ナボ マヒコ(Nabo magico)10
気が付くと僕は、いつもの日本レストラン『一番』のカウンターにうつ伏していた。
飲み潰れて暫く眠ってしまったらしい。低いガラスのショウケース越しにマスターが心配そうにこちらを見ていた。
「ああ、なんか寝ちゃったみたい。悪い、悪い! 悪いついでに、ビール、もう一本!」
「かずちゃん、もうやめとき。もう十分出来上がってるで。それに、もう店閉める時間やねん。」
「あっ、そう... じゃあ、お勘定しなきゃ。」
朦朧とした意識の中で僕は、ズボンの両側ポケットを探った。そして中にあるだけの金をカウンターの上にばら撒き、もう他にはないかと今度はズボンの尻に付いているポケットに手を突っ込んだ。
クシャっという音がして指に何かが触れた。 おっ、まだ、お札が残っていたのかと、そいつをつまみ出して見ると紙幣ではなく二つ折りにされた只の紙切れだった。
そいつを広げてみると
『C/Atocha 14. Tel 666 4273 INAMOTO 』
と書かれてある。
僕は、はじめ、それが一体何を意味するのか理解出来なかった。しかし、イナモト、アトーチャ、イナモト... と口の中で繰り返すうちに、あの妙に目玉のギョロッとした、色黒の小男の顔が記憶の奥底から甦って来た。
そうだっ! あの男の住所だ。確か僕のために役立ちたいって言ってたっけ... 惚れ薬、そうだ惚れ薬をやるって。何て言ったけ、ナボなんとか... そう、ナボマヒコ!!
僕がかなりの大声で独り言を言ってるので、カウンターにいた他の客たちは気味悪がって、そそくさと店を出ていってしまった。
あの時は男の話なんてまるで信じていなかった僕だったが、今夜は、酔いも手伝って半ばやけくそ気味に試しに例の男に電話してみることにした。そして、カウンターに撒き散らかされたコインの中から25ペセタ玉を一枚摘まむと、ふらつく足どりで店の入口の右側に置かれてある緑色の公衆電話の方へと歩いていった。
受話器を外し、そのあと少しためらったが、すぐに思い直してメモにある番号を間違えないようにゆっくりとナンバーボタンを押した。
トウーッ、という呼び出し音が三度続いたあと聞き覚えのある男の声の声が耳に飛び込んできた。
「お待ちしてましたよ。」
(つづく)