さいよ。」
と言い残し、すっかり人通りの無くなった道を来た時とは反対の方向へ消えていった。途中何度も振り返り僕にお辞儀をしながら。
(つづく)
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