「ポテトチップス」③
「ちょっとあんた、こんな時間にどこに行くのよ?もう暗くなるのに」
ソファーに腰掛けた母ちゃんが煎餅を食べながら言った。暗くなるといってもまだ夕方の4時だ。小学生でもあるまいし、もう高校生なんだから子ども扱いするのは勘弁して欲しい。
「ちょっと友達ん家に行ってくるから」
めんどくさいから母ちゃんには嘘をついて家を出た。俺の足はさっきナツキと別れた公園に向かっていた。ナツキがもう公園にいないことはわかっているが、LINEの文字だけで俺の人生が決まってしまうのは嫌だった。
普段見慣れた街並みなのに、今は違って見える。いつまでも醒めない夢の中を行ったり来たりしているような気分だ。
ナツキのことを可愛いと思ったことはあったけど、好きだなんて考えたことが無かった。心のどこかに、好きになっても仕方ないだろ、諦めろよ、お前なんか女の子と付き合えるわけねーだろって言う自分がいた。誰かを好きになって傷つきたくなかった。俺の中にあった恋心の欠片は、紙に包んでテープでぐるぐる巻きにして、心のずっと奥の誰にも見られない箱のなかにしまっておいたはずだった。
それがナツキに告白されたとたん、どんどん溢れ出てくる。モヤモヤした形の無いものが思考のトンネルをくぐり抜け言葉になった。
「ナツキが好きだ」
俺は足早に公園に向かった。あまりにも夕日が眩しくて目を細める。赤信号で立ち止まると、ちょうど運送会社のビルに夕日が重なったので、俺はしっかりと目を開けた。薄いピンク色の雲がゆっくりと流れていく。
今さらナツキに告白しても遅いかもしれない。だけど、今までみたいに自分の気持ちに嘘をつくのは嫌だ。公園に着いたらLINEで呼び出そう。フラれてもカッコ悪くても逃げずに正直に伝えるんだ。俺はビルの向こうの夕日に誓いをたてた。
コンビニの前で俺の足が止まった。そこにはナツキがいた。コンビニの袋を持ってうつむき、虚ろな目でスマホを見ている。その姿を見た瞬間俺はギュッと胸が苦しくなり、また逃げ出したくなった。
でも、ナツキは俺よりもっと辛くて、そういう目に逢わせたのは俺で。とにかく謝らなければ。
「ナツキ!」
俺は遠くから呼んだ。しかし、ナツキは気づかない。俺がコンビニの前まで行こうとしたそのとき、横からものすごい勢いで自転車が飛び出してきた。
「キキーッ!」
自転車はものすごく大きな音をたてて止まった。
「危ねーだろ!何ボーッっとしてんだよ。俺がコケて怪我でもしたらどう責任とってくれんだよ。オイ、謝れ!謝れよ!」
眼鏡をかけたサラリーマン風の男が、ものすごい剣幕でまくし立てた。
男の怒鳴り声に気付き、ナツキが顔を上げた
「ユウヤ…!? ユウヤじゃない!大丈夫?」
ナツキがすぐさま駆け寄ってきて、俺と男の前に割って入り、自転車の男をキッと睨み付けて言った。
「ちょっとあんた、ユウヤに何してんのよ!急いでるのかなんなのか知らないけど、さっきもすごいスピード出してたわよね。なんなら一緒に警察にでも行きますか?言っておくけど全部防犯カメラに映ってんだからね。」
すると男は「チッ、ガキが」と捨て台詞を吐き、慌てて自転車に乗りその場から立ち去った。
「ユウヤ、大丈夫?怪我は無い?」
ナツキが心配そうに俺の顔を見て、肘にそっと触れた。
「ありがとう、大丈夫だよ。ナツキ…すごいね。大人の男の人に対してあんなに強く言えるなんて」
「だって、ユウヤに何かあったら私…」
ナツキは途中まで言いかけてうつむき、口をつぐんでしまった。
「俺、ナツキに謝りたくて、公園に戻ろうと思ったんだ。戻ってもナツキがいないことはわかってたんだけど。とにかく会って話さないと伝わらないと思ったから」
ナツキはうつむいたまま聞いていたが、顔を上げて
「そうなんだ、いいのに。わざわざごめんね。でも、もう大丈夫」
と俺に言った。
わかってるんだ。ナツキの「もう大丈夫」は、諦めるときの言葉。数学を教えているときに何度か聞いた。いくら俺が教えたくても、それを言われたら強制終了だ。
「ナツキ、少しだけ時間ある?良かったら公園まで歩かない?」
今度は俺から誘った。
「うん。いいよ」
俺とナツキは公園に向かって歩いた。サクッサクッ、落ち葉の上を俺たちは歩く。
「ナツキ、俺ずっと自分の気持ちに気づかないフリしてた。誰かを好きになって傷ついたりするのが嫌で、ずっと気持ちをそらしてた。だから、ナツキのLINE見ても信じられなかったんだ。好きなら直接言ってくれれば良かったのに…」
「ちょっと、待って。一緒に歩いてる時に言ったよ。好きだって。ユウヤが聞いてなかったんでしょ」
少し怒ったようにナツキが言った。
「えっ、そうなの?本当にごめん。謝るよ。あの時はちょっと他のことを考えていて…」
「ユウヤ、無理しなくていいよ。なんかね、自分の気持ちがわからなくなっちゃったんだ。そんなの変だよね……そう、変だよ。私が変だっただけ。気にしないで大丈夫だから」
