2020_07_25(土)
久々に記事を書く。実は18日にも書いていたのだが、論理的な飛躍が激しく、わたしにとって切実な問題であるからこそ中途半端な書き方が許せず、推敲が終わらなかった。投稿こそしなかったが満足している。公開日記を書いて投稿するという一連の行為の中で、わたしに大きな意味をもたらすのは、書くという行為そのものであって、公開することや反応を得ることは些事だ。ブログやSNSが繁栄すれども(逆にそんな状況だからこそ)、書くこととそれを晒すことは区別されるべきである......少なくともわたしにとっては。
noteが嫌いになりつつある。美しいレイアウト、美しいフォントは、書くことへの最適化を謳いつつ、その裏で、そこに書かれる文章の在り方を規定してくる。もはや文字は書き手を写さない(noteに限った話ではないが)。みんなが共通の文字を使って、まるで大きな共通の自我が、様々な文章を書いているような感覚になる。わたしが何をnoteに書こうとも、「noteに書かれた文章」という記号がついて回ること、それがひどい嫌悪感をわたしにもたらす。