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お台場合衆国

「また開催してください」じゃなくて、戻ってきてください、二度と戻ってこないことは分かってるけど、ここ数ヶ月間、脳のほとんどをこの回顧に使っている。

二十歳になるまで忘れられないほど楽しかったわけでもなく、当時のテレビ業界への憧れもなく、8チャンが一番大好きだったみたいなこともそんなになかったけど、宿題と暑さと同じくらい当然のように夏休みに鎮座していた。自分一人が観てるテレビという錯覚が、大勢の人に共有されていることを目の当たりにして覆ることなのか、画面越しの世界への参加という次元の越境なのか、文化祭っぽい賑やかな雰囲気なのか、お台場なのか、平成なのか、夏なのか、何がこうさせるのかはわからないが、去年8月末、この幻影を探る為に本社を訪れ、少なくとも「お台場」と「夏」だけが揃ってもあの空気感は出ないことを知った。これを単なるノスタルジーで済ませていいのか?(いいや、済ませてはならない。)

映像メディアの立体化・テーマパーク化・国家化という点でディズニーランドと重なる(重ねたくなる)が、ディズニーが浦安やアナハイムといった"場所"であることを一旦消去して、特定の時代と"空間"に塗り替えているのと異なり、お台場はお台場のまま舞台として成立していた。むしろテレビがお台場という地のブランドを強めている。「フジテレビ合衆国」ではなくお台場合衆国。

あと、合衆国にはぜったいに夏しかない。そこで四季折々どんなイベントをやりましょうか、ではなく、存在自体がイベントというイレギュラー性。

テレビはモザイク状だ、と聞いたことがあるが、歩いていて「偶然」何かしらの番組のブースに行き当たるという行為は、まさにテレビを観る体験を身体で行っているのではないか。だからこそ、番組ブースの間の何もない空間──番組と広告が絶え間なく隣接するテレビには存在し得ない空間──を移動する時、私たちは一体どこを歩いているのだろう?そこにこそ、どの番組とも具体的に指し示せない、フジテレビそのものに漂う全体的で曖昧な空気が溜まっていた、それは合衆国でしか味わえなかったんじゃないか。コレかも!かなり核心に近いものを見つけたかもしれない。しかし、それがなぜここまで私だけを惹きつけるのか?今現在と何が違うのか?まだお台場合衆国の煌めきを到底説明しきれていない。説明できると思っていない。

探究は続く。。

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