12粒のぶどう

今年も、あと1日を残すのみとなってしまった。スペインでは、大晦日の12時の時計の鐘の音に合わせて12粒の葡萄を食べる習慣がある。途中で吹きだしたりせずに、見事完食出来たらその年は素晴らしい幸運が訪れることになるそうだ。

19世紀末頃から始まったらしいこの習慣は、そんなに伝統的とも言えないけれど、今ではスペイン語圏の南米の国々でも同じことをするらしい。

マドリッドでは、例年プエルタ デル ソル(Puerta del sol )広場に面したマドリッド自治州庁舎の時計台の鐘の音に合わせて、お祝いしようと大勢のひとが広場に押し寄せるが、今年は、コロナの影響で、お祭りは、中止。皆さん、おとなしくテレビを見ながら葡萄を食べることになる。

私は、もう長いことテレビの前に陣取って用意した、葡萄を鐘の音に合わせて食べるスタイルだが、食べる葡萄が年とともに変わってきた。

スペインに来た頃は大きな粒のうす緑色した白葡萄をひたすら口にいれて、木の実を頬張る冬眠前のリスのような顔になっていた。

そのうち、葡萄の皮と種を予め取り除いたものを用意するようになった。私のような軟弱者が結構いたようで、そのうち、大晦日用に皮と種を取り除いた12粒入りの葡萄の缶詰が、大抵のスーパーで手に入るようになって、しばらくは、それを愛用した。

ここ数年は、種なし葡萄が簡単に手にはいるようになったので、もっぱらそれを食べることにしている。

毎年12粒の葡萄を食べる時に、私は自分の兄弟のことを思いだす。6人の兄弟と6人の姉妹、決して交互には生まれていないが、人数が増えると確率はそれなりに終息に向かうものらしく、上手いこと男女半々。

実際にやってみると、そんな悠長な時間は無いことに直ぐに気が付くのだが、それでも、わたしは、一粒食べるごとに皆の顔を思い出して行く。

今年の夏、長患いしていた、長男が亡くなった。私の信仰している天理教の教えでは、人の死は、「出直し」といって、神様からお借りした身体をお返しするということである。

長男は、兄弟のなかでも一番大きくてちょっと怖かったけれど、年の離れた10番目の私にはやさしかった。

今ごろ、彼の魂は何処で、何をしているのだろうか。私には、皆目見当はつかないけれど、今年食べる最初の一粒は、とびきり大きくて、艶のあるやつを選ぶことにきめている。

それでは皆さん、お身体に気を付けて。来年は、きっと良い年になります。不安な方は、運試しに今年の大晦日12粒の葡萄にチャレンジしてみたら如何?






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バナナ
なんと、ありがたいことでしょう。あなたの、優しいお心に感謝