「おぢか島便り(後編)」2024/07/01
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・6月から長崎県・五島列島に属する小値賀島に滞在して以降、あっという間に1ヶ月が経ってしまった。博多へ向かうフェリーの道中、この文章を書いている。
・朝7時に船の汽笛の音とともに起床し、12時過ぎまで客室の清掃をする。
晴れた日は海辺まで自転車を漕ぎ、夜は夕食の配膳を手伝った後、美味しい魚に舌鼓を打つ。
小値賀での仕事、7月からの自身の生活、そしてもちろん島での観光を満喫しているうちに、飛ぶように時間が過ぎていった。
・そこで、今日は博多までの約4時間、小値賀という人口2000人ほどの小さな町で過ごした中で発見したことを、自分の視点から詳細に書き出そうと思う。
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・まず、島暮らしの中で衝撃的だったことは「自分ごとが島ごとになる」ことだ。
・小値賀では月に1回、定期的に発行される「小値賀島便り」という地方紙がある。
冊子の大部分は市の広報や財源報告、求人といった普通の内容だったが、終盤に島民の結婚報告や出産報告、島留学のためにやって来た高校生のインタビューが掲載されていた。
・知らない島民を見かければ「誰の息子だ?」「○○の…」「あぁ、△△に住んでいる○○さんか」といった会話が展開される。
車のナンバーと車種を見て「あ、○○さんだ」とすぐに分かる。
島のコミュニティの中に自身が組み込まれていることに安心感を覚える人もいれば、(穿った見方をすると)鬱陶しさを感じてしまう人もいるだろうなぁと思った。
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・また、当然かもしれないが、1か月間滞在するだけのわたしとは異なり、島の住民は想像以上に他者の視線を気にして生きていると感じた。
・たとえば、島で居酒屋を経営している店主の方とお話をする機会があったのだが、彼は若い頃に夜遊びをしていたことが多く、居酒屋を開いた当初、過去の素行が原因で(主に島の女性たちからの)評判を挽回するのに苦労したそうだ。
・他にも、よく食事に連れて行って下さる島民の方から「○○に今度飲みに行こう」と誘われ、その話を別の場所でした際、働いている旅館の関係者から「絶対にそこに行くのはやめなさい」と忠告された。
小値賀の男性は良くも悪くも年齢を気にせず、都会であればセクハラで訴えられそうなくらい距離を縮めてくる人が多い。
以前、わたしと同様に旅館で働いていた若者が島民の方に誘われ、飲み会に参加した結果「○○(仕事先)のスタッフが飲みの席で大騒ぎしていた」という噂があっという間に広がり、島民たちから敬遠される出来事があったそうだ。
このように、島社会だからこそ生まれる不自由さに、身をもって気づくことが出来たのは大きな収穫だった。
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・同じ家で暮らした人たちを紹介しようと思う。
まず、4月からここで暮らしている、家の中では最も小値賀歴の長いまり(仮名)さん。
以前は九州で有名な旅館の女将として、高い時給とひきかえに長時間労働を強いられていたらしく、現在は小値賀で正反対の生活をしている。
意見を真摯に聞いてくれるだけでなく、それを受けて自分の考えを優しく述べてくれるまりさんは素敵な相談相手で、業務の中でへこんだ話や面白かった身内ネタ、数か月の間ここに暮らしていたからこそ知った恋バナなど、最も会話をした人だった気がする。
・次に、1週間ほど前まで隣の部屋で暮らしていたみあ(仮名)さん。
南米の国を訪れたことがきっかけで「人生、人の目を気にせず自分がやりたいことを存分に楽しむべき!」と強く思うようになり「楽しそう!」と思った場所で気ままに暮らしてきたらしい。
出身が大阪で、常にファイティングポーズを取っているかのような強気な話し方やその思想から、嫌われる人には嫌われ、好かれる人には異様に好かれるような人だった。
けれど、どんな人にも媚びない真っ直ぐさと太陽のような明るさ、そして口には出さないがわたしよりもずっと配慮が行き届く、それさえも感じさせないようなところがあって、フェリーで帰ってしまった後も度々話題に上るくらい影響力のある人だった。
・スペイン出身のマリー(仮名)さんは、7年前に1度同じ旅館でボランティアとして働いていた。昨年からワーキングホリデーを利用して来日し、観光地を点々としたものの、待遇面や給与面で心が折れてしまうような出来事が多く「もう1度ここで働かせてもらえないか」と直談判してやって来た。
オーナーから副業として「絵を描くこと」を依頼されており、梅雨に入り宿泊者が少ない今は部屋で小値賀の風景画を描いている。実際の小値賀の海とはまた異なる、絵だからこそ表現できるような美しさがあって、旅館に飾られているマリーさんの絵を見る度、あたたかい気持ちになる。
