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自分の身体の権利を知ること:アフリカで命を授かる①

仕事関係の人以外には、あまり公にしてきてなかったのですが、現在妊娠40週目。いつ産まれるか、とそわそわしているこの頃です。

南アフリカで妊娠し、妊娠中もサモアや日本、ルワンダなど飛び回ったのですが、出産はここ南アフリカのヨハネスブルグでする予定です。

前から書き留めていた記事をちょっとずつ公開していこうと思います。

2024年、陽性

南アフリカに移住して、6年目の今年、子どもを授かりました。
実は妊娠したのは初めてではなく、5年ほど前にここアフリカで中絶薬によって中絶を選択したこともあるのです。

命への考え方、権利の考え方、家族の考え方・・・アフリカで暮らしていると、いろんな枠組みがゆらぐことは多い。

南アフリカは、アフリカの中で最も産業化している社会で、都心に行けばまるで先進国のような装いをしている一方で、多数派の人はその恩恵を受けるというよりも、それを下支えするために身を粉にして働いていたり、失業状態で苦しい生活をしています。

社会構造の歪みは、他でもない、植民地時代からアパルトヘイト時代と続いてきた暴力的な構造による影響も大きいと思っています。必ずしも人種のラインだけが、社会の暴力を規定しているわけではないけれど、元々人種によって規定された社会階層を跨ぐことは容易ではないのです。社会経済構造は、壁となり人々の前に立ちはだかります。

それでも過去からの反省から、かなりプログレッシブで人権中心の憲法や政治体制が作られている国であり、政治分野はかなりユニーク。

ジェンダー・セクシャリティ、そして言語も含めた権利を認める動きは強く、最近12個目の公用語に手話が追加されたり、ヨーロッパの多くの国よりも早い2006年から同性婚が合法となった(今でもアフリカで唯一同性婚が合法である)国でもあるのです。

南アフリカで学んだリプロライツ

南アフリカは世界で最もHIVエイズ感染者が多い国でもある。上述した通り、リベラルな政治の中で、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR:性と生殖に関する健康と権利)と言われる分野の理解も進んでいる。

そもそも感染症が蔓延する中で、命に関わる大事な問題だったこともあり、性教育や権利について、貧困層まで教育が行き渡るきっかけにもなったそうです。
それでも、特に田舎や貧困層に行くほどスティグマや強いジェンダー規範が残り、GBV(Gender Based Violence)は大きな社会問題であり、フェミサイドなども多いが、特に教育を受けた層は、性教育やSRHRに明るい人が多いのです。

私が中絶を決めた時、親になるさまざまな余裕はなく、「今ではない」という思いがありました。
日本ではよくあることかもしれないけれど、それなりの大学を出たとしても、この分野の知識が欠如している人はかなり多くいると思います。日本の中絶費用は決して安くはなく、全員が取れる選択肢ではないことから、苦境に立たされる人も多いと言います。

幸い、私のパートナー(今の配偶者でもある)は、権利についての考え方の土台があり、産む決断も、中絶する決断も、どちらがいいと自分の意見は全く言わず、すべて私の意志を尊重してくれました。

産むことを選ぶのであれば、それを最大限尊重する。2人で責任を持って育てられるように仕事やいろんなことを一緒に考えていこう。
今は産まないというのであれば、それももちろん尊重する。今ならクリニックで、薬で負担が少ない選択もできるはず。
特に妊娠初期は、産む産まないは母体が意思決定する権利があるから、どんな選択をしてもサポートする

こんな言葉が返ってきたのです。正直全く想像していませんでした。
中絶ということについて真剣に考えたこともなかった私は、とにかくよくわからなかったというのが正直な気持ちでした。なんとなくそれは罪なような気がしたし、そもそも中絶は手術をしないといけない大きなことだと思い込んでいたのです。(当時日本では手術しか選択肢がなかったので、日本語で検索して調べたところで、不安を煽られる情報しかなかったのもあります)

