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命を産むのは命懸け

小さな命をこの世に授かった裏側で、失った命がある。

私たちは1つ残っていた受精卵の破棄を決めた。

私のマタニティライフは、卵巣嚢腫の破裂から、スタートし、出血による切迫流産、子宮頚管長が短くなる死球頚管無力症による手術と3ヶ月の安静入院。
最終的には逆子が治らず、帝王切開。
赤ちゃんはすんなり産まれ、記念写真を撮るも、
その後、癒着胎盤による6Lの大量出血で子宮塞栓。
のんきに「お腹が空いたー」と言っていた私だか、
途中から、血圧がドンドン低下し、気持ち悪くなり
全身麻酔に切り替えられる。

だいたい体重50キロの人の体内血液量は4L。
妊娠中の最終体重が胎児や胎盤、羊水なども含めて66キロ。
6Lの出血ということは、ほぼ全身の血液が輸血で入れ替わった。

大学病院でなければ、搬送されている間に死んでしまう…。

目が覚めた時、私はICUで、急激に輸血をしたことで目がパンパンに浮腫み、開けることもできず。
肺も浮腫んで自発呼吸が出来ないために気管挿管をされ酸素ボンベに繋がれて、話すことも出来なかった。
挙げ句のはてに私が苦しくて気管挿管を外そうとするものだから、手を拘束される。


そう、私のお産はまさに命懸けだった。

そんな私の出産を目の当たりにし、ダンナ氏は
本気で私の死を覚悟したらしい。

とにかく私に何か話しかけなきゃいけないと思ったらしく、いろいろしゃべっていたけど

「息子ちゃんは天パかもしれない」

そんな、どうでもよい事しか覚えていない(笑)

朦朧とした意識の中で、ダンナ氏が手を握ってくれたことが嬉しく、ホッとした。

気管挿管は翌日には取ってもらえたけど、一般病棟に戻るまで3日…。

体はボロボロでほぼ寝たきり状態だった。

ICUから何とか車椅子で息子ちゃんに会いに行き、初めて抱っこした時、感動で泣くかと思ったけれど、自分の体かしんどすぎて、涙なんか出てこず…。

でも、小さな命の重みと温もりが心地よく、スヤスヤと眠る我が子と同様、私までなんだか夢心地だった。

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