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ネルソン・マンデラの日と、南アフリカの暴力
日本のメディアでどう報道されているかはわからないけど、南アフリカでは暴動が起こっています。
南アフリカにいる私を心配して、メッセージをくれた人たち、ありがとうございます。
ズマ前大統領が逮捕され、釈放を求めたデモから、破壊行為が始まり、ショッピングモールなどでの略奪が続きました。
騒ぎが収まらない中ですが、3-4日前から、住民による清掃活動も徐々にスタートしてきています。
#SAunrest
— Chriselda 'Babes We Ndaba' Lewis (@Chriseldalewis) July 15, 2021
[WATCH]
Scores of Soweto residents arrive at shopping malls for clean up operations.
LIVE again at 9am on @TheAgenda_SABC on #SABCNEWS channel 404. pic.twitter.com/iOyxFbVidx
そして今日、7月18日はネルソン・マンデラの日。英語では、Nelson Mandela International Day/ Mandela Dayとも呼ばれます。
ネルソン・マンデラの誕生日である今日は、世界をよくする変化を起こすために、67分アクションをする日。
なぜ67分かというと、ネルソン・マンデラが正義のために戦った67年間から来ています。
わたしなりのマンデラの日のアクションとして、今南アで起こっていること、そして私たちにできるアクションを、ここに記しておきたいと思います。
「パン一斤買うのも大変だ」
騒動が大きくなってから、1週間ほどたった今日、だいぶ落ち着いてきた様子です。
騒動の発端は、ダーバンという港町がある南部のKZN州というところなので、そちらの方が被害が大きいようです。
私の住むヨハネスブルグのあたりでも、タウンシップと呼ばれる郊外の居住地(アパルトヘイト時代、非白人用の居住地として割り当てられたため、経済的に非効率な立地にあり、今でも所得が低く、失業率も他のエリアに比べて倍あるところも珍しくありません)を中心に、襲撃がありました。
幸いにも、私たちが住むエリアは、所得が高い人が多く、襲撃については日本にいる人と同じくニュースを通じて見ている感じで、実際に自分の目で略奪を見ることはなく、過ごすことができています。
ただ、このエリアのショッピングモールなどを支える労働者(レジ係やウエイター、清掃員など)が住むのは、ここから片道1時間以上するタウンシップやダウンタウン。彼らの住むエリアは少なからず被害を受けたようです。
従業員の身の安全の確保かつ防衛のため、モールを数日間閉鎖しており、今日も時間短縮で営業しているようです。
昨日話をしたウエイターは、アレクサンドラという大きなタウンシップのあたりに住んでいるらしく、近所では収入がない人が多く、かつモノが不足し、パン一斤買うにも苦労する家庭が多いそうです。
スーパーマーケットの従業員は、いつもは制服を着ているのですが、今日は全員私服でした。失業率の多いエリアで、制服を着て出勤することは、さらに苦しい状況にいる近所の人と摩擦を生み、ねたまれることがあるからでしょう。
コロナ前から3割ほどの失業率があった南アフリカ。
人種別統計にすると、特に人口の約8割を占める黒人の失業率はそれ以上。その中でも、タウンシップなどの歴史的に阻害されたエリアの失業率は、ともすれば6割以上に上ります。
間違いなく今回の暴動により、生活はますます苦しくなることだと思います。
特にタウンシップの生活を支えていた3-4割の人々も、今回の出来事で失業したりすれば、コミュニティ全体に負の影響がありそうです。
「ズマ大統領を釈放せよ」
今回の騒動の発端は、ズマ前大統領の逮捕。そもそもズマ大統領が退任したのは、グプタファミリーというインド系の富豪との汚職の疑いがあったことから。現在グプタファミリーは、UAEに逃げていますが、この度ズマ前大統領は有罪に、刑が執行されることに。
