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さよなら たりないふたり

思い出したのは、2015年にオードリー若林さんが行ったライブ「若林正恭のLove or Sick 2」を見終わった時のこと。めちゃくちゃ面白くてしばらく興奮が収まらなくて、アンケート用紙にびっしりと熱っぽい感想を書いたこと。当時の心情を吐き出すようなライブで、魂を削って戦っているような若林さんの姿が強烈に心に残ったこと。ギラギラしながら帰りの駅までの道のりを歩き、今ここにいる自分だけは肯定できると思ったこと。黄色い声でおしゃべりしている女の子たちよりも、自分の方がわかっていると思い込んでいたこと。

そして 2019年11月3日、「さよなら たりないふたり」をライブビューイングで見て、あの時のような高揚感を感じて、ギラギラしながら人混みを抜けて映画館を出た。バカみたいにしゃべっているカップルよりも、自分の方がわかっているとは思わないようにした。ただ、うるせえなぁ!余韻に浸らせろ!と心の中で呟きながら、久しぶりにこの熱を書き留めておきたいと思った。

過去にふたりが行ったライブ「たりふた SUMMER JAM」や、「オードリーのオールナイトニッポン 10周年全国ツアー in 日本武道館」のライブなどはどこかお祭りのような雰囲気があり、ワクワク感が強かった。今回の「さよなら たりないふたり」は何よりも、ヒリヒリ感が強い。

魂と魂がゴリゴリにぶつかって
磨かれていくようなライブだった。

140文字では書き表せないくらい、何日もかけてこれを書いてしまうくらい面白かった。ネタバレも多少含んだ偏った感想なので、それでも良かったら読んでください。

「漫才は生き様だ」と話す芸人さんは多い。最近はそういう熱っぽい話にも冷めて遠のいていた中、「さよなら たりないふたり」で見たのはまさに、生き様を見せつけられるような漫才だった。若林さんが「本当は裸で漫才をやりたい」と冗談っぽく話していて、本当にむき出しで裸でやっているような漫才だと思った。

どこに向かうかわからない。打ち合わせも全然しないまま、漫才を始めてしまう若林さん。ちゃんと進めようと困惑する山ちゃんを見て、悪童のように無邪気に笑う。

それぞれ用意してきた話やネタがどれくらいあったのか、見切り発車で飛び出した「たりないふたり」の漫才は、若林さんの思いつくまま 言葉や設定が山ちゃんに投げかけられ、即興のかけ合い漫才、時々 コントが展開していく。その目まぐるしく生々しいやり取りは、「オードリーのオールナイトニッポン」で若林さんが春日さんに無茶ぶりして始まる即興コントに似ている。

山ちゃんは細かく言葉を拾い、的確に返し、例えツッコミやワードを添えて応酬していく。絶妙なやり取りに腹を抱えて笑ってしまう一方、上手く噛み合わなくてヒヤっとする何とも言えない時間を味わうのもまた、生きている感じがして好きだ。全部上手くいくわけじゃないのがリアルだ。

ブレーキ甘めの暴露めいた下ネタ、ふたりの内面からの下ネタが出てくるのもライブの醍醐味。深夜ラジオのテンションに近い話が聞けるのが嬉しい。下ネタもがっちりウケるところと、しっかり引かれるところがあるのもまたリアルだ。

所々で「設定どうする?」と思考モードになり、「何も浮かばない」と言ってニヤリとする若林さんに、「だから最初に打ち合わせの時間があったんじゃないか」と言い返す山ちゃん。山ちゃんの言うことはもっともだが、無邪気に駆け出して行ってしまう若林さんを憎めない。むしろ、若林さんに振り回される山ちゃんを見るのが楽しくて、翻弄される山ちゃんもまた楽しそうで、これこそが「たりないふたり」だなと思う。

予定調和を崩そうとしたり、漫才の展開を説明し始めたり、とびきりのキラーワードが飛び出したり。追い込んで、追い込まれて、なお笑う。若林さんの笑いの中には、刹那的な漫才をやっている楽しさだけでなく、照れ笑いや戸惑いや色んな感情が入り交じっているように見えた。

与えられた役割をこなす日々の鎖に繋がれた若林さんと、結婚したことで跳ね上がった好感度の鎖に繋がれた山ちゃん。「たりないふたり」という恐ろしく自由なフィールドで、若林さんは嬉々として自らの鎖を外し、時にジョーカーや女王様と化し、山ちゃんの魅力でもある醜さや変態性を引き出しては笑いに包んでいった。終盤の一段とヒリヒリするような攻防では山ちゃんの本音を引きずり出し、思いもよらない感動的な展開に心を揺さぶられた。

それぞれの立場で前進し、新たな環境で新たに「たりない」部分を感じるふたり。そうして、「たりないふたり」は第2章へと向かっていった。以前と同じ出囃子、エンディングにも流れていた、銀杏BOYZの「BABY BABY」の青臭い感じがやけに染みた。

帰り道、高揚感を冷ますようにドラクエウォークをしながら家までの道のりを歩いていたら、後ろから自転車に乗った中学生くらいの2人の会話が聞こえてきた。

「周りみんな彼女いないよなー」
「いないねー」
「俺、一生彼女できない気がするー!!」

自転車はあっという間に夜道を駆け抜けていった。まるでマンガのような青臭い会話に思わず笑ってしまった。けれど、人の人生を笑えるほど自分の人生が充実してないことに気づいて、胃の辺りが重苦しくなった。何よりも「たりない」のは自分自身じゃないか。

山ちゃんが結婚したことに対する嫉妬フィルターは薄くなっただろうか。若林さんが結婚した時に心から祝福できるだろうか。わからない。

ただ、若林さんがひとりバスケに興じている姿を想像すると、なんだか健やかな気持ちになり、山ちゃんが幸せそうにグリーンカレーを食べている姿を想像すると、その皿をフリスビーの如くぶん投げてみたい衝動にかられる。

ライブの途中で、若林さんは脱いだジャケットを舞台袖に思いっきり放り投げていた。山ちゃんに体当たり(ジャッカル?)したり、ケツを蹴り上げたりしていた。ボケか攻撃か、興奮や愛情表現なのか。若林さんのちょっと乱暴な振る舞いを見るたびに胸がすくような思いがするのは、自分の中にも破壊願望が潜んでいるからかもしれない。

先日の「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0」と「山里亮太の不毛な議論」では、「さよなら たりないふたり」についての熱い話が繰り広げられたあとに、Creepy Nutsの曲「たりないふたり」が流れていた。ライブでも「たりないふたり さよならVer.」と共に流れていたような気がする。

ヒップホップが苦手で、Creepy Nutsの「たりないふたり」もじっくり聴いたことがなかった。今さらながらこの曲にやられてしまった。悔しいくらい耳に残る。心がざわざわする。

どこに向かうかわからない日々、
たりないどころの騒ぎじゃない。

今日も「オードリーのオールナイトニッポン」が楽しみだ。

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