ナボ マヒコ(Nabo magico)18
電話のあと、僕はまず、冷蔵庫に入れて置いた『ナボ マヒコ』を取り出し、流しの水で、丁寧についていた泥を落としにかかった。
薄いピンク色のまが玉の様なそれは、握ると何だか生暖かくて生きているような気がした。
僕は、おろし金ですりおろした、そいつを、茶漉しに移し、上からスプーンでじんわりと押した。外光の加減で時々うっすらと赤味がかって見える透明の液体が、下に置いてあるグラスへとポトポトと落ちていった。
鼻を近づけてみたが匂いはなかった。僕は、そいつを机の引き出しの中にあったフィルムケースに入れ、グラスに残った方にちょっと舌をつけてみた。
微かな渋味が感じられたがこれといって特別な印象は受けなかった。僕は、少し不安になったが目をつぶって一気にそれを飲み干した。
そのあと、念入りに髪をセットし、マリエが誕生日のプレゼントにくれた赤いセーターと彼女のお気に入りのリーバイス501をはいて約束の時間よりもかなり前に目的地に着けるよう部屋を出た。
もちろん、ポケットには『ナボ マヒコ』のエキスが入ったフィルムケースをしのばせて。
心なしか身体が軽くなったような気がするなそう思いながら僕は約束のBarへと急いだ。
待ち合わせの時間よりも15分も前に到着したにもかかわらず、すでに、奥のテーブルで、マリエが不機嫌そうにタバコを吸っているのが見えたので、僕はかなり慌てて彼女に駆け寄り「ごめん、ごめん! 待った?」と尋ねた。
彼女は、冷ややかな目付きで僕を見据えながら、いきなり「かずちゃんの話なんか聞きたくないわ!」と言い出したので僕は、少々ムッときたが、意味もなく、ただ、ごめん、ごめんと謝り続け「30分だけ付き合ってよ。お願いだから!」と彼女をなだめすかし、そのあと「何、注文(たの)んだの?」と尋ねた。
彼女が、ずっと黙り込んだままなので仕方なく僕も黙っていると、ボーイが氷の入った縦長のグラスとゴードンのボトル、そして黄色いラベルのシュエップストニックウオーターを運んで来たので、僕にも彼女と同じジントニックを作ってくれるようボーイに頼んだ。
しばらくして、彼女が急に立ち上がったので慌てて僕も立ち上がり「まだ帰らないでくれよ!」と懇願すると、彼女は一言「トイレ」とだけ言い残して店の奥の階段を降りていった。
僕は、彼女が戻って来ないのを確かめると、周囲を注意深く見回した。そして、ポケットから例のフィルムケースをそっと取り出した。中の汁が少し溢れてケースが濡れてしまっていたが、蓋を開けてみると、エキスは、まだ三分の二ほど残っていたのでほっと胸を撫でおろした。
そして、誰にも見られないように素早く彼女のグラスの中にそれを注ぎ込み人指し指で、グラスの中の柱のように繋がった氷の塊を動かしてかき混ぜた。
こうして出来上がった特製ジントニックをじっと見つめながら、僕は彼女が戻って来るのを待った。
しばらくしてトイレから戻ってきた彼女は席につくと、ほんの少しの間、目の前のグラスを眺めていたが、やがて、それを手にとって口に近づけていった。僕は思わず息を息を呑んでその仕草を見守った。
(つづく)
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