政府として「汚職を許さない」強い姿勢を見せたと評価されていた本件。南アのホワイトカラーの人たちと話している限り、ズマ前大統領の退任も、今回の政府の判断もポジティブにとらえられている印象でした。
しかし、ズマ前大統領には多くの支持者もいたようです。特に彼の故郷であるKZN州では、今回の刑の執行に反対してプロテストが起きました。
そこから商店や工場、倉庫への襲撃・略奪、放火まで発展。店舗のオーナーなどは、それに対抗して(時に銃をもって)武装する、という事態に。
#ShutdownKZN The aftermath! The N3 in Mooi River set to remain closed for the better part of the day. Trucks were torched during #ShutdownKZN protests for #FreeJacobZuma. #eNCA pic.twitter.com/EPsOD5fP6L
— Siphamandla Goge (@SiphamandlaGoge) July 10, 2021
[HAPPENING NOW]#JHBSHUTDOWN
— Chriselda 'Babes We Ndaba' Lewis (@Chriseldalewis) July 12, 2021
Looting continues at a Mall in Katlehong.#JHBViolence#SABCNEWS pic.twitter.com/Sq5qjuImml
警察も軍隊も出動しました。
JUST IN
— Chriselda 'Babes We Ndaba' Lewis (@Chriseldalewis) July 13, 2021
Army deployed to Soweto now#SABCNEWS pic.twitter.com/Cz7HikRMiS
1994年の民主化に関連したプロテストを彷彿とさせるまでに発展しました。
実際にアパルトヘイト時代は、非白人のリーダーが投獄されたとき、類似のプロテストや暴動を通して抵抗運動が行われていました。
特に「ズマを釈放しろ」を連呼しながら走る姿は、まさにその時を連想させるものだったようです。(パートナーがアフリカ系なので、ズールー語などで何と言っているか、教えてもらいながらニュースを見ていました)
「暴力は何も解決しない」
今回の暴動で、「プロテストの権利はあるが、略奪はよくない」「暴力は何も解決しない」「経済に大きな打撃があるし、ばかげたことはやめよう」と、そんな呼びかけやコメントが見られました。
本当にそうだと思います。
暴力がおさまって、「平和」「平穏」な日々が来るのを願っている人や、こうした「犯罪者」に対して、武装して立ち向かう人もいたようです。
今回の暴動で、多くの死者も出ていますが、そのうち半数ほどは「殺人」とのこと。※リンク先は観覧注意
モールや倉庫はもちろん、外国人経営のお店も狙われていたようで、南アにはびこるゼノフォビアも感じます。
「People are hungry」
ただ、今回の騒動を見ていても、参加する人の目的は、ズマの釈放だけではないでしょう。特に、ズールー語が分かる人が映像を見ると、釈放のためだけが動機ではないと感じるようです。
興味深いな、と思ったのは、テレビのインタビューでも、SNSでも、身の回りの人でも、特にタウンシップに住んでいる人や、労働者層の人からは「People are hungry」という言葉をよく聞きます。
私のパートナー(Xhosa系のアフリカ系アフリカ人)が、このニュースを見たときに、一番初めに発した言葉も「People are too hungry now」でした。
お腹を空かしている。
その日の食べ物にも困っている。
コロナ前から半数以上の人が職なし、子どもたちが高校を卒業できる割合も低いエリアが受けるコロナの影響は、高所得層のエリアと比較になりません。
労働者層が多い彼らの職種は、ロックダウンの影響をもろに受けます。
暴力はいけない。
何も解決しない。
そんなことも彼らはわからないのか?
