チバユウスケとハイスタと共に生きていきたい
チバユウスケ 休養のお知らせを見て、血の気が引いた。
マジか……大丈夫なのか……
まさかチバまで…なんてことはないよな……
もう悲しい思いはしたくないよ……
酒、煙草のやりすぎじゃないのか…
不摂生してたんじゃないのか…
不健康そうな生活が似合いすぎてかっこよすぎだよばか!
と、お知らせのショックと勝手な思い込みで取り乱し、しばらくして冷静になり反省。
喉を使い続けてきた証なんじゃないか。
音楽を鳴らし続けてきた証なんじゃないか。
バンド人生を走り続けてきた証なんじゃないか。
自分はそんなチバの生み出す音楽に救われてきたひとりじゃないか。
ゆっくり休んでくれ。
絶対戻ってきてくれ。
どういう写真なんだ。
愛すべきマラカスが似合う男。
ザ・バースデイは時々気に入った曲を聴くくらいの距離感だけど、「LOVE ROCKETS」が映画「スラムダンク」のオープニング主題歌になり、多くの人に注目されて好評らしいのはとても嬉しい。
激しく乾いた音、薄暗い雰囲気なのに、どこか突き抜けていく感じ。
言葉の並べ方がいかにもチバっぽくて良い。
ロケットとか、銀河(宇宙)とか、ぶち撒けたとか昔から好きそうだ。
でも、いつからか愛がある。
なんかこう心がざわつくようなことが続いて。
時の流れは早く、変わらず続いていくものもあれば、突然終わりを告げられるものもある。
ツネさんを失ったハイスタショックから、まだ抜けきれていない。
ミッシェルもハイスタも、もう一生あのメンバーでのライブが見られないなんて……
チバユウスケのボーカルにアベフトシのギターじゃなきゃダメだし、難波章浩のベースボーカルに横山健のギターに恒岡章のドラムじゃなきゃダメなんだ。…と思ってしまうことがある。
あの音が好きなんだ。
後ろ向きと言われたってどうしようもなく
ミッシェルが好きで、ハイスタが好きなんだ。
あの時代の音楽に取り憑かれている。
みんなもう若くないし、ああいう熱気に包まれたライブを世界が引っくり返るくらいの熱を持って見られることはもうないのかもしれない。
自分なんかもうダメだし、生きていたって大して良いことはないだろう……などと薄暗いことを思っている日々の中でも、大切な誰かがいなくなってしまうことはとても悲しい。
憧れの人には長生きしてほしい。
大切な人には生きのびてほしい。
形を変えて続いていくものもある。
ハイスタは続けることを選んだ。
YouTubeで公開されたハイスタのレコーディングドキュメンタリー。笑顔の3人の姿を見るのが切なすぎて、しばらくは見られなかった。
けれど、新曲が発表されてどうにも気になり、恐る恐るそのドキュメンタリーを見たら、そこには生き生きとした3人の姿と揺るぎないバンドの音があった。
新曲「I'M A RAT」、ドキュメンタリーを見てからだとそれぞれの音がより鮮明に聴こえる。
最初こそこの曲が発表された状況に捕らわれ、歌詞について考え込み、切なく感じたものの、何度も聴いているうちに曲がどんどん染み込んできた。
うん、俺の好きなハイスタの音だ。
意味や理屈を越えて、ただただ高揚させる。
またハイスタの新曲が聴けるなんて最高じゃないか。
「オレはネズミ」って初心な感じがする。
パンクロックを聴いているヤツなんて、初めからきっと外れていたんだ。
普通の道から外れてしまったと、気に病む必要はなかったんだ。
明るいところで立派に生きられなくても、薄暗いところでドンチャン騒ぎして楽しくやれるような生き方もあるに違いない。
多様性の時代だ。
デジタルも使いようだ。
無数の道がある。
手をのばせば、生きのびる手立ては必ずある。
ハイスタを続ける決断をした2人を心から応援したい。
どういう形であっても、ハイスタが続いていくということがとにかく嬉しい。
「横山健の別に危なくないコラム」が好きだ。
以前に感想のメールを送って以来、更新のお知らせ(一括送信であっても嬉しい)メールをくれる健さんが好きだ。
恐ろしく長文のコラムで、色んな思いが詰まっていて、丁寧に誠実に綴られた健さんの文章が好きだ。
今回はハイスタ結成の話から、ツネさんとの思い出、新曲レコーディングの様子、難波さんとの決断に至るまでが書かれていて胸がいっぱいになる。
誰も答えを持っていない。
ツイッターにリアルな言葉を呟き、夜な夜なインスタライブで弱音を漏らし、落ち込みながらもファンのコメントに応えてガムシャラにハイスタの曲をベースで弾き語りする、不器用で真っ直ぐな難波さんが好きだ。
言葉を紡ぐように思いを語ってくれたラジオ「難波章浩の今夜もCLOSE TO ME」が好きだ。
ボロボロのハイスタでもいいじゃない。
