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【日記】ノート

大学2年の終わりから、日々の学びや発見をノートにまとめるようになりました。
きっかけは当時お世話になっていたゼミの先生の影響から。その先生はご自身の専門とする社会学だけでなく、メディア・デザイン・音楽・料理……色んなジャンルの知識を持っていて、学生一人ひとりをよく見たアドバイスをしてくれました。
「その知識量と視野の広さはどこから来ているのだろう?」と考えた結果、先生のように日々の出来事をノートをまとめることに行き着いた訳です。

ノート1冊目 書き始め

そんなきっかけで始めたノートの1ページ目には、これから始める上での意気込みが書かれていました。

『これから自分は先輩としてアドバイスをする立場になっていく。
日々の気付きやアイデア、人との接し方・向き合い方などの価値観を明確に出来るように書き記しておく。
この1冊が終わる頃に、自他共に大きく成長し、価値ある読み物になっていて欲しいという願いを胸にこのノートを使い始める。』

ですが、この決意とは裏腹に数ヶ月後大学がオンラインに変わり、以降の2年間で後輩と関わったり、人に何かアドバイスをするような機会はほとんど無くなりました。


ノート1冊目 書き終わり

オンライン対応になってからは楽しいことより、辛い時期の方が長かった。前半2年間の学びや経験が活きない場面も数え切れないほどありました。
そんなもがきの1年間を終え、大学4年に上がる頃にちょうどそのノートを使い終えました。結びには1冊を書き終え、大学3年生を過ごした感想がまとめられていました。

『自分はそんなに良く出来た人間じゃない。1年くらいじゃ大して変わらない。
「してあげる」なんて傲慢だ。愚直な姿を反面教師にしてもらうくらいで丁度良い。』

そこにはノートを書き始める時の決意とは180°異なる気持ちが綴られていました。
「他者に何か"してあげる"という姿勢は傲慢である」という言葉は、ノートの書き始める頃に、ゼミの先生から教わっていたことでした。自分はその言葉を1年経つまで飲み込めていなかった。


言葉を理解する

人から言われたことや自分から発した言葉は、実際にその出来事を体験・体感してみないと、真には理解出来ない。
「頭で・言葉で理解すること「体で・行動で理解することは、理解の段階が違う。大学3年生はそれを知った1年だったように思います。

それでも、まずは言葉として理解する。言霊のように吐き出して残しておく。そのためにノートにまとめる行為は必要だと、改めて感じました。
そして実体験を通して、自分はどう感じ・学び、その言葉を自分のものにしたのかについても合わせて書きまとめるようになりました。


これから

ノートをまとめるようになってから早2年。
この春から社会人になりました。

ノートは大学3年生で1冊、大学4年生で2冊を書きました。
2年経ってもやっぱり書いてる時は、「頭で・言葉でしか」理解出来てなくて。それでも1〜2年越しに読み返す頃には、経験を経て「体で・行動で」理解出来るレベルになっていて。
そんな風に点を打っては後から振り返って線を繋いでいくようなことの繰り返しだった気がします。きっと社会人になったこれからも。

社会人になって職業柄、自分の考えや頭の中のイメージを言葉や図表で相手に伝える能力が今まで以上に必要になります。
考える筋肉と伝える筋肉を筋トレするためにもnoteを使って、今まで経験したこととそれらを通して考えたことを文章としてまとめてみることにしました。

考えを整理するのも、文章にまとめるのもまだまだ下手だし、経験を通して考え方が二転三転変化していくのがザラだと思いますが、ひとつよしなに。

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