マリオネットホテル
これだけ観るならシリーズ史上一番ハッピーエンドな舞台。
ただし、作品の前後を想像しないものとする。
土曜日のソワレ、サンケイホールブリーゼで上演されていた舞台「マリオネットホテル」を観劇してきた。演出、脚本末満健一氏のライフワークともいえる作品の最新作だ。
そもそも、舞台「刀剣乱舞」で初めて末満氏を知り、Twitter(当時)のフォロワーに「LILIUM」をお勧めされたのをきっかけに「TRUMP」シリーズに嵌った。
初めてチケットを取って劇場に足を運んだのが「グランギニョル」、つまりこの、「マリオネットホテル」に続く物語であったのでそういう意味でも何となく、心なしか感慨深いものがある。
ストーリーについては公式サイトがあるのでわざわざ詳細をブログに記載するつもりはない。
いわゆる奇妙なクローズドサークルミステリー、を公称する物語だ。
海に浮かぶ孤島でもなく、走り続ける列車でもなく、扉も窓も開くが誰もそこから出ることのできないホテル「マリオネットホテル」に今回の主人公である若き吸血種、ダリ・デリコが不思議な招待状によって誘われたからを中心に舞台の幕は上がる。
もっとも、これはTRUMPシリーズだ。
嵐が起きずとも、列車が止まらずとも、何者かのイニシアチブひとつでホテルの支配人も、使用人も、宿泊客たちも閉じ込められている。驚くべきことに(!)誰も死なない、大きな事件も起こらない、果たして誰が、いったい何の目的でこのイニシアチブによるクローズドサークルを作ったのか……。
というのが主題ではあるが、シリーズを追いかけてきた人間たちからすればこれは、ダリとフリーダのなれそめ話である。公式サイトのキャスト紹介にフリーダの姿がなくとも、そうなのである。
※以下、普通にネタバレに配慮しない覚書です悪しからず。
ダリちゃん、と言えば染様、染谷俊之さん。
元を辿れば末満さんが演じてらしたけれど、今やダリ・デリコといえば彼以外の誰が演じるのか、というほど印象が強い。
観劇後に改めて「グランギニョル」を見返していたのだけれど、若返ってない?というくらい、「マリオネットホテル」のダリは「グランギニョル」の時とはまた違う、どちらかというと若さゆえの傲慢さ、というのが垣間見える。
この頃はまだ、デリコ家当主ではあるものの貴族社会ではまだそこまでの影響力はない。許嫁であるフリーダから婚約の議をすっぽかされた彼は、見ず知らずの相手と結婚する気はない……と言いつつ、実は子どもの頃にこのホテルで彼女と出会っている。出会っている、というよりはきっと一方的に見つけて、あの子が許嫁なんだと思いながらも恥ずかしくて声もかけられなかった。
普段の不遜さ図々しさはどうした? と言わんばかりに対フリーダに対してあんまりにも純情ボーイなダリ・デリコは今まで知らなかった彼の一面が垣間見えるようでにまにましてしまう。
ここで確かにTRUMPに邂逅していたはずの(なんならぶん殴っていた)彼が、のちの時間軸である「グランギニョル」で「TRUMPなど存在しない」と言っている齟齬は長く続いている作品だからこそ出てくるものだろう。それよりも、母も、遠因とはいえ妻も、二人の息子もTRUMPに奪われることになるダリがTRUMPに一体何をしたんだ、とめちゃくちゃに思う。
ジョー・ヴェラキッカ。もとい、フリーダ・ヴェラキッカ。愛加あゆさん、「グランギニョル」より若返って以下略。
髪型のせいもあるんだろうけど、というかそれが一番大きな気がするけど、なのでなぜ結婚後あの髪型になったのかも大変気になるところではあるけれども、ボブヘアのフリーダは大変可愛かった。
フリーダがジョーを名乗っているのだろう、というのはTRUMP世界の歴史を鑑みてももちろん、そうでなくとも端々にそうなのだろうなと思わせる演出がある。どちらかと言えば、彼女がヴェラキッカ家の出身であることが今回の新たな驚きだった。ともあれ、血盟議会に属さない独立荘園で生まれ育てば吸血種と人間との共存主義を掲げるようになるのも理解ができる。
そんな彼女は繭期の見せる予知夢によってダリを知り、恋に落ちた。のでやはり、ダリが彼女を認識した時、彼女は彼を認識していなかったのだろう。途切れてしまう予知夢の終わり。彼女の未来を思うとやりきれなくはあるが、「その時からずーっと、わたしのことが好きだった?」「ダリでも照れることがあるのね」の一連のやり取りはやはりかわいくて、にまにましてしまった。
大楽では無事にお姫様抱っこをされていたようなので、配信がなかった分、円盤に収録されているといいなぁと期待している。
エゴ・ヴェラキッカとフランチェスカ・フラ。
梅津瑞樹さん演じるエゴの顔面の良さを初めて浴びた同行者が狂っていたのが面白かった。わかるよ、舞台「刀剣乱舞」で山姥切長義を演じる彼を初めて見た時のわたしも同じ反応をした。
