【サイケデリックは旅である】アヤワスカとマッシュルーム
※本記事は筆者の個人的な体験と考えに基づいたものであり、サイケデリックの使用を推奨するものではありません。サイケデリックの使用については、個々の体調、アレルギー、またお住まいの地域における法的な規制を十分に考慮し、自己責任のもとで判断してください。
サイケデリックって聞いたことある?
まず、この動画を紹介したい。
サイケデリックをやったことがあるひとは、みんなより良い人になったと言う・・・
サイケデリックは、私たちのものの見方/視点を変えてくれる・・・
メディテーションなどいろんな方法があるが、サイケデリックが大きく違うのは、たとえて言うと、(メディテーションは)山を歩いて登るようで、(サイケデリックは)頂上にワープするくらいの違いがある
(サイケデリックによって)人生の複雑さに気づくことができる
ビジョンが拡張することになんの意味が?という問いを持つ人がいるが、それは「なぜ学校に行って勉強するのはなぜ?」「旅をするのはなぜ?」と聞くようなものだ。一度世界が拡張したらもう戻れない。世界の見方が変わるのだ
私は何者か?という哲学的な問いに立ち向かうことである
人間を人間たらしめるのは、”意識”である。それは人間の経験そのものだ。
メディテーションが一つのツールであるように、サイケデリックも一つのツールなのだ。
意識を開くと言うのは、通常は見えない世界に、信念を超えた世界に連れていってもらえると言うこと
自分自身よりも大きな現実を見ることができる。
ただ、車と同じように、注意しないで使うと危険である。理解しないでサポートなしで使うことは危険が伴う。
(サイケデリックの後は)インテグレーション=統合が必要だ。溢れた情報を集約することで、サイケデリックの経験から何かを得ることができる
混乱から、より明瞭な世界に移行することができる
自分の中の制約を外すことで、コミュニティでより良い働きができるようになり、変化が生まれる
その経験の後、拡張した自分自身は、それまでの自分とは別のものになる
この動画の中では、サイケデリックについて、こんな言葉が並ぶ。
(日本語は、筆者による意訳)
EXPAND - 拡張する
サイケデリックとは、日本語では幻覚剤、幻覚剤によってもたらされた経験全般のことを言うようだ。
世界の至る所にあるシャーマニズムなどの儀式でも広く使われる。宗教的儀式や自己啓発の一環として、古代から人類が行ってきたことである。
私の初めてのサイケデリックの体験は、アマゾン地帯で古くから実践されている「アヤワスカ」と言うもの。3―4年くらい前になる。
ペルー人の知り合いから教えてもらった。私の住んでいる南アフリカでも、実践してくれるシャーマンがいるということで、3日間のリトリートに参加した。
2度目は、マジックマッシュルーム。マッシュルームにもいろんな種類があるらしく、ヒーリングセラピーをしている人から、種類や量のアドバイスをもらってリトリートという形で実施した。
正直、アヤワスカをやろうと言われた時、私は全く興味はなかった。当時、仕事をしながら修士課程を始めたばかりで、1分1秒論文を読む時間が惜しかったので、3日間デジタルデトックスしてリトリートに参加することに、少し躊躇いがあったのも本音であった。
どんなことが起こるのかの怖さと、そんな何か変わるわけはないという半信半疑な気持ちもあった。
ただ、やってみた今、「拡張」の経験や、そこで出会った人とのむき出しのつながりは、確実に今の自分の中に生きているし、また機会があったらぜひやりたいと思っている。
重層の夢に沈んでいく
リトリートに参加している人たちは、南アフリカ人からアメリカ人まで、いろんな人がいた。元々キリスト教のバックグラウンドがある人も、ヒンドゥー教の人もいた。初めての人もいたし、もうすでに何度もトリップをしている人もいた。
リピーターの人たち曰く
「毎回違う旅がある」
そうだ。
アヤワスカは月、女性のエネルギーがある植物だという。
リトリートに参加するにあたって、準備が必要だ。
食事の制限や禁欲など、数週間にかけて、コンディションを整えていく。
ジャーナリングや瞑想をしながら、ゆったりとした時を過ごし、夕方からセレモニーが始まる。
アヤワスカの旅に出発だ。
正直全く期待も何もしてなかったが、私はリトリートの仲間の中でも、深く旅をした方のようだった。
