夫の不倫

青天の霹靂、というわけではなかった。
スマホを見る前からなんとなく感じていた違和感。
家族に対する声のトーン、態度、目線。
私への触れ方、仕事への向き合い方。
人の変化を敏感に感じてしまう自分を恨んだ。
この時ばかりはこんな特性はいらなかった。

夫を疑う気持ちがじわじわと体を侵食していって、どうしようもなくなった。
不安な気持ちに支配されて夫に優しくできなくなり、不機嫌で振りまわして動揺させた。
事実と向き合う決心がついたとき、ようやく彼のスマホを開いた。
ロックはかかっているものの、私と共通のパスワードだったのですぐに開くことができた。結婚記念日だった。

LINEに残された不倫相手とのやり取り、目を覆いたくなった。
頭の中を色々な考えが駆け巡りオーバーヒートしているようだった。
どうにか自分が納得できる考えを見つけようと必死だった。
今の生活を守りたかったのだ。

それから夫にスマホを見たことを打ち明けるまでの数か月は地獄だった。
友人にも会えなかった。
10代の頃から日々の色々なことを共有している友人だ。
今の私の不幸を憂いて一緒に泣いたり怒ったりしてくれるだろう。
いま会えば、私は彼女たちを前に強がって「あんなやつ離婚してやる!」と啖呵をきってしまうだろう、と考えたからだ。
私はいつまでも答えを決められずにいた。

その間、夫は私をどう思っていただろう。
不機嫌がデフォルトのようになった私に嫌気がさしていたかもしれない。
自分のしたことが妻にバレているかも、と不安な日々を送っていたかもしれない。
仕事が忙しく、私の態度など気にも留めていなかったかもしれない。

夫婦とは何なんだろう。
夫と付き合い始めた頃は一緒にいるだけで何をしていても楽しかった。
穏やかで誠実そうで、恋愛に慣れていない言動、不器用さ。
冷静で落ち着いた性格、周りの目を気にしない頼もしさを尊敬していた。
人との付き合いで信頼関係を一番に重視する私にとって、私を不安にさせない彼だったら信用できる、結婚するなら彼以上の人はいないと思ったのだ。
いつか恋愛感情を失くしたとしても、彼となら穏やかに生きていけると思った。

夫婦とは何なんだろう。
お互い好きで一緒になった夫婦でもいつまでも仲良くいられる夫婦はそう多くないのかもしれない。
好きという気持ちは恋愛から家族に向ける愛情へと変化していき、相手を異性だということをいつの間にか忘れてしまうのか。
結婚して子どもができた今、私たちの関係は男女ではなく子育てのパートナー、家庭を営む共同経営者のような関係だった。
それでいい、形は変わっても家族としての愛情を持っていさえすれば家族はうまく回ると思っていた。
実際はそうではないのか。少なくとも夫は違ったのか。
男女の関係ではないならば、私は何に怒っているのだろう。
そうか、私はまだ夫を異性として愛していたのか。

問い詰めて不倫の事実を聞き出した夜は息子の誕生日だった。
私は死にたいと彼に伝えた。
今の精神状態で家族を続けていく自信がない、子どもを正常に育てていけるか自信がない、と伝えた。

息子が発達に遅れがあると指摘されたのは2歳になった頃だった。
それまで息子はのんびりと、育児書からズレた発達の仕方をしており、もしかすると、そうかもしれないな、、という考えはあった。
保育園の入園のタイミングで「なにか心配なことはありますか?」と聞かれ、発達がゆっくりなことを相談した。
お母さんの考えすぎだよ、と言ってもらえることをうっすら期待していたが、先生からの返答は「集団生活での困りごとが目立つので3歳児検診で個別で面談を」と勧められた。
5歳になった現在は、月に2回ほど市の療育施設に通いながら、療育先、保育園の先生たちと連携をとって様子を見ている状況だ。

息子は繊細で不安感が強いタイプで、私の変化を敏感に感じとる。
私と夫が上手くいっていないことも5歳ながら違和感を感じているようだ。
このままでいいはずがない。
息子の前だけでもうまく取り繕うことのできない自分が嫌になる。
感情がコントロールできない。
夫を責めたい、罵って傷つけてやりたいという衝動を必死で抑える。
ぐるぐると考えを止めることができず、涙があふれそうになるのを堪える。
それだけで精一杯で表情管理する余裕がない。

「どうして怒った顔をしているの?」
息子が私を見て不安になっている。
「どうしてため息つくの?」
無意識だった。
「トトと喧嘩してるの?心配だなぁ」
わざとおどけて空気を明るくしようとしている息子。

ああ、だめな母親だ。
こんな親に育てられる子どもがかわいそうだ。
私ではない誰かだったらこの子を幸せにできるのだろうか。
この子に幸せになってほしい。
信頼しあえるパートナーと笑っている未来があってほしい。


幸せだったころに戻りたい。不倫がなかった頃に戻りたい。
時をもどして、あの日、同期会といって飲みに行く夫を止めたい。
それより以前からこういうことはあったのだろうか。
もしかしたらあったのかもしれない。
あの日は息子は数日間熱が下がらなかった。
やっと熱が下がりかけた日、夫は飲みに行き不倫をしていた。
私は、今まで一緒に過ごしてきたはずの夫の何を見てきたのか。
急にものすごく遠い存在になった夫は、意思疎通の取れない未知の生命体のような存在になった。

私の何がいけなかったのか、忙しい日々を言い訳に女を捨てていたからか。
可愛げがない性格が原因なのか。
素直に甘えられたなら不倫されなかったのか。
だとしたら息子を悲しい気持ちにさせているのは私だ。
全てを終わりにしたい。そう考えてしまう。

私がいなくなったあと、夫は何を想うだろう。
後悔して自責の念に駆られるだろうか。
残された息子と2人でどうやって生きていくのだろう。
葬式で私の顔を見てどんな表情をするのだろう。
涙は流すのだろうか。
彼が涙を流す姿が想像できなくて、悲しくて寂しくてまた泣いた。

夫への想いは愛なのか、執着なのか。
昔、私が好きだった夫は誠実で信頼できる存在ではなかったか。
今、彼を私は信頼しているとはとても言えないし、不誠実なことも何度もされていた。
じゃあ、私は夫を好きではないのか。
優しかった頃の夫に戻ってほしくて、
何も欠けていない生活を送りたくて、
幸せだった頃の自分に戻りたくて、
必死で過去にしがみついているだけかもしれない。

少し離れて考えたい。
一緒の空間にいると苦しくて顔を見るのもつらい。
息子のために笑顔を作らなきゃいけないのもしんどい。
ただ、離れた先にあるのは「離婚」の一択な気がして、結局耐えることを選んでしまうのだ。


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