【人が虫を嫌う理由】エッセイ
『人が虫を嫌う理由』
長袖を鬱陶しく感じ始めたある日、私はポツポツと大学から帰っていた。なるべく日差しを避けようと駅を通ることにした。リュックで背中が蒸れ、服が張り付く感触を感じながら階段を上っていると奥行きのある窓の底面に何かが転がっている。無性に気になり顔を近づけるとぎょっとした。くすんだ虹色を発する小指の爪ほどの大きさの虫がホコリに埋もれて固くなっている。僅かに風が流れる度に無数の足や羽がわさわさと蠢き、私もそれに連動して身震いする。死んでいるにも関わらず今にも飛びかかってきそうな虫に言い様のない嫌悪感と恐怖を感じ、改めて自身の虫嫌いを認識した。そこでふと疑問がよぎる。なぜ私はこんなにも虫を嫌うのか。私以外にも虫嫌いは多くいるが何が要因で虫を嫌っているのか。虫嫌いの要因さえわかれば克服できるのではないか、「きゃーきゃー騒いで、男なのに」などと時代錯誤なことを言われずに済むのではないか、そう考え私は人が虫を嫌う理由を探ることにした。
虫嫌いの原因を探るに当たってまずは虫嫌いの感情を細分化していく。大きく分けて二つだ。一つは「恐怖」である。蜂やムカデ、カマキリなどと対面したとき今にも襲われてこの己の指ほどの矮小な存在に命を奪われてしまうのではないかと何度も恐怖したことがある。直接見えなくともふいに桜の木から頭にポトリと毛虫が落ちてくるのではないかという不明瞭な恐怖に包まれ、木陰が休息地から危険区域に早変わりしてしまい生きづらさを度々感じたものだ。二つ目は「嫌悪感」である。蒸し暑い夏の夜、避暑地としてコンビニに立ち寄ろうと近寄ると、おびただしい数の羽虫が光惑わされ入り口近くを埋め尽くしていた。あの光景はいつ思い出しても鳥肌がたってくる。数が一だとしても気持ち悪さは変わらない。わさわさと蠢く無数の手足、どこを見ているのかわからない眼球、ブンブンと音をならし見えない程速く羽ばたく羽。人間とは程遠い見た目と何を考えているのかまったく検討のつかない動きにはいつも気持ち悪さを感じる。詳しく書き出すとキリがないがひとまずはこの「恐怖」と「嫌悪感」を軸に考えていこうと思う。
まずは「恐怖」からだ。『恐怖の正体』の著者である春日武彦氏は同著の中でこう語っている。「①危機感、②不条理感、③精神的視野狭窄――これら三つが組み合わされることによって立ち上がる圧倒的な感情が、恐怖という体験を形づくる」今回はこの三つの組み合わせが恐怖を形作ることを前提として話を進めていく。虫に対する恐怖では特に危機感と不条理感が感じられると私は考えている。深野祐也氏、曽我昌史氏の『昆虫恐怖症の進化心理学と昆虫保護への影響』という論文では昆虫に対する否定的な感情は主に恐怖ではなく嫌悪感であるが人間に直接深刻な傷害を与える虫は例外的に異なると言っている。蜂やムカデなどがよい例だろう。職場や学校の教室に蜂が入ってくることを思い浮かべて欲しい。ブンブンと羽を鳴らしながら自由に密室を飛び回る蜂を見てその場にいる多くの人がその場から離れようとするだろう。人によっては悲鳴を上げるかもしれない。そして多くの場合ではだれかが部屋から追い出そうとするか殺そうとするだろう。このときに蜂を避けようとするのは恐怖なのか、それとも嫌悪感なのか。もう一つ、場面を思い浮かべて欲しい。ハエが職場や学校の教室に入ってきた光景だ。果たして先ほどと同じような騒ぎになるだろうか。確かに私のような極度の虫嫌いは騒ぎ始めるだろう。だが多くの人はそれを「ただのハエじゃないか」と冷ややかな目で見るはずだ。蜂とハエには何の差があるのか。それが人へ与える直接的な深刻な傷害の有無だ。多くのハエは噛むこともなくただ鬱陶しいだけだが蜂は違う。強烈な毒針を突き刺し、激しい痛みを感じさせ、時には命まで奪う。当たり前ではあるが多くの人は死を忌避する。この直接深刻な傷害を与える行為をすることが死を想起させ、死ぬかもしれないという危機感を人に感じさせ、恐怖に繋がっていると私は考える。また、深刻な傷害でなくとも出血する危険性のあるかみきり虫などは血そのものが死を想起させるため危機感を与え、人を恐怖させていると考える。もう一つの恐怖の原因である不条理感は、特に知らない虫に対して感じると考えている。虫と対峙するときにその虫についての知識がないとどう動いてくるのか、どんな危険性があるのか、放置してもいいのか、どう対処すればいいのかまったくわからない。日常の中で見たこともないような虫と出会い、襲われて傷害、もしくは死に直面し、唐突に日常が崩壊する。ここまでの不条理は中々味わえないだろうが、例えば毛虫の存在を知らずに桜の木の下を通り、頭に落ちてきて激痛が走る。しまいには髪の毛に絡まって中々とれなくなる。こういった虫の唐突な日常の破壊者としての面は中々に人へ不条理感を与えるように感じる。こういったいつ、どのように日常を破壊してくるかわからないといい不条理感が虫への恐怖に繋がっていると考えている。以上のことから虫への恐怖の原因は人が死を想起させられることで危機感を感じ、また、いつ日常を脅かされるかわからないという不条理感を感じることによるものであることがわかった。
