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桐敷拓馬選手が気づかせてくれた「何もなかった選手なんていない」ということ

唐突ですが、放送中のNHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」のなかで、
「生きていて何もなかった人なんていないでしょ」というセリフがありました。「何もなく、ふつうに、ひたすら、ハッピーにきてきた私」が、人に何か伝える資格があるのか、と悩むお天気キャスターの登場人物に、同僚がかけた言葉です。

なんでも野球に例えたり、野球とつなげたりするのは、野球ファンの迷惑なクセかもしれませんが、その言葉は私に応援していたある選手を思い出させるのです。それは、先日のドラフト会議で阪神タイガースから3位指名された新潟医療福祉大の桐敷拓馬選手です。

新人戦デビュー、リーグ戦での期待高まる!

これまでの投稿にも記していますが、関甲新学生野球連盟に所属する新潟医療福祉大学を長く応援しています。そんな日々のなかで、桐敷選手を初めて見たのが1年生だった2018年6月の新人戦。「江夏みたいな雰囲気だね」と家族と話したのを覚えていますが、それほどに落ち着いた投げっぷりで、その後のリーグ戦での活躍を大いに期待させてくれるものでした。

同じ年の秋には、リリーフとしてリーグ戦デビュー。大学野球に対する手応えも芽生えた1年だったのではないでしょうか。

そして迎えた2019年春のリーグ戦。エースだった4年生が離脱していたこともあり、桐敷選手は先発をまかされることになりました。自身としては初戦となる上武大戦で5回4失点。でも、私はまだまだ楽しみしかありませんでした。


ベンチ入りメンバーからも、スタンドからも姿が……

次週の白鷗大戦1回戦。事故渋滞に巻き込まれ、試合開始15分後に球場に着くと、イニングはまだ1回表。マウンドにはランナーを背負った桐敷選手の姿があり、席に着くや否や7番打者に死球。8番打者は三振に抑えましたが、初回2失点。なんと、この回で降板してしまいました。

翌日の2回戦、桐敷選手の姿はスタンドにありました。あの江夏っぷりがすっかり消え、「ザ・苦悩」「ザ・苦悶」という表情。その背中は丸く小さく、うつむいたり、髪をかきむしったりしながら、落ち着かない様子で試合を見ていました。そして、次週からは、試合会場でその姿すら見えなくなったのです。

この年の春のことについて、『週刊ベースボール』の「連載2021ドラフト候補」の記事にて、「マウンドで弱気になってしまい腕が振れず」「不甲斐なくて悔しさしかなかった」という状態だったと振り返っていました。

帰ってきたーっ! そして、大きく、大きくうなずいた

次に桐敷選手を見たのは、6月の入替戦でのこと。先勝して迎えた2回戦、0-0の8回表、1アウト・ランナー2塁の緊迫した場面で登板したのです。最初の打者にいきなり四球。入替戦独特の緊張感のなか、ベンチからはひと際大きな「きりしきー、いけー」という声が飛んでいたように思いました。サインやベンチからの声に、桐敷選手は首がもげるかのように、何度も、何度も、大きくうなずき、8回をゼロに抑えます。8回裏、チームが犠牲フライで1点をもぎとると、桐敷選手が9回を三者凡退で抑え、連勝。最後の打者から三振を奪った桐敷選手は大きくガッツポーズをし、チームは1部残留を決めたのでした。

春季リーグ後の新人戦では、まだ思ったような結果ではなかったかもしれませんが、登板を重ねてチームは優勝。迎えた2年秋のリーグ戦では先発に復帰し、9月22日の平成国際大戦で、18奪三振のリーグタイ記録で完封勝利を挙げたのでした。


同じく『週刊ベースボール』の記事によると、苦悩と復活の濃い濃い春季リーグ戦を終えたあと、「いまのままではダメだと」思い、瞬発系などのトレーニングで下半身を鍛えたとのこと。意識や取り組みの変化が、さっそく実った秋なのでした。

評価はどんどん上がり、堂々たる「ドラフト候補」に

翌年、3年春は新型コロナの影響でリーグ戦が中止、エキシビジョンマッチや秋季リーグ戦、最終学年となった今年も春季リーグ戦はありましたが、無観客試合が多く、なかなか観戦できませんでした。見られない試合は「一球速報」でチェックしながら、その活躍ぶりを想像し、ニヤつく日々なのでした。

桐敷選手はどんどんと評価を上げていき、堂々たる「ドラフト候補」に。見られない試合も多かったせいか、それでも、やっぱり、私にとって「桐敷選手といえばあの入替戦」。「私がおむつを替えてあげた」と会うたびに言う親戚のように、何度も家族と「あの試合が大きかったよねー」と話したものです。

会見での監督の言葉に、今度は私が大きくうなずく

先日のドラフト会議。桐敷選手の指名後の会見動画を見て、私は改めて「桐敷選手といえばあの入替戦」の思いを強くします。それは、新潟医療福祉大の鵜瀬亮一監督(当時はコーチ)が、あの入替戦での登板を「ターニングポイントだった」と語り、「まだ制球が不安定ななか、佐藤総監督(当時は監督)が起用してくれたことに感謝しています」と涙声で語ったのです。

(20’00”あたりから。※登板時のスコアは「0-0」が正しいかと思います)

その姿に、送り出した側の覚悟を知り、今度は私が首がもげそうになるほどうなずきました。指揮官と仲間の思いに応え、弱気な自分を脱したいという桐敷選手の思い、両者の心情を察しまくったであろうベンチの仲間が張り上げる大声。「そりゃ、ベンチの声も大きくなるし、首がもげるほどうなずくわよね……」と、こちらも思わずもらい泣き。聞かれてもいないのに用意していた「桐敷選手といえばあの入替戦」という私の勝手な回答に、「○(マル)」をもらったような気持ちになったのでした。

広がった野球の見方。これからも、想像してみたい

そして、冒頭の「何もなかった人なんていない」のセリフです。
文字量や放送時間の制約もわかっています、いいところをどんどん伝えてくれればいいんです。そう思ってはいても、「フォームを改善し大学で急成長」などと、まるっとサクッと桐敷選手の4年間をまとめた報道を見ると、「まとめすぎぃーーー!」と言いたくなってしまうのです。同時に、あの選手にも、この選手にも、あらゆることがあって、ドラフトの日を迎えたんだろうと想像できる私がいたのでした。もちろん、これまでだってだれもが右肩上がりの順調な日々を送っていたと陽気に思っていたわけではありません。でも、今年ほど「何もなかった選手なんていない」という当たり前を想像できたドラフトはなかったのです。

ひとことで言うと、「おかげで野球の見方が広がりました」という思いです。でも、これはひとつの「見方」。スポーツを、ただ、ただ、「結果」だけで見るのもひとつの楽しみ方です。むしろ、桐敷選手が飛び込むプロの世界には「これまで苦労したで賞」「陰でがんばったで賞」などないし、あんなことやこんなことがあったんだろうと想像してばかりでは疲れてしまいます。裏話、感動秘話先行の報道は選手に失礼だし結果で評価することは、結果にこだわるプロに対するマナーだとも私は思っています。

そんな私ですが、それでも、ときどき、選手の歩んできた道のりを想像してみたいと思います。これまでよりも少し、強く、広く。「何もなかった選手なんていない」という言葉に実感がともなったいま、私はいっそう、野球という趣味を楽しめるのではないかと思っています。

一方で、ドラフトは悔しさと背中合わせ。気持ちの整理がついたら、今年のドラフトについて、もう1つの思いをつづりたいと思います。

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