少しずつ、パートナーやクリニックの人と話して、世の言う”モラル”やスティグマからではなく、権利や医学的な観点から考えることができ、その時の決断をしたのでした。

それから結婚をして、修士を修了したタイミングで、今の自分たちであれば子どもを育てると言うこともイメージできるようになってきたタイミングで、子どもを授かりました。

そもそも私は、結婚も親になると言うことも、あまり夢見たことがない人生だったのですが、生まれ持った国籍が異なるパートナーを暮らすようになって、結婚という契約がないと、同じ国で共に過ごすことすら難しいという現実に直面しました。そんな中、子どもができると言うことは、その2人のつながりを強固にするような気もしたし、5年前に一度深く考えることができたからこそ、親になると言うことも選択肢として拒絶するものではないのかもしれないと、思えるようになったのかもしれません。

産まない権利もある、が、産むと言う事自体がもっと多様になるのかもしれない

5年ほど前、私は”産まない”と言う意思決定をしました。
中絶の後、避妊についても知ることができたし、南アフリカのクリニックでは、ライフスタイルに合わせて注射やパッチ、コンドームからIUDまで、同額で処方してくれました。

この経験を通して、気がついたこと。それは、

産むと言うこと、親になると言うことを、私は嫌悪していたということ。

なぜ嫌悪していたのか。今振り返ると、2つの観点があると思っています。

①ジェンダー意識
私はジェンダークィアだと認識していて、女性というアイデンティティやガールズで集まる場がすごく心地悪いと感じる時があります。
なので、母になると言うことに違和感があるのだが、親になると言うことを、今のパートナーとであればお互いニュートラルでいれると感じることができていて、それが「今のこの形であれば、いいのかもしれない」と思えたきっかけだと思うのです。
そうでなければ、極度にジェンダー化される妊娠という時期と母親という役割を、どうしても好きになることはできなかったのだと思います。

②”トレードオフ”という思い込み
要は、”女性が親になる”ということは、何かを諦めることだと思っていたのです。子どもが産まれたら、キャリアや自分の時間など全てそこから変わってしまう。パートナーがいたとしても、責任の多くは女性側にある。そう思っていたのです。

ただ、この自分の中で固定化されていた”当たり前”は、そうでもないのかもしれない、とアフリカに来て気付かされました。

南アフリカで大学院に行っているのですが、修士課程にも母親は多くいたし、4ヶ月の子どもを抱えて教壇に戻ってきたポスドクの女性とも話しました。何を隠そう、私のスーパーバイザーの教授自身、3人の子ども(一人は障害がある子だったそうです)を育てながらキャリアを築いてきた女性です。他にも、子どもを育てながら起業したり、学士を終えたり、パワフルな人にたくさん出会いました。子どもがいても、月に何度かは夫婦でディナーに行ったり、そんなゲートウェイを楽しむことも当たり前に行われています。

なぜそれができるのかというと、”当たり前”の考え方だけでなく、社会的にもそれを可能にする仕組みがあるように思っています。
・富裕層になれば、フルタイムでナニーさん(ハウスワーカーさん)を簡単に雇えること
・大学などの教育施設でも、子どもを預けられる設備があること
・父親も母親も子育てに参加しやすいこと(驚くことに幼稚園や小学校のお迎えのジェンダーは半々くらいだそう。父親がベビーカーを押しているのもよくみる)
・近所の人のサポートも日常的に行われること
・貧困層でも、各大家族で子どもを”みんなで育てている”こと

そんな南アフリカという場所であれば、子どもを授かることはそんなに怖くないかもしれない・・・
そう思えたことは大きかったと思います。(振り返ると、初めからこの環境で育っていたら、5年前の決断も変わっていたかもしれないとさえ思います。)

自分が思い込んでいた”子どもを育てる”と言うことは、たくさんある形の一部でしかなく、本当はもっと自由で良いのかもしれない。そんな気づきがあったのです。
一つ目のジェンダーに関しても、自分のありのままを認めてくれて「子どもができたら、フルサポートするし、一緒に時間を過ごそう」と言ってくれたパートナーの存在も大きい。

11月の今、ベイビーは無事ここ南アフリカで産まれてきました。

ですが、このエントリーを書いたときは実は、妊娠20週目の頃。
少しずつ書き留めていたものを記録としてちょっとずつ公開していこうと思います。

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