次は「嫌悪感」について考えていこう。アマンダ・R ・ロレンツ氏、ジュリー・C・リバーキン氏、ガブリエル・J ・オーディング氏による『一部の節足動物に対する嫌悪感は病原体によって引き起こされる嫌悪感と一致する』では嫌悪感は病原体、道徳的、性的な三つの要因に分けられるとしており、虫に対しては特に病原体が当てはまるとされている。この病原体とは微生物による感染などが当てはまるとされており、エボラ出血熱など虫にたいしてのイメージに則している。一方で残りの二つは社会的規範の違反などにあたる道徳的と、生殖適応度に悪影響を与える可能性のある性行動などがあたる性的なものであり、虫とは縁がない。よって病原体の部分のみが虫への嫌悪感を引き起こしていると考えられる。また、深野祐也氏、曽我昌史氏の『なぜ現代人には虫嫌いが多いのか? ―進化心理学に基づいた新仮説の提案と検証―』では嫌悪の強さは嫌悪する対象の感染症リスクの高さに応じて変化するというデータもとられており、虫への嫌悪感が病原体が原因であることがさらに確かなものとなった。簡単な例をだそう。あなたはハエを見かけたとする。場所は二ヵ所だ。一つ目はうっそうと繁った葉の一枚の上にちょこんと乗っかっている。二つ目は家の中で今まさに食べようとしていたハンバーグの上だ。葉っぱの上に乗っかっている限りは感染症にかかることはない。そもそも触れてすらいない。しかし今まさに食べようとしていたハンバーグだと異なる。今まで幾多の場所に乗ってきたその足でハエがあなたのハンバーグを踏みつけ、グリグリと菌をすり付けている。そのまま食べれば体調を崩してしまうかもしれない。あなたは葉の上とハンバーグの上、どちらのハエをより嫌悪するだろうか。おそらく、ほとんどの人はハンバーグについたハエをより嫌悪するだろう。これが感染症リスクの違いによる嫌悪感の強度の変化だ。私たちはこうやって気持ち悪いと思うことで感染症を回避している。「嫌悪感の病原体回避理論」という子洒落た名前までついているらしい。こういった不衛生であり、病原体の媒介者になる以外にももう一つ虫に対する嫌悪感には理由が考えられる。それは虫そのものが病原体と似ているという点だ。虫はサイズが小さく、急速な繁殖率を示すという点で病原体と似ている。そのため嫌悪感を抱くというわけだ。大量の虫がライトに密集してモゾモゾと蠢いている様を見て身震いしたことがあるのは私だけではないだろう。この嫌悪の正体は病原体そのものと似ているからというものだったのだ。以上のことから虫への嫌悪感は虫が病原体の媒介者であることと虫そのものが病原体と似ていることが原因であるとわかった。
ここまできて一つ疑問が残る。小さい子供はなぜ虫を嫌わないのか。先ほど知らないことが不条理感を感じさせ、恐怖するとした。しかし何も知らないはずの幼児は虫を恐怖も嫌悪もしないのだ。私も今はカブトムシも触れないような小心者になってしまったが、小さい頃はよくてんとう虫の蛹を摘まんで遊んでいたものだ。しかし気がついたときには既に触ることはおろか近づくことさえままならなくなっていた。これはなぜなのか。レイチェル•ハーツ著の『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』で少なくとも三歳まではどんな形の嫌悪感も経験しないと述べている。さらにその要因として幼い頃は免疫システムが出来上がっておらず、免疫システムを強くするためにあえて汚いものを触るために嫌悪感を誘発させていないのではないかと論じていた。つまり小さな子は生きるために虫を嫌悪しないのだ。この理論に当てはめると、逆に成熟した大人はもう免疫システムが出来上がっているのでこれ以上無駄に危険にさらす必要はなく、むしろ今まで述べてきた死の危機感や日常を脅かされる不条理感、病原体に感染するなどのような害しかないためそれらを避けるために恐怖し、嫌悪感を抱く。つまり大人もまた生きるために虫を嫌っていると考えられる。これであれば今までの虫を嫌う理論と小さな子が虫を嫌わないことが両立する。よって小さな子供は生きるために虫を嫌いにならず、逆に大人は生きるために虫を嫌うのだ。
以上のことから人々は虫を嫌う理由は、虫を恐怖、嫌悪し、嫌いになることで害を遠ざけ、生存していくためであると考える。
これだけ考察しても虫嫌いを克服できそうにないが「生きるため」というこれ以上ない免罪符を手に入れることができた。私はこれからも出会う虫に恐怖し、嫌悪感を抱いて生きていくだろう。だがそれは生きていくための最適な行動なのだ。だから私は今日も虫が嫌いだ。
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参考文献
レイチェル•ハーツ『あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか』
春日武彦『恐怖の正体』
アマンダ・R ・ロレンツ、ジュリー・C・ リバーキン、ガブリエル・J ・オー ディング『一部の節足動物に対する嫌悪感は病原体によって引き起こされる嫌悪感と一致する』
深野祐也、曽我昌史『昆虫恐怖症の進化心理学と昆虫保護への影響』
深野祐也、曽我昌史『なぜ現代人には虫嫌いが多いのか? ―進化心理学に基づいた新仮説の提案と検証―』