正解がわからないときは自分の答えを正解とする

壮絶なお産を経て、

保管している残り1つの受精卵をどうするか、相談したとき、また、同じことがあったら、今度は助からないかもしれないと、ダンナ氏は【破棄】の選択を譲らなかった。

私の好奇心旺盛、やりたいこと、欲しいものは諦めない性格を良く理解しているダンナ氏は、
私がやりたいことに大抵、文句はいわず、黙ってついてきてくれる。

だから、彼が反対する時はよっぽどの時で、
私はそういう時は、大人しく彼の意見を尊重することにしている。

だから、残りの受精卵も破棄の選択をすることにした。

でもね、本当に辛かった。
というか、今も時々自分達が1つの命を手離したことが辛くて辛くて涙が止まらなくなる時がある。

産まれた息子君が可愛ければ可愛いほど、同じ可能性を持つ命を手離してしまった。

命に優劣をつけてしまった。

いつもの私なら、受精卵を私のお腹に戻して、着床してくれたら、神様が産んでも大丈夫って言ってくれてるから、大丈夫!

なんて、運任せみたいなことを言って、もう一度、チャレンジしたに違いない。

何、ひよっちゃったんだろう…。

たったひとつの命なのに。

自分の息子の名前に
『この世の命あるものはすべて唯一無二の存在だから自分のことも周りのことも大切にして欲しい』
という願いを込めたのに。

私は命を1つ消してしまった。

せめて1年間保管を延長してもっともっと、検討すれば良かったな。
自分の気持ちの整理する意味でも、もっと時間をかければ良かった。

でも、保管を延長したら、今回のお産の大変さなんてケロッと忘れて、私はまた絶対に受精卵をお腹に戻すだろう。

そしてダンナ氏は無事に産まれてくるまで、ずーっと不安な思いを抱えてしまう。

いや、破棄をしなかった時点で、彼はずーっと不安なままだ。

今回は、私の命も助かったけど次はわからない。
もし、私に何かあったら…

息子君の目の前から、ママが永遠に居なくなるようなことになったら…

自然妊娠では、受精卵が順番待ちしているなんてあり得ない。
不妊治療の倫理的難しさ。

だから、何が正解かわからない時は

自分達が出した答えが正解だと思えるように生きよう。

手離した命を思って涙が止まらない日があったとしても、それも含めて、正解はこっちだと。

きっと、息子君の成長とダンナ氏の笑顔が、私にそう、思わせてくれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?