また、日本語に関しては十歳くらいのレベルで、意思疎通は十分に出来るものの、マリーさんから発信される語彙は可愛くて率直なものが多い。
たとえば、自動でドアが閉まる車を見た時「これは頭がいい車ですね~」と言う。
除湿器・乾燥機のことを「水を食べる機械」と言う。
日本語学習者だからこそ発される言葉選びが愛しくて、マリーさんと話す時間は新鮮な発見に満ち溢れていた。
・最後に、みあさんが帰った後、隣のカラオケバーで働くためにやって来たなな(仮名)ちゃん。2週間ほどの付き合いだったものの、ここで暮らすメンバーの中で唯一の同い年で、最終的には「さつき(わたし)ちゃんが帰るの嫌だから、フェリー欠航してくれたらいいのに」と言われるくらい仲良くなった。
どちらも人に面と向かって宣言できないようなアーティストが好きで、出会った次の日にそのアーティスト限定で曲を歌いまくったことが、距離を大きく縮めた一番の要因だ。
後ほど「何でわたしに○○が好きって言ってくれたの?」と尋ねると、「さつきちゃんはたとえ○○を知らなくても、いい意味でほっといてくれそうな、何でも受け止めてくれそうな隙があったんだよね」と言うものだから、わたしは自分の隙にひどく感謝した。
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・旅館で働くことで見聞きした話と、ななちゃんがカラオケバーで働きながら感じたことを共有し、自分なりに抱いた小値賀の人々に対する印象について述べる。
・まず、喫煙率・飲酒率がめちゃめちゃ高い。
自動販売機で島価格の700円で販売されている煙草を、老いも若きもよく吸っているし、ななちゃんによると「若者みたいに後先知らずの飲み方をする人が多い」らしい。
・島にはスーパーはあるがコンビニがないので、現金決済しか対応していないこともしばしば。病院や美容院へは、島民割引で高速船を使用する人が多く、数日おきに1回「雨のため高速船が欠航します」という放送が早朝、島全体に響き渡る。
・「小値賀で生まれ、別の場所で暮らすものの、やはり戻ってきた」という人が多く、そんな人は大概小値賀愛が強いので「もっと(ここに)いてくれていいのに」「小値賀、いいとこやろ?」と初対面でも気さくに話しかけてくれる。
・隣接のカラオケバーには、旅館の宿泊客がやって来ることも多く、小値賀で暮らす職場の同僚を訪ねてきた方や脱サラして自分探しの旅を始めた観光客、訳アリそうな年齢差のあるカップルなど、その日その時だけの出会いも印象的だった。
島で暮らしながらその人たちとの交流を楽しむことで、彼らを島民として見送るよりも、後から「あの人○○だったよねぇ」と島民たちの話の肴になるであろうことを了解しながら、元の場所へ巣立っていく旅人の方が、わたしには向いているなぁと思った。
・小値賀の人と会話していて(わたしが島出身でないからこその穿った見方かも知れないということは前提の上で)強く感じたのは「考え方が島基準に縛られている人が多く、しかもそれを純粋に信じられる善良さを皆が兼ね揃えている」ということだ。
十何年ほど前に小値賀島出身の議員が誕生したことがきっかけで、島民の多くが根強い自民党支持者であったり、会話の中で醸し出される思想から何となく「男は家の大黒柱で、女はそれを支える」といった男女観がにじみ出ていたり、都会やSNSで発信すると糾弾されてしまうような思考の塊を包み隠さず発表し、それが堂々と通ってしまうような正大さがあった。
・自分の中の当たり前が通用しない、偏見と独自の思想で溢れた人々との会話は純粋に面白かったけれど、一定期間暮らしていると自身がそのコミュニティの中に深く組み込まれてしまいそうで、今は何故だか竜宮城から帰ってきたかのような、果たして尋常ではない数の人が行き来する都会と同じ時間が流れていたのだろうかと疑ってしまうくらい、時間のスピードが加速している気がする。
おわりに
・わたしは昨年8月から約10か月、フィンランドに休学留学していた。
大学再開までせっかく数か月ほど時間があるのだから、普通の大学生活では出来ない経験がしたいと思い「おてつたび」というHPで小値賀島に出会った。
・国籍がそもそも違うからこそ、価値観の違いも個性として受け止められるフィンランドと人との信頼で成り立つ小さな小値賀のコミュニティは対照的で、どちらも普段わたしが暮らしている場所とは全く異なる論理があり、とても有意義な時間だった。
一か月という短い期間ではあったが、出会う人のほとんどが部外者だったわたしに気さくに話しかけてくれたおかげで、距離的には遠くとも、その土地に、そこで暮らす人々に思いを馳せる「ふるさと」のような場所がまた増えた気がする。
・わたしが生きてきた場所、フィンランド、小値賀島…。
色々な場所を訪ねその土地特有の論理を比較することで、自分の「当たり前」を疑えるようになったり、その違いを楽しむ姿勢が整ったりするのだと思う。
今度は観光者として、社会人として、数年後に…。異なる角度から小値賀を再訪すると、景色も違って見えるだろう。