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マッド、それはV系にならなかった爆音ベース(それでも僕は石垣在席時代が好きだ)

 
 以前、GLAYについて「V系村に所属されそうになって、スプーン1本で脱獄した苦労人」と書いたことがある。
 そんなふうに「V系にカテゴライズされかけて命からがら逃げ出した」人たちって意外といるのだよ。GLAYにラルクに、なんとあのTHE YELLOW MONKEYもデビューからしばらくはV系雑誌の常連だった。本人たちが望むまいとも。だって僕がイエモン初めて知ったのも、立ち読みしたV系雑誌に「初の武道館ライヴ」という記事が載っていたのがきっかけなんだもの。
 とかく、V系は「化粧してたり人脈があるとV系に入れたがる」時代があった。むしろ出版社とか売り手が。時代に乗って売ろうとしていたのか、個別にアピールするのが面倒だったのか。
 そんな中、同じようにV系雑誌に掲載されながらも「V系と程遠いブレイクの仕方」をしたバンドがある。それも耽美的なV系の忌み嫌う、ダボ服帽子スポーティ、なストリート系だ。売れたあとではなぜ彼らをV系にカテゴライズしそうになったのかと思うほどの。
 それは、名前を聞けば納得するだろう。
 THE MAD CAOSULE MARKET'Sである。
 
……って。
 サラッとバンド名出したけどさ、このバンドも変名してるんだよ。一時期から「THE MAD CAPSULE MARKETS」とアポストロフィを省略している。どうしてまー名前を変えるバンドが多いのだろうね、この時代。「過去から脱却して新しい自分を作り出す」ムーヴメントでもあったっけ。それまでの自分を許容するのではなく新しい自分を見出す「自分探し」が流行った時代だからか?
 まぁどちらもカナ表記すれば「ザ・マッド・カプセル・マーケッツ」なわけだけど、スマホで入力すると誤操作で時々「松戸カプセル」なんて千葉の片隅にたたずむ安い宿泊所みたいになっちゃうのよね。
 なので以下、メンバーも「MAD」と略すことが多いし、ここでは「マッド」と略します。よしこれでバンド名5パターンを文章中に生成したぞ(←AI時代なのに検索機能を気にするHTML世代)。
 あ、ついでにメンバーの呼称も時代により変化しますが、ここでは以下にだいたい統一します。
 
・KYONO、キョーノ、清野裕司 →「KYONO」
・紅麗死異剛市、CRA¥、TAKESHI"¥"UEDA、TAKESHI UEDA、上田剛士 →「CRA」
・MOTOKATSU MIYAGAMI、宮上元克 →「MOTOKATSU」
・ISHIG∀KI、AI ISHIGAKI、石垣愛 →「石垣」
 
 これは現在とかバンド最終期の呼び名とかで統一するつもりがなく、あくまで僕の中で「一番好きな時代」の表記なのであります。石垣だけ脱退後なのも、そういうことであります。
 あ、児島実はあくまで室姫深で。
 
