ナボ マヒコ(Nabo magico)9
僕は、一瞬どう答えて良いものだろうかと戸惑ったが、なるべく平静を装いながら
「へえー、それは良かった。で、いつ帰るの? 相手はどんな奴?」
と尋ねると、彼女は悲しそうな目をして
「冗談だと思っているでしょう? でももうエアチケットも買ってあるの。まだ、日付けは最終確認前だけど...」と目を伏せた。
彼女の只ならぬ様子に事の重大さを悟った僕は、慌てて
「う、嘘だろ!? さっきだって、あんなに楽しそうにしてたじゃないか! 理由を言ってくれよ! 俺が嫌いになったのか?」
と彼女に詰め寄った。
「かずちゃんがいけないのよ。今年こそ大学卒業して、ちゃんと就職も決めて私とのこともはっきりするって言ってたくせに、就職どころか卒業だって危ういし... 本当に私達のこと真剣に考えてるの? 私、もう26よ。そんなにゆっくりしてられないのよ。」
彼女にそう言われて僕は暫く返す言葉が見つからなかった。ただ、独り言のようにボソッと
「どんな奴なんだ、見合いの相手」
と言うのがやっとだった。彼女は、僕の方を見ずに
「父の大学時代のお友達の息子さん。医大出て、今度札幌の病院に勤務されるんですって。スポーツマンでルックスだって悪くないし結婚相手には申し分無しよ。」
と、事務的な口調で言った。
「そんな、月並みこと! 結局はマリエも他の女みたいに打算でしかものを考えられないんじゃないか! 日本でちまちま生きてる男なんて大嫌い。俺みたいに将来何になるかわからないけど伸び伸びやってる男が好きだって言ってたくせに!」
僕がムキになってそう言うと彼女は黙ってアパートの中に入ろうとしたので
「なあ、考え直してくれよ。別にそいつのこと好きじゃないんだろ?」
と、彼女の肩に手をかけるとすぐさま彼女はその手を振り払いながら
「最後まで言わせないでよね! もう、疲れちゃったのよ、かずちゃんとのこと... もう、決めちゃったの。ごめんね。」
そう言って逃げるようにドアの奥へ入って行ってしまった。
彼女のうしろ姿を見送りながら僕は呆然と立ち尽くした。しばらくそのままの姿勢で閉められたドアを見つめていたが、次第に体の奥の方から熱い物がこみ上げて来て思わず。「バカヤロー!」
と怒鳴っていた。つい、さっきまでおさまっていた右足の親指の痛みが、まるでそこに心臓があるかのようにズキッ、ズキッと脈打つように痛みはじめた。
悔しかった。思いもよらない彼女の心変わりだった。このまま終わらせたくない。自分でも気が付かないうちに彼女は僕にとってなくてはならないものになっていたのだ。何とかしなくちゃ。気持ちは焦るばかりなのに、どうすればいいのかまるでわからなかった。 ただ酒が飲みたかった。飲んで、とりあえずこの惨めな気分から抜け出したかった。
(つづく)