お台場合衆国幻影探求① -到着-
2022年8月27日。
怠惰な真夏の陽が、晴れ渡った空に照りつける中、我々はついにフジテレビ本社を訪れた。
目的はひとつ。
お台場合衆国の幻影を探し求め、追憶に思いを馳せること。
以下はその詳細な記録と所感である。
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12時ごろ、東京テレポート駅に到着。
電車のドアが開いた瞬間、『踊る大捜査線』の駅メロに出迎えられて早くも心を鷲掴みされる。前に来た時の記憶の奥底の扉が開きかけ、鮮明なイメージを僅かに喚起する。『踊る大捜査線』は、湾岸警察署を舞台とし、フジテレビとお台場のイメージを最初に結びつけた作品と言えるだろう。単なる交通機関のひとつ、りんかい線の一駅にすぎないにもかかわらず、ここから既にフジテレビなのである。
ホームから地上に出るまでの間にも、合衆国の残滓が何か得られないかと辺りを見渡すが、とくには得られない。近くでやっている演劇のポスターやダイバーシティのイベントの宣伝が並んでいるばかりだった。ダイバーシティも合衆国終わりに寄った覚えがあるのに、なぜかそこには惹きつけられるようなことはない。
しかし地上に出た瞬間、ここまで来た意義を感じる。駅の出口から続く白いアーチ状の屋根と細い柱は見覚えがあり、それはお台場合衆国のすぐ隣にある記憶だった。合衆国帰りに夏の夕立に遭って雷鳴が響く中、この道を確かに歩いた。10年越しにその続きを歩いているのだ。記憶の中を旅し、そこに現在の新たな足跡を加える。まさに、これはこの日求めていた営みだった。
その屋根が途切れると、明らかにフジテレビ本社がそこにある。まだシンボルの球体展望台が見えないので、まだ「見た」ことにしたくはないが、確かにすぐそこにあるのを感じる。その辺りの歩道橋下のローソンにも、単なるノスタルジーとは違うお台場合衆国独特のノスタルジー、"合衆国タルジー"(以下、"合衆国タルジー")をかなり感じた。
歩道橋を登り切ると、堂々と、しかし当たり前のように社屋が姿を現し、思わず声が出る。これこそ待っていた光景だった。
銀色に輝く球体を冠し、複雑な回廊の入り組んだ社屋は、いますぐ飛びつきたくなるほど、いつ見ても楽しみが詰まっているように感じられる。
8月27日というのは完璧な日だった。お台場合衆国は7月中旬から8月末にかけて開催されており、7月中に行くと「これからまだ大型イベントが待ち受けている夏休みの序盤」にすぎない感が否めない。もう一つのフジテレビの夏の代名詞ことFNS27時間テレビともなんか時期をずらしたい。FNSというのは何なのだろうか。FNSが入っているとフジテレビがガチの力を出している感があり、とても良い。しかし夏休み最終日に近すぎると、どうしても世界が始業式の様相を呈してくる。ひぐらしの声などが加担する。その日は家で宿題に追われたり、外のベンチでアイスを食べて過ごすぐらいがちょうどいいと思う。だから、8月に入ってどんどん濃くなる合衆国ムードのピークと、始業式ムードの開始ライン、二つの曲線が最高と最低で揃う。ここ。もうこの先に大した大型イベントもなくて、"気分的な夏休み"の最終日、その日こそが、お台場合衆国日和であり、それがまさに8月27日なのだ。
(9月の最初までやっている年もあったが、9月に行くお台場合衆国などはお台場合衆国ではない。)
フジテレビのシンボルである球体展望台、通称「はちたま」は小慣れたように陽の光を受け、独特の濁った輝きを無言のまま放っている。しかしなぜか同時に、その内側には、虚無な空白を感じた。
②に続く。