飛縁魔の恋

この唇に引いた紅は、愛しいあの方に見て欲しい乙女の恋心。

あま美大島南部の大島海峡の海底でじっと息をひそめて生きて参りました。現世の姿は、ほれ、このとおり。海洋生活動物のウミエラの仲間でございます。口の周辺が赤く染まっております故、発見されたお嬢さんが、吸血鬼を連想されて、血を吸う日本の妖怪飛縁魔(ひのえんま)から名前をとって、私の学名を「カリベンレムノン ヒノエンマ」とお名付けになりました。

私は、前世は、ただの町娘でございました。実家は江戸で八百屋を営んでおりましたが、天和2年12月28日の大火で家族共々焼け出され、私は、親と共に正仙院というお寺にお世話になる事となったのでございます。

寺での暮らしは不自由なものではございましたが、何かにつけてお心を配って下さる寺小性の生田 庄之介様のお蔭で惨めな思いは、一切せずに過ごすことが出来たのでございます。

殿方にそんなに、優しくされたことのない、うぶな娘が恋に落ちるのに時間は必要ございません。

やがて、お店が建て直され、私どもは、寺を引き払ったのでございますが、離れてしまうと私のあの方への思慕の情は、募るばかりでございました。

そして、もう一度家が燃えてしまえばまた、あのお方に逢えると思い詰めたのでございます。

今思えば、小娘の浅知恵と恥ずかしい限りではございますが、今となっては、最早手遅れ。

幸い、我が家に放火した火は、直ぐに消し止められて小火(ぼや)ですんだのですが、私は放火の罪でお縄となり、鈴ヶ森の刑場で、火あぶりにされたのでございます。

皮肉にも、今世、飛縁魔と呼ばれるようになりましたのも、火の閻魔様、即ち火炎地獄の裁判官から、まだお前の罪は許されていないというお告げでございましょう。

「飛縁魔」とは、元々仏様の教えに有りますお言葉、女犯を戒めるためのお言葉でございます。女の色香に惑わされた挙げ句に、自ら身を滅ぼし屋敷や財産を失うことは、確かに愚かな事ではございます。

見た目は、菩薩のように美しくとも、心に夜しゃが棲んでいるのが女というものであると仰せになっておられるのでございましょう。

ああ、あといくつ生まれ変わったら、あのお方に逢えるのでしょうか!  

たとえ、この身が、地獄の業火で焼きつくされても、あの方への私のこの思いは、誰も消すことが出来ないまま、今もこうして小さな灯火となって暗い海底をさ迷っているのでございます。


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バナナ
なんと、ありがたいことでしょう。あなたの、優しいお心に感謝