その言葉に計り知れない思いや迷いや希望が込められている気がして、胸にグッとくる。
自分の中では、どういう人なのかわかるようでわからなかったツネさん。
それが健さんと難波さんそれぞれによって語られ、みんなから愛されていた人、ドラマーとしてとんでもなくすごい人、だったのだと改めて知ることができたのも嬉しかった。
ハイスタの歴史はドラマチックすぎる。
ひとまず3人組になったハイスタは、やがて日本のパンクロック・メロコア界を代表するような人気バンドになり、海外リリースや海外公演も精力的に行い、インディーズレーベルを立ち上げ(独立し)、主催フェスのエアジャムを成功させ、心がぶっ壊れるほど多忙な日々の中、3人の気持ちが離れて活動休止し、2人は一生修復できないと思われるような大喧嘩をし、それぞれに思いを抱えて年月が過ぎ、震災後に皆を元気づけるため奇跡の再結成を果たし、各地でのライブやフェスを大事に行い、以前と変わらない輝きで更に今を生きる新曲を発表し、バンドとしての関係性も明るく前向きになっていき、今後も活動の展望があったところで、突如として唯一無二のドラマーを失い、喪失感と悲しみに暮れ、それでも2人で続けていくことを選び、レコーディングしていた新曲とサタニックカーニバルへの参加を発表した。
自分なりの認識で振り返ってみても、そう簡単には語りきれない。
ドキュメンタリー映画「SOUNDS LIKE SHIT : the story of Hi-STANDARD」を観ても、「難波章浩の今夜もCLOSE TO ME」を聴き直しても、「横山健の別に危なくないコラム」を読んでも涙は出なかった。
ただただ胸がいっぱいになって、色んな思いや記憶や言葉がとめどなく溢れてきた。
今それを必死で言葉にして書き留めている。
ツネさんを失った現実がなかなか受け入れられなくて、チバが休養するお知らせのショックが大きすぎて、頭の中がぐるぐるしている。
思えば、アベフトシを失った時もどうしていいかわからなくて、行き場のない思いを誰かと共有したくて、当時は某掲示板に書き込まれたファンのコメントを一日中見ていた気がする。
もしもミッシェルが解散せず続いていたら、どうなっていたのか。
なんて不毛なことを時々考える。
カッコ良く終わりを迎えたミッシェル。
きっと本人も多くのファンも望んでいないだろうけど、自分はボロボロのミッシェルでもいいからずっと見ていたかった。
いや、ボロボロのミッシェルなんか嫌だけど。
頭の中にはずっとカッコ良いままのミッシェルが在り続けていて、それはカッコ良く終わっていったからなのか。
ミッシェルのライブが見たいという思いが幾度となく湧いては、決して叶わぬ夢のように消えていく。
美しく終わるカッコ良さもあれば、ボロボロになっても続けていくカッコ良さもあると思う。
再結成するバンドは数あれど、ハイスタが再結成したことはとんでもない奇跡だった。
そこに至るまでには様々な事情や、時代の流れや、心の動きがあったんだろう。
2016年に健さんがインタビューで語っていた、忘れられない一言が印象深く残っている。
生きてるうちにやれることはなんでもやった方がいいよ。
という、シンプルだけど強い言葉。
(どこか聞き覚えがあるのは、クロマニヨンズの「グリセリン・クイーン」の歌詞を思い出すから。クロマニヨンズはこの曲をリリースした2009年から今でもライブで、「生きてるうち できることは何でも」と歌い続けている。)
そして、2017年に放送された「The Gift」リリース記念特番「もしもハイスタがいない世界だったら」で、ハイスタ復活についてチバはこう語っている。
みんなが生きてるうちにやりゃいい。
…………………………
ミッシェルのライブが見られた時代に生まれて良かった。
ハイスタのライブを2017年に初めて見られて良かった。
エアジャム2018でザ・バースデイとハイスタのライブが見られて良かった。
まだまだライブが見たい。
「チバユウスケ詩集 ビート」が好きだ。
何度読み返しただろう。
ミッシェル時代からザ・バースデイ初期までのいくつかの歌詞に、チバのコメントが添えられている。
結局、歌詞の意味なんかよくわからないんだけど、ミッシェル初期の頃のすねてる感じとか、気だるい感じとか、ぶっ飛んだ世界観が好きで、チバの何気ないコメントも絵も良い。
その詩集のあとがきに父親が亡くなった時のことが書かれていて、最後にこう記している。
またライブで会える日まで。
マジ生きるのみ。
ただ生きてりゃいいの。
彼らの言葉を心に刻み込んで
これから先も共に生きていきたい。
どこまでも続くような、まとまりのない文章を
最後まで読んでくれてありがとう。