 そのマッド、世間的には「ヒップホップ・カルチャーをロックのスタイルに融合した3人組のラウド・ロックあるいはミクスチャー・ロック・バンド」として認識されていることでしょう。それこそ前身バンド「BERRIE」で共演したレッチリみたいな。間違いなくシングルだと「SYSTEMATIC.」、アルバムだと『DIGIDOGHEADLOCK』以後の評価ね。
 でもね、そういう売れたあとの時代に入った人は知らないかもだけど、冒頭に書いたようにマッドは「V系にされそうだった」のだよ。あのKYONOがV系って! ニットキャップ被ったスケーターがV系!……に、実際されそうだったのだよ。
 というのも、ほとんどはメジャー・デビュー前に脱退した初代ギタリスト、室姫深のせいだ。彼が脱退後にKyo率いるDIE IN CRIESで成功したことにより「室姫深がいたバンド」として遡ってV系ファンにまず注目される。彼の脱退後、ローディから昇格してギタリストになった石垣も、長いことギターの使い方がデビュー前を意識したプレイだったように感じる。かつてはディスクユニオンでもマッドはV系コーナーに近い場所に置かれていたし、その中に室姫深のソロ・プロジェクト「BLOODY IMITATION SOCIETY」も置かれていた。
 室姫深はその後もBUGというバンドでTHE SPACE COWBOYSを脱けたFURUTON(大古殿宗大)と共に在籍し、室姫脱退後にBUGに入ったのはGuniw ToolsのASAKI(山鼻朝樹)。見事に「V系っぽい人」とカブりまくっている。その後「もとマッドの上田剛士バンド」AA=に参加して旧交を温めたのは嬉しいことだ。
 で実際、初期のマッドは長髪で色付きのトゲトゲ髪だったりして、外面的にトガッていたのも事実。オムニバス盤『DANCE 2 NOISE 002』のモノクロ内ジャケ写真なんて「いかにもV系っぽいカラス4羽」だもんね。実際にはパンクスなんですが。
 しかしそこに収録された「JAPANESE SIGHT」あたりで「V系扱い」は終息に向かっていたように体感する。いい加減、人脈だけでマッドをV系にくくるのは限界があった。その後も、それこそブレイク後さえV系雑誌はマッドを載せたが、それ以上に一般音楽雑誌のほうが爆発的に掲載されていった。THE SPACE COWBOYSを箱庭に閉じ込めたV系の十八番「雑誌作戦」は、イエモンに続いてマッドで完全失敗する。
 それでもマッドはその後もモヒカンやらグラサンやらとヴィジュアル的には迷走を続け、やがて深めた音楽性と共に「ストリート系」に落ち着く。その頃は誰も長髪じゃなかったし、室姫も石垣もいなかった。それでもちょこっと掲載していたV系雑誌は諦めが悪い。
 だが、この「自らの音楽性を突き詰めていく時代」にこそ、マッドの美しさがあった。現にBUCK-TICKの今井寿や稀代のコウモリ男・布袋寅泰、さらには最先端音楽家だったhideがファンを公言したのもインディーズ~デビュー直後。その後B-Tは共演を果たしたが布袋は発言を変えてヒラヒラ飛んでいきhideは蓮の花になってしまった。それでもBUCK-TICKとSOFT BALLET、LUNA SEAが一堂に会した「LSB」にはゲスト参加し、シーンに義理も果たした。そういえばここにはイエモンもラルクもいたはず。んー、見事に「ヴィジュアル系にされそうになった人たちの集会」!
 こうしたことを書いている僕も、実はマッドといえばその時代が大好きなんである。いわゆる「1990-1996」が好きで、反対に「1997-2004」はけっこう、どうでもいい。
 というより、石垣愛在籍時代が好きなだけなんです、実は。すんませんね青春時代なんで。
 
 さて。
 その三氏がファンを公言していた頃、マッドは「いかに自分たちの音楽性を打ち出すか」苦慮していた。打ち込みを強くしたりギターを強くしたりリズムを強化したり。いやギターは強くしてないか(←布石)。
 そのターニング・ポイントとなったのが再録ベスト『THE MAD CAPSULE MARKT'S』であり、直前のアルバム『4 PLUGS』。
 で、結果的に「打ち込みを使用しつつ生演奏の鉄壁リズムと音圧ベースで観客をトランス状態に導く」ことに成功したわけだけど、そこにギターは不要だったわけだ。だってメロディ主体のリード楽器であってリズム楽器ではないし。もともとは。
 でも石垣在籍時の曲を聴くと、これが「ギターがリズムになっている」とも感じるのですよ。リズムだけじゃなくメロディもガンガン弾いちゃうCRAのベース主張が強すぎて。石垣のギターがほとんど「リフとリズム」。ソロは数えるほどしかない。
 そもそも過渡期のマッドって、やたら「低音と高音のユニゾン」が多くて、聴いていて「ああまたこの展開か」ってことがよくあった。もはや様式美のように思っていたんだけど、石垣が脱退したということはCRAのベースによって「おまえは不要」と感じてしまったということなんだよね。
 だもんで、石垣脱退後のアルバムを聴いても、実は「リード楽器不在」を感じない。それはメロディに頼った曲作りでないということもあるし、メロディが必要になったらタケシさん(←by:しずかちゃん) が弾いてるからなんですよ。
 それまで多くあったギターとのユニゾンは「打ち込みでもよくね?」とばかりに同期化されるし、それでそんなに変わった感じもしないし。そりゃローディ出身で遠慮していた石垣は「じゃ、自分もういいっすね」って離れるよ。
 つまりは石垣、ずっと遠慮していたがゆえに主張できず、引くしかなくなっちゃったんじゃないかと。
 