食べ物にも困っている。朝晩は0度近くまで冷える冬の南アフリカで、当然燃料を買うこともできない中ような状況がある。
そんなことを想像すると、今回のような目に見える暴力はわかりやすく、糾弾しやすいけれど、彼らが日々直面している構造的なものは、いったい何なのでしょうか。
タウンシップの成り立ちからしても、アパルトヘイトの歴史や人種間の格差などは、今でも色濃く残っています。
そんな構造的暴力は、見えにくいし、簡単に「そんな現状知らなかった」と言ってしまうことすらできます。
でも、構造的な暴力も、今回の暴動と同じように、注目されるべき大きな問題なのではないのでしょうか。
アパルトヘイト時代から何が変わったのか
今回の騒動は、冒頭に添付した日本の報道でも、1994年以来の大きな運動だといわれているようです。
アパルトヘイトが終焉してから27年経った今年。まだ当時の運動を記憶している人も多くいます。
この30年弱で、南アフリカはどのくらい変わったのでしょうか。
「プレイヤーが変わっただけで、構造的には変わっていない」
そんな声も聴きます。
実際に、下のツイートのように、貧富の格差には目を覆いたくなる時があります。所得格差を表すジニ係数は、世界最悪レベル。
Inequality of South Africa will be the end of us.#ShutdownSA pic.twitter.com/pbEufQfeUQ
— Dr Mashobadieta 👞 (@uhurumelanin) July 13, 2021
所得だけでなく、資産にも格差があります。
よく言われるのが土地の所有。人口の1割にも見たいない「白人」層が、7割以上の土地を所有しているそうです(2017年)。
この構造は、アパルトヘイト時代は、85%ほどの土地を人口17%の白人層が所有していたというので、大きく構造は変わっていません。
ここからは私の意見ですが、もともと人口の2割弱だけが人権があるような状態で、残りの非白人層が社会を支える構造だったところに、突然全人口に権利を認めたところで、ほとんどの人が負ける椅子取りゲームです。
経済規模がとてつもなく拡大しない限り、インフラ整備やホワイトカラーの職、大学の受け入れ人数は、人口に対してとても限られています。
このもともと人口の2割弱にしか対応していない、アッパーの世界だけみると、確かに人種も多様で、まさにポストアパルトヘイトの虹色の国、とイメージさせます。
けれど、その裏で、その他多くの低所得者層の生活は、アパルトヘイト時代から大きく変わっていないのが現状のように感じます。
この、アパルトヘイトからどれだけ変わったのか、はよく議論になります。
なかには「ネルソン・マンデラ裏切者説」まであります。
これは言葉は強いですが、結局構造的、経済的な改革はなされず、大勢の国民の生活が変わっていないことを皮肉って生まれた言葉のようです。
もちろんそれを踏まえた上で、マンデラは当時できることをやりきったので、構造的な改革は次の世代に課された大きな課題だ、ととらえている人もいます。
つまりは、まだアパルトヘイトの構造は残っていて、改革の途中だということなのでしょうか。
プロテストの文化
今回のようなUnrest(騒動)は、これほどの規模ではないものの、実は南アフリカでは頻繁に起きています。
民主化された日が浅いというのに、南アフリカは意外と投票率が低いです。
日本もなかなかの低さですが、それ以下の50%程(2019年)。
投票の日は祝日になるのですが、カレンダー通りに休めるオフィスワーカーは限られており、接客業や清掃、セキュリティなどの方はあまり関係なかったり。
私のパートナーも投票には否定的。昔1度投票に行ったことがあるそうですが、行き帰り+列に並んで4時間かかったと言っていました。
ポストアパルトヘイトの南アフリカは、プロテストによって生まれたと言っても過言ではありません。
投票だけが意思表示の手段ではなく、プロテストやストライキも、権利として認識されています。(とはいえストライキは、生活者としては不便もありますが…)
略奪はもちろんNGですが、プロテスト自体は、意思表示として受け取られている空気を感じました。
私たちが見過ごしがちな声
本題に戻りますが、今回の騒動について。
経済的な被害は甚大です。これによって、生活が困窮する人、影響を受ける子どもたち。見ていて苦しい。(文字にすると、なんだかまた虚しい感じがしてきます)
でも、これが沈静化したら、一軒落着、なんでしょうか。
一目でわかる暴力行為がなくても、構造的な暴力の中で、苦しめられ、機会を奪われている人たちの声は、なかなか届きません。
ちょうど週末に読んでいたVivian Mayのインターセクショナリティに関する論文で、心に刺さった一文があります。
[T]hose who have had access to more power and privilege may be less reliable knowers due to their social location: just as marginality yield insight, access to power can skew perception.