フランチェスカを演じるのは川崎愛⾹⾥さん、2023年版「LILIUM」でも見た彼女だけれど、とにかくもう衣装が可愛くて、似合っていて、恋する乙女でありながらしたたかなフランチェスカが今作では一番好きになった。
エゴとフランチェスカの組み合わせ、が兎に角いい。公式が何も言わない限り、この二人にはくっついて幸せになる未来の妄想くらいは許されたい。それくらいにいい。
エゴは姉であるフリーダに心酔していて、尊敬していて、敬愛していて、それゆえにダミアン・ストーンに付け入られてしまった側面もある。ゆえに、彼が「グランギニョル」に際して一体どこで、何をしていて、何を思ったのか。「グランギニョル」ののちにどうしているのか、というのはとても知りたい。たくさんいるダミアンコピーの一人なのだ、この先、ダミアンの人格を抑え込んでどうかフリーダの代わりに立派にヴェラキッカ領を治めていて欲しい、と願っている。
フランチェスカ、真っ先に思ったのは「ゲルハルト……お前、妹おったんか……!」というダリちゃんと同じような感想だった。フラ本家と肩を並べるデリコ家の当主と婚姻関係になれば自分を手放した本家を見返せる、という一心ではあったようだけれど、フリーダとの恋バナ、友情、「手紙を書くわ!」というあのやりとりが何と言うか、このシリーズの中で比較的まっとうな、普通の友情が描かれていて印象的だった。
ムンク・ミーラン、神農 直隆さん。全体的な立ち居振る舞い、クランでのみんなの憧れであるダリ・デリコに心酔するあまりダリ・デリコと自分を同一視していたかの黒歴史を美しい思い出と言ってしまうその陰キャっぷりが気持ち悪くて……とてもよかった(褒めてます)よもや彼のその黒歴史青春の思い出が物語の謎を解く鍵になるとは思わず。
ヒルマ・モンドリアン、トヨザワトモコさん。なんか、いるよねこういうおばちゃん。という親しみやすさを感じてしまうヒルマ、登場人物に親近感を感じるなんて言うのも、シリーズを通して初めての感覚だった気がする。確かに貴族物の漫画や映画に出てきそうな、デリコ家で女中をしていた頃の姿がなんとなく想像できてしまう。全体的な雰囲気がキュートだった。
モリゾ・コバックス、末満 健一さん。ある意味では今回の舞台の最推し! ではあるのだけれど、板の上に立つ時間で寝て欲しい、休んで欲しい……と思ってしまう気持ちが強い。さておき、情報屋黒猫。「グランギニョル」でも登場し、殺されてしまった彼であるが、どうやら黒猫とはあちらこちらにいるようで、おそらくは今作と「グランギニョル」の黒猫は別人ではないかな、と思う。ホテルの中に閉じ込められているのに関係者全員のクラン時代の診察記録を入手したりと情報屋としての腕はピカイチ。あとはちょいちょいと客席をいじったり小ネタを出してみたり、ムードメーカーといった立ち位置。
さて、最後はモネ・スタンフィールド役の瀬戸 かずやさん。宝塚自体は配信でしか見たことがなくて、OGさんたちを舞台で見る機会のほうが圧倒的に多いのだけど、男役さんは本当にすごい。もちろん、娘役さんの華やかさ、愛らしさはまた別格なのだけれど、男役の方の凛々しさ、というのは女性を演じていても風格に繋がるようだ。特にこのモネ卿、女性でありながら血盟議会、異端審問官のエリートとして長年を過ごし、その内実にダリの父親、クロード・デリコの人格コピーを抱えていた、という今回の黒幕でもある。その彼女が、女性でありながら凛としたモネ卿から、威厳あるクロード・デリコになった瞬間、すべての所作立ち居振る舞いが変わる。膝まづく動作の一つとっても女性と男性、全く違うのだ。宝塚を観たことがなくとも、これは女性が恋に落ちるのもわかるな……と納得してしまう。
吸血種は、TRUMPとイニシアチブと血を持って繋がっている。
ダミアン・ストーンが悲劇によってTRUMPの心を慰めようとするならば、イニシアチブ・リングはその習性を利用してTRUMPを呼び出す、いわゆる降霊術のようなものだ。
「母親を突然奪ったTRUMPを殴ってやりたい」
息子のそんな願いを叶えるために父親が遺した、最期の贈り物。
なんというはた迷惑な贈り物、さすがにTRUMPも迷惑すぎてこれもまた初めてTRUMPが、クラウスがかわいそうだと感じたのはある意味貴重な体験だったのかもしれない。
ダリがフリーダにプロポーズをして、そうして一つまみの不穏を残して舞台の幕は下りる。
マリオネットホテルからのチェックアウトだ。
「グランギニョル」、「TRUMP」、「LILIUM」。この先を、彼らの未来を知っているから誰も死なず、村も燃えない、幸せな終わりも悲劇も始まりとして切なくもなる。だけれど同時に、彼らにも、あの世界にも、こうしたささやかな幸せは確かにあるのだ。
当たり前かもしれないが、そうした、新しい側面を改めて見せて貰えた。そういう意味でも初めての、発見の多い物語だった。
アニメも、コミカライズも、小説も「TRUMP」の世界に触れられる機会がたくさんあることが嬉しい。
それでも願わくば、次もまた、舞台の板の上にある彼らを見たいとそう思った。