 ここで名誉回復。
 前述の三氏(B-Tの変態ギター、最先端をゆく虫、不倫コウモリ)が好きだった頃の話を。
 その三氏に共通するのは「インディーズっぽさ」。つまりは「ファンなら大好き」が多いこと。んでマッドが花開くまでの間、この人たちみたいな曲がいくつもあるのだ。
 それを引っ張ったのは、実はギターの石垣。ギター前任者・室姫深が残した「BOOWYの『MORAL』みたいな弾き方」も継承し、「BUCK-TICKの前身『非難GO-GO』みたいな曲」も弾きこなし、着々と導入されていった最先端の技術にもギターで対応していく。
 実はCRA作曲の「穴埋め」みたいな役目を、石垣は最も果たしていたように感じる。石垣が最後に在籍したセルフ・カヴァー・ベスト『THE MAD CAPSULE MARKT'S』以後はCRAが前より多くの曲を作曲し、ベースもメロディもプログラミングも担うようになった。実は石垣脱退で最も、いや唯一負荷がかかったのはタケシ君じゃないかと思う。だってニットキャップは好き勝手に吠えてるし、筋肉馬鹿は機械より正確に叩くことに必死だし。
 バンドを支える「曲」は、CRAなくして存在しなかった。たとえKYONOがヴォコーダーをかけずに機械みたいな発声でラップができても、MOTOKATSUが機械に劣らない超人的に正確なリズムを叩けても。
 つまりは根幹が崩壊していたわけである。今まで少なからずメンバーに分散していた負担が、CRAに一極集中してしまった。石垣脱退によって。
 でもそのCRAは、自身の信じた音楽性を貫いて作曲し、KYONOとMOTOKATSUを先導した。そうして後期の「ヒップホップMAD」ができ、実際に大ブレイクした。そもそも石垣を脱退に追いやったのはバンドによる音楽性の変遷と、CRAのスペックの高さだ。そこへKYONOの歌唱スタイルとMOTOKATSUのタイトなリズムが「見事にハマッた」。はっきり言って、ギターの音が前に出ているとできなかった。後期になっていよいよ本領発揮していた。
 だけどね、ダメだったんだよ。
 CRAと残るふたりは対立、マッドは休止し、現在も動いていない。そんな中でCRAはAA=というプロジェクトで精力的に活動し、もはや「自分ひとりでもマッドができる証明」のような楽曲までリリースしている。
 今後もマッドとしての活動は望めないだろう。というか、その名義で活動する必然性は「金稼ぎ」以外にもう、ないだろう。
 脱退後、石垣はCRAとともにアルバム参加したことのあるソフトバレエを活動停止させた遠藤遼一率いる「エンズ」のギタリストになった。しかし気づけばフラッといなくなっていたのも、石垣っぽい。
 たしか『音楽と人』のインタヴューで、公園でブランコする写真をもって「自分というものを持っていないからそれなりの演奏になるし、興味がなくなると他の人でもいいやと感じてしまう」みたいに発言していた記憶があるけど(←かなり曖昧です)、つまりは「どこに行ってもずっとローディだった」ということなのか。
 だけれども、石垣のギターって「外野から見たプレイ」として優秀だったんじゃないか。もとローディゆえの視点。
 だってマッドは一般のバンドに較べて「いわゆる流麗なギター・ソロ」が極端に少ない(というか、ほぼない)し、石垣のプレイはその後も、全体に合わせるリズムやリフ主体。先のエンズでもソロなどをとるものの、あくまで遠藤遼一の歌を盛り上げる役。ほかゲスト参加に何をか言わんや。全編「自分はそうしたほうがいい」という姿勢を感じるのだよ。
 たとえば「明らかに『神KAMI-UTA歌』と融合したリメイク版の『POSSESS IN LOOP!!!!!!!!!!』」なんかは、ギターはノイジーだけど主体は間違いなくベースでしょう。「神KAMI-UTA歌」っぽさは主に歌部分に化けたが、ギターはソロも含めてあくまで「添え物」に転化。そんなふうに再録ベスト『THE MAD CAPSULE MARKT'S』では引き立て役に徹しているのがわかるし、離れていくのもわかる。だけど初期には積極的なプレイをしつつ、室姫っぽさを強く残している。そうやって「空気読みすぎ」なんだよ、石垣ってば。
 でもその石垣を欠いて以来、一気にマッドはブレイクしたが長続きしなかった。これって「クッションがなくてブレーキが効かないハンドル状態」だったんじゃないか。
 つまりは、そう。
 石垣はメンバーなのにローディ出身の最後加入メンバーだったために、バンド内タテ社会で演奏の主張ができないけど外野から見たプレイを提示する「バンドのブレーキ役」だったのだよ。それこそJAPANのロブ・ディーンみたいな、雰囲気を作っているのに雰囲気だから軽視されるような。
 