(DeepL訳)より多くの権力や特権を手にした者は、その社会的立場から信頼性の低い情報提供者となる可能性があります。周辺化されることが洞察力を生むように、権力へのアクセスが認識を歪めることもあるのです。
これは、(権力や特権の少ない立場である)黒人女性は、その社会的立場や経験から、社会構造をより良く分析し理解することができる、という一文の後に書かれていたものです。
日本からアフリカや南アフリカに関わるとき、私たちは特権的な立場から関わることが多いです。(先進国から国境を越えてきていますしね)
そして、その特権的な立場からは見えにくい現実があることに、自覚的でいたい。そう強く思います。
民主化されて、すべての人種が平等に権利を持つとされている南アフリカでは、マジョリティであるアフリカ系南アフリカ人が政治を治め、かつての不平等な構造を是正するためにアファーマティブアクションが取られています。
その流れの中で、「昔の方が良かった」と言う言葉も聞きます。アファーマティブアクションはないし、今よりも治安が良かったと。
そう昔を回顧する人は、果たして本当に非白人を対等な人間としてみているのでしょうか。人口の80%ほどの犠牲の上に成り立ったシステムの方が良かったという言葉。(私の通う大学院の教授は、南アフリカにおけるWhitenessなどを研究しているのですが、彼女はよく「(アパルトヘイトは)世の中で最も腐敗した政府の一つだったというのに、良かったという人の気持ちがわからない」といいます)
物理的な暴力や犯罪は今よりも少なかったとしても、その構造によって虐げられてきた人々の苦しみは、無視されるべきではないと感じています。
今回の騒動も、「野蛮な貧困層(アフリカ系国民)」で思考停止をしないでいたいのです。
彼らも同じ人間。そこまでの行動に至ってしまったのは、なぜなのか。
繰り返されないためには、どうすればいいのか。
以前プレトリアでお会いした、国際協力機関から派遣されていた専門家の方は「南アフリカには、先進国と途上国が同居している」と表現していて、なるほどな、と感じました。
これは南アフリカの現状を表すわかりやすい表現ですが、一つの国や社会にも複数のリアリティがある、と言うのは、どんな社会にも当てはまると思います。
なにも、特権的な社会的立場の人の経験や意見に、価値がないと言っているわけではありません。
ただ、見過ごされがちな立場の人の声にも、耳を傾けていたいのです。
(もちろん、インターセクショナルな視点は忘れずに)
この、わかりやすい暴力と、構造的な暴力について考え、もやもやとした1週間でした。
ネルソン・マンデラの日、わたしたちにできること
めちゃめちゃ長くなりました。
話は戻って、ネルソン・マンデラの日です。
67分だけ、ちょっと社会にいいことをしてみませんか?
こちらのサイトに、今日から始められるアクションが載っています。
一部日本語(意訳)で紹介します。
・近所の清掃をする
・ローカル企業をサポートする
・気になる社会問題を調べて、SNSでシェアする
・寄付をする
・路上生活者にサンドウィッチを作って、一緒にランチを食べる
・ファーストエイドを学ぶ
・献血をする
・臓器ドナーになる
・リサイクルをする
・近所の人も楽しめるようなガーデニングをする
・落書きを消す
・ボランティアをする
・図書館に本を寄付する
・高齢の方のために買い物をする
・必要な人のために、編み物をして寄付する
・NPOについてのブログを書く
・プロボノ(時間の寄付)をする
…などなど
そして、ヨハネスブルグに住んでいる私たちに、心配のメッセージをくださった方、ありがとうございます。
とても嬉しかったです!
私たちは恵まれていることに、日々の生活は問題なくおくれているので、(この事実自体が、ヨハネスブルグ内の分断を感じさせるのですが)
それよりも、もっと必要な人たちにぜひ緊急支援やサポートをしていただけると私もとても嬉しいです。
◆Rebuild SA(Facebook Group)
南ア国内でも、チャリティー活動がどんどん始まっています。
直接南アフリカに寄付できないけれど、寄付をしたいという方が万が一いましたら、相談ください。
★Melson Mandela Foundation(ネルソン・マンデラ基金)へは、クレジットカードを使って寄付が可能です。👇
★ラグビー代表、コリシ選手の夫妻がやっているコリシ基金でも、#RebuildSA のために活動しています。
いろいろと書きましたが、それでも南アフリカのレジリエンスは強いと信じています。
それでは。