旅をファシリテートしてくれるシャーマンが、音楽や水を使って誘導してくれるのだが、それがなかったら深い深い、何層にも重なった世界にどんどん沈んでいってしまうようだった。
映画『インセプション』をみたことがあるだろうか?何重にも重なった夢の世界の話なのだが、その監督もアヤワスカの経験者で、このサイケデリックの旅が物語にインスピレーションを与えていると言われている。
私の経験は、まさにそのような、重層の夢の中に沈んでいくようで、それぞれの階層でさまざまな体験をした。
リトリートの中で、アヤワスカを2回、サンペドロともう一つ(名前を忘れてしまった)いう別の薬草による体験もした。
具体的にどんな、という話はここでは割愛するが、自分がこれまでみないようにしていたアイデンティティの深いところにあるものや、傷に触れるような体験だった。
自分の存在の輪郭自体が、揺らぎ、拡張していく感覚。
ファシリテートがなかったら、どこまで遠くにいってしまったのだろう・・・。
共に参加してくれたパートナーは、幻覚やトリップをほとんど体験できなかったようだが、大きな拡張と揺らぎを体験した私をそばで支えてくれた。
冒頭のビデオで語られた言葉たちは、この経験をした自分にはとてもしっくりくる。
リミナルな、現実と夢の境界にいるような感覚、そこで拡張した体験は、他では変え難いものであると同時に、ナビゲーションの仕方によっては、恐ろしい結果になるような感覚もあった。
INTEGRATE - 統合する
リトリートの最後は、統合の時間である。
ジャーナルを手元に、自然の中で、自分との対話の時間。
リトリートのサポーターの一人が、ケニアのマサイ族の人だったのだが、タロットカードを引いてくれた。
風の音、太陽の光、全てがメッセージのように思えてくる。
自然の中で自分との対話の時間が終わったら、最後は参加者同士で言葉をシェアした。
私は、特定の宗教を信仰してはいないのだが、仏教の幼稚園に行き、キリスト教の大学に行き、大学時代は中東地域、特にエルサレムの周辺に何度も足を運んだ。大学4年生くらいからインドにハマり、メインのヒンディー教から、先住民の土着信仰まで、さまざまな人の信仰や精神性について触れ、考えることが人より多かったように思う。
日本でいても、クリシュナのヒンドゥー寺院や、正教会に足を運んで、さまざまな世界の見方を学ぶことが好きだった。
何か決まった型として、信仰する宗教を探すような旅ではなく、さまざまな形の信仰から、自分なりの世界との関わり方を探求してきた私の視点や経験は、アヤワスカのリトリートにきた他の参加者にとって、とてもインスパイアリングなものだったそうだ。
多くの人が、特定の宗教の枠組みの中で育ち、人生のどこかのタイミングで違和感を持って、この旅に参加していたようで、私の世界観は、全く違う立場からの世界の見方に感じられたようだった。
そして、マッシュルームの旅
そんなアヤワスカの旅。
日常に戻った後も、清々しく身体が軽くなった感覚がしばらく続いた。
(物理的にデトックスできたというのもある)
そんなにすぐリピートするようなこともなく、仕事や学業などさまざまなことに追われていたのだが、昨年久しぶりに2回目の旅に出た。
マッシュルームについては、アヤワスカのリトリートでも聞いていて、軽いものを半日くらいの時間で体験した。
日々に忙殺される中で、もう一度、逃避するように拡張する時間が必要だと、直感的に感じたからだ。
なんとなくだが、私はおそらくサイケデリックが効きやすい体質な気がする。
マッシュルームの体験も、一緒に旅に出たパートナーと比べて、ずっと深く長く、音楽などのファシリテートがなかったら、ずっとずっと拡張してしまうところだったと思う。
人間の身体や意識は、私たちが思っているよりも、ずっとずっと多くの可能性があるのだろう。
同時に、人間はそんなに強くない。アヤワスカもマッシュルームも、偉大な自然の力をお借りして、ガイドしてもらう。
ただ、依存したり、意識の弱さに漬け込まれてしまうこともあるだろう。
サイケデリックについては、いろんな意見があることは認識している。
ただ、近年は科学的にも研究が進んでいるようで、個人的には、付き合い方によっては、とても有効なツールだと思っている。
自分の意識の外側にあるものに、拡張していくことは、怖さも伴う。けれど、その先にあるものに触れてみたい。
いずれにせよ、人生という旅路は、先には進めても、後に戻ることはできないのだから。