 すごく雑な言い方をするとね。石垣以後の楽曲は「KYONOにでもできる」。そこにMOTOKATSUがいれば。あとは機械に頼ればいいんだもん。うわー雑な言い方。
 でも全史および初期の演奏は「CRAにしかできない」。実際の作曲面や、技術的な面でも。
 そこに「さり気ないサポート要因」石垣がいたからこそ、あの傑作『4 PLUGS』は成立したんじゃないかなー、なんて思うのです。石垣脱退後の「どれも印象が似たようになってしまったリズム重視のシングル曲」を聴くと。
 でもこのバンド、もともとはV系で売られようとしていたわけよ。また言うけどKYONOなのに。
 その分岐点ってば前述の「JAPANESE SIGHT」だったように感じる。ヴォーカルとギター以外はすべてデジタルで完成させたこの曲をもってデジタルの多用が始まっており、何より「石垣主体の曲なのに、石垣がいなくても成立する」曲になっている。逆にギター以外の音圧に欠け、音圧リズム隊不在を強烈に感じる。あの音圧ベースがないマッドなんて、この曲ぐらいでは? なのにこの曲のリフをギターでなくCRAのベースにして、MOTOKATSUのドラムにしたら段違いに迫力のある仕上がりになるのも容易に想像できる。
 何があってリズム隊がいないのかはわからないが、おかげでここから「デジタルに頼ってもいい」という発想に転換、そこへ生リズムが乗って鉄壁のサウンドができあがったと、個人的には認識している。石垣が主体の曲で石垣が離脱するきっかけになるとは。
 だけどその後、石垣がソフトバレエの遠藤遼一バンド「ends(当時表現)」のギタリストになり、伸び伸びとギターを弾いていて安堵した。なのに相変わらず「主役を引き立てる演奏」なのが石垣っぽい。
 それが石垣の最大の魅力で、それこそソフトバレエの「全体を見てわかってるけど主役にはならない藤井麻輝」みたいに感じるんだ。
 いつの間にか、そこからも姿を消すのが石垣らしいけど……さり気なすぎるよ、いつも。
 やがて石垣は音楽業界からも引退してしまった。
 
 では、僕が一番好きなマッドのアルバムは?
 それは何度も名前が出ている再録ベスト『THE MAD CAPSULE MARKET'S』。というか種明かしすると、実はまだちゃんと持ってるのはこの1枚だけなんです。他のオリジナル作品はネット視聴や借りただけ、あるいは実家保管や処分済。もはや「もうこれだけ手もとにあればいいや」と思えたので、このベスト盤は中古盤で買い直して持っています。
 これが単なるベスト選曲盤だったら、おそらく買い直しもしないし思い出しもせず、きっとこんな文章を書くこともなかったでしょう。いつまでも持っていて、いつまでも心に引っかかっている。生活のふとした瞬間に、頭の中でどれかの曲が響いてしまう。ニュースを見ていて「G・M・J・P」が脳内再生されたり。学生の自殺ニュースはもれなく「ラ・ラ・ラ(僕がウソつきになった日)」を思い出すし。
 再録音のためベスト盤にありがちな「時代性(=音色やヴォーカルの声質が変わってしまう)」を感じず、収録された全時代の曲がデジ・ロックあるいはラウド・ロックとして昇華されている。そのため統一感があり、むしろオリジナル・アルバムとさえ感じてしまう。
 中には再録音だけでなく大幅にリメイクされた曲も含まれ、「POSSESS IN LOOP!!!!!!!!!!」は前述のように「神KAMI-UTA歌」と融合されたテイストになり、「HI-SIDE (HIGH-INDIVIDUAL-SIDE)」は英語歌唱に、「JESUS IS DEAD? ~JESUS IS ALIVE?~」「DOWN IN THE SYSTEM SYSTEM ERROR」は内容だけでなく曲名からして変更。他にも曲の構成が大々的に見直された「マスメディア」「ラ・ラ・ラ(僕がウソつきになった日)」もあり、純粋な再録音と呼べるのは残る「MIX-ISM」「S・S・MUSIC」「パラサイト (寄生虫)」「G・M・J・P」ぐらいじゃないだろうか。あっ、もうひとつ残った「WALK! (ADRIAN SHERWOOD REMIX CD VERSION)」は、あの「どんな依頼も同じようなダブに仕上げてしまう鬼才エイドリアン・シャーウッド」にリミックスしてもらった「記念」でありボートラみたいなもんですね。オマケだオマケ。ボボボボボボボ(←急に出てくるヴォーカルがもう「ウォ」じゃなく「ボ」にきこえる)。
 もう前期マッドはここに数曲を補足するぐらいで最強のベストになるんじゃないか、というぐらい選曲もクオリティも高い。『1990-1996』よりも。むしろ、たまに出していた抒情性を排除したところに「その後」の展開が予見でき、すがすがしくて好感が持てる。たとえばここに「彼女のKNIFE」を入れても違和感しか生まれない。
 そしてここに「CRACK」が収録されていないのもキモ。あの曲は間違いなくベスト選曲に入るクオリティなのに、このアルバムには向いていない。なぜなら「前期ベスト」だから。時期的には石垣在籍時の前期曲だけど、テイストはまるでデジタル時代の後期曲。同じ『4 PLUGS』収録曲でも、それまでのバンドの流れを尊重したようなギター主体曲「神KAMI-UTA歌」と違って、内容が『DIGIDOGHEADLOCK』に近いでしょ? というか「CRASH POW」にほど近い。そのようにギターがなくなっても「ベースと思えないぐらいギター・ノイズっぽく鳴らす音圧ベース」で代用すれば成立するし。
 そして石垣がこのアルバムをもって、マッドから脱退する。メロディの多くはCRAが弾いてるし、リフもCRAと機械でいいし、ギター録音にDOOMの藤田タカシが呼ばれちゃうし、そもそもCRAの曲だけで、自分の曲は入ってないし。
 あれ? 俺、排除されてる?
 もう、いっかー。
……これは石垣じゃなくても、たとえば僕がその立場だったとしても、そう思う。マッドはこういうところが文科系なんだよなー。見ためは体育会系なのに。わざわざジョージ・オーウェルを引用したタケシさんの「同胞ふたりの告発」もそうだった。
 そしてマッドはバンド名からアポストロフィを外して「THE MAD CAPSULE MARKETS」に改めた。まるで「邪魔なものを排除した」かのように。
 