ナツキは無理に笑顔を作り、早口で言い終えると俺から少し離れた。いつもならここで強制終了だが、今日の俺は違う。今を逃したらもうこの瞬間は二度と訪れないだろう。言わずに後悔したくない、その気持ちが俺を突き動かした。
「ナツキは大丈夫かもしれないけど、俺は大丈夫じゃないよ。もし、今のナツキが俺を嫌いでもいい。あの時ナツキが自分の気持ちを素直に伝えてきてくれたから、気づくことができたんだ。だから、カッコ悪くてもいいから、自分の気持ちを伝えたかった」
俺は自分でも驚くくらい真っ直ぐにナツキの目を見てゆっくりと話した。
「俺はナツキが好きです。ナツキの笑顔が、優しさが大好きです。俺のそばにいて欲しい。俺と付き合ってください」
すると、ナツキは一瞬驚いたような顔をしたかと思うと、すぐに真顔になった。ナツキは目に涙を浮かべながら俺に言った。
「……嬉しい。やっぱりユウヤの真面目な顔はかっこいい。私もユウヤにフラれて、自分の気持ちから逃げようとしてた。好きだなんて私の勘違いだったんじゃないかって。だけど、やっぱりわかった。ユウヤの真っ直ぐなところが好き。プーさんみたいなのにピアノが上手いところも、アニメが好きなところも、難しい顔も全部好き。わたし、ユウヤの彼女になって、ユウヤみたいになりたい」
「えっ?俺みたいに?それは困る!俺みたいに太ったらバドミントンできなくなっちゃうよ」
「そうじゃなくて、ユウヤの性格みたいにってこと」
えっ?俺の性格?俺の性格ってどういう性格なんだろう。
「あのさ、それってヲタクってこと?」
「ふざけてんの?もう!でも、もし全部嘘でも嬉しい。さっきはあんなに不安だったのに、今はこんなに好き。好きってことはユウヤに恋してるってことだよね」
笑いながら泣いてるナツキのまつ毛がキラキラしている。俺とナツキに芽生えたこの気持ちは、まだ恋と呼べないくらい頼りなく、ポテトチップスのように脆くて、儚いものかもしれない。でも今この瞬間好きだという気持ちは嘘じゃない。
「俺が鈍いから。告るの遅くなってごめんね。」
「遅くないよ。間に合った」
ナツキの白いマフラーが風で微かに揺れる。
「ちょっと座ろうか」
俺とナツキは少し離れて側にあったベンチに座った。さっきから付き合い始めたとはいえ、くっついて座るのはまだ恥ずかしい。
「そう言えば買い物に来たんでしょ?」
「うん。牛乳頼まれたのに、ポテチ買っちゃった。食べたくなっちゃって。牛乳買うの忘れたらお姉ちゃんに怒られちゃう」
ナツキがコンビニの袋からポテチを出して俺に見せた。ドキッとした。このポテチのせいで俺はナツキを失いかけたのだ。
「ナツキもポテチ好きなんだね。俺と一緒」
「ポテチはみんな好きでしょ」
はにかんだ笑顔を浮かべながら、手袋をした手でスカートの裾を直すナツキを見て思い出した。
「そういえばさっき借りた手袋、返してなかったよね」
俺は右のポケットからナツキの手袋を取り出した。
「それ、してていいよ。寒いでしょ」
俺はためらうことなくナツキの手袋を手にはめた。学校で手袋を借りた俺と、今の俺は違う。俺はナツキの彼氏なんだ。今日一日で色んなことが起こりすぎたせいか、実感が湧かない。
そのとき、ナツキが手袋をしていない方の俺の手をそっと握った。
「手袋が片方しかなくてもこうしたら温かいよ。アニメの女の子には無い温もりでしょ」
ナツキはいたずらっぽく笑った。
「うん。温かいよ」
俺はナツキの柔らかくて温かい手が壊れないようにできるだけ優しく握り返した。
そのとき、持っていたコンビニの白い袋が風でふわりと飛ばされた。
「あっヤバい、飛んでっちゃう、早く!」
突然、ナツキは俺の手をギュっと握って立ち上がった。
「ユウヤ、走って!袋が向こうに飛んでっちゃう」
ナツキが俺の手を握ったまま走り出そうとした。小さな体からは想像もつかないほどの凄い力で俺をグイグイ引っ張る。
「えっ俺、走れないよ!待ってポテチが…」
「いいから!早く!」
俺はナツキについていくのが精一杯だったが、久しぶりに走った。
俺とナツキが出会い、同じクラスになり恋に落ちたことは、この大量の落ち葉の中から一枚のポテトチップスを偶然見つけることよりも奇跡的なことだったのかも知れない。
この奇跡を「運命」という一言で片付けてしまうのは勿体ない。どう言えばいいんだろう…地球の…いや宇宙の…
「…だからね、ねぇ聞いてる?」
「えっ何?」
「もう!ちゃんと聞いてよ!」
俺とナツキは手をつないで走った。
サクッサクッと枯れ葉の音がする。
パリパリ止まらないポテトチップスの音がする。
俺とナツキは手を繋いで走る。
俺とナツキの未来へ続く、ポテトチップスの道を。
完
ユウヤとナツキはデート中ですよ💕皆様も素敵なクリスマスを😌