 このバンドを、売れに売れた後期マッドで認識しているあなた。今でもチョロQ転がしてキューブリック動かしてるあなた。
 初期のつたないヴォーカルを引き立てるギターを、聴いてみませんか。ストリート性を押し出した「THE MAD CAPSULE MAEKETS時代」もいいんですが、ラウド・ロックにシフトしていった『4 PLUGS』や『THE MAD CAPSULE MAEKET'S』も聴いてみませんか。
 なんだったら『P・O・P』のインディーズ時代から修正されまくった再録音ヴァージョンを聴いて溜め息をつき、石垣の立場を理解しませんか。そして前期の数少ない石垣曲で淋しくなりませんか。
 そんな縁の下の力持ち、石垣愛が在籍した時代のマッドが未だに自分にとっての「マッド・カプセル・マーケッツ」なんです。自分にとっては。孤高のフェス・バンドではなく、BUCK-TICKやSOFT BALLETとも交流が深かった「バンド時代」。
 その象徴が「石垣愛」だったんです。
 だって石垣がいなくなったマッドは、もう「バンド」じゃないから。
 そしてCRA、もとい上田剛士のAA=が「ひとりマッド」を証明したことで、「マッド=タケシさん」が成立してしまった。もーKYONOさんのエッチ! MOTOKATSUさん、FANATIC◇CRISISがかわいそうよ。なんだこの意味ないしずかちゃん。
 もはや再結成が望めない、というか意味がないマッドだけど、一時期はV系に属されかけたとは思えない大躍進を遂げた。飛びあがるために、ギターで音楽性を固定する石垣の離脱は必要だった。しかもその頃のV系にはヒップホップやラップはhideが少しやっていたぐらいで、それ以外は邪道だった。だからマッドは石垣を外し、V系からも外れた。
 もしV系でもラップや黒っぽい音楽ができる現在なら、マッドは今でもV系にされていたのだろうか。たとえフロントがKYONOでも(←しつこい)。
 きっとKYONOによる政治的な歌詞が増えていたんだろうなぁ、なんて思う。アイドルなんて敵同然で、CRAもベビメタの「ギミチョコ!!」も書いていなかっただろう。MOTOKATSUは筋肉量が3倍になっていたかもしれない。
 そして石垣は、やはり、そこにはいなかっただろう。
 そんなマッドに似合わない淋しさ、憂愁が、石垣には似合う。だから僕は石垣在籍時代のマッドが、むしろ石垣愛という人物が、好きなんだろう。マッドそのものよりも。

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