【3年間の記録】介護や福祉に想いがあるだけじゃない。等身大の自分に、何ができるかを考えることからはじまる世界
いよいよ、明日から社会人になるわたし。
大学生活を振り返る中で無くてはならないコミュニティがありまして、今日はそこで過ごした3年間を文章にしてみたいと思います!
コミュニティの名前は、「KAIGO LEADERS」。運営メンバーとして大学2年生〜4年生の時を過ごしました。
当時のビジョンは、「2025年、介護のリーダーは日本のリーダーになる」。現在は「すべての人に、カイゴリーダーシップを」というビジョンを掲げて活動をしています。
私は3年間で、合計3つのチームに所属していました。
2021〜2023年前期→KAIGO MY PROJECTチーム(2年半)
2022年→PRチームのレポート担当(1年間)
2023年後期→イベントチーム(半年間)
そこで出会った学生は数人程度で、ほとんど自分よりも年上の皆さんとご一緒する機会が多かったです。今のチームリーダーは干支が一周分離れていますし、「2001年生まれ!!!」と驚愕されることも。
今でこそ、年齢なんて関係ないぞ!という気持ちでのびのび活動していますが、当時はなーんにも知らない19歳でした。
出会いとこれまでの活動
出会いはなんと、Twitter!
大学1年生の春に学生団体に入り、その時に初めてTwitterのアカウントを作成しました。「福祉に思いがある人と出会いたい」という気持ちから、福祉関連の情報やイベントを発信する団体・人を見ていた時に、タイムラインでKAIGO LEADERSのアカウントと出会ったことが始まりです。
勇気を出して、初めて参加したイベントはこちら。
なんて素敵な告知文!
コロナ禍で入学したオンライン漬けの私をズバッと撃ち抜く文章。当時大学1年生の春休みを送っていた私は、「参加したら、何かが変わるかも…」と思って、申し込みを決意しました。
このイベントをきっかけに私は運営メンバーに申し込み、面談の結果一番興味のあったマイプロチームの一員となるのでした。
これまで携わって来たイベントのバナー画像たち。タイトル、テーマ、届けたいターゲット、ゲスト選定、告知文章作成、SNS投稿をはじめとした集客活動など、一通りのことを経験しました。
特にマイプロは、3ヶ月全6回というワークショップ形式のため、プログラム1回1回のテーマや内容、ワークや宿題に何を設定するのか、プログラムに参加する皆さんへのフォロー対応など、一つ一つが本当に新鮮で、学びに溢れる時間でした。
時には運営メンバー紹介でInstagramに投稿いただくことも。大学生活の友人がたくさんいいねを押してくれたことが、活動を知ってもらう1歩として、とても嬉しかったです!
PRチームで書いたレポートは2本!WordPressの流し込みにも挑戦し、イベントに参加していない人にも学びを共有する方法を知りました。
活動する中で2回メンバーアワードに選んでいただいたことも、大切な思い出の一つです!「最もリーダーシップを発揮したメンバー」を半年に一度みんなで投票するのですが、2022年の前期と後期にお名前を挙げていただきました。
その時のツイート↓
こうした貴重な機会を作ってくださることも、半年に一度振り返るタイミングとしてとても嬉しかったです。何より、一人一人がバリューを体現する姿を再認識する時間として、勇気とエネルギーをいただきました!
こちらは活動外でのちょっとした自慢!
大学2年生の秋頃、大学の広報課からインタビューしていただきました。今の自分の考えとはちょっと違うこともお話ししていますが、こそっと載せておきます!
KAIGO LEADERSでの活動を、大学関連の色々な人に知っていただく機会になったのが、とても嬉しいことでした。基本的には大学での活動が積み重なった3、4年生頃にインタビューを受ける場合が多いと思うのですが、「コロナ禍で経験が少ない私たち世代だからこそ、同じ世代の背中を押してほしい!」とお声をかけていただき、こうして形になりました。
なんだか懐かしいな〜
学んだことを3つ挙げるとするならば
ここまでの活動を振り返って、最後に学んだことや感じたことを私の言葉で綴ってみたいと思います。
1つ目
まずは1つ。一通りのイベント運営・チーム活動のスキルを学びました。
それらはすべて、アルバイトやインターン、ボランティア活動でも応用できたものも多く、社会人メンバーに上手い議事録の書き方やスプレッドシートの関数を教えてもらったり、時間内で合意点を見つける話し合いの仕方を体感したりすることも。
どこへ行っても恥ずかしくない、基本的なスキルを身につけることができたのは、本当にありがたかったです。特に、座学やまとまった時間をとって学んだ訳ではなく、自然な形で実践的な学びを得ることができたのは、私にとってもすごく合っていたと思います。
大学2年生から企業×学生×福祉施設のボランティア活動に取り組んだ時や、大学4年生から挑戦した採用広報のインターンなど、3年間の大学生活で勇気を出してトライした経験の根底には、こうしたベースとなるスキルがあったからこそだと思います。
また、大事なのは「どうやって、誰に、何を届けるか」を言語化して、わからなくなったらそこに立ち戻って考えるということも教えていただきました。
学生同士だと、どうしても立ち戻ることができずに流れゆくままになってしまうことも多い気がしていて、プロボノとして関わるチャンスをいただけたからこそ、こうした本質的な学びを得ることができました。
2つ目
2つ目が、「やさしさとこだわり、粘り強さ」。ちょっと伝わりづらいかもしれないけれど、これなんです。
福祉に関わっていると、いろいろなやさしさに出会うことがあって。みんなにとってハッピーなものもあるけれど、時にはそれが自分を苦しめることだってあるんじゃないかと、私は思います。
やさしさが前に出ているあまり、相手に伝えなければいけないタイミングであっても、はっきりと伝えることができない、なんてこともありますよね。
でも、私が経験したこの3年間では、やさしさの一つの側面である「心理的安全性」の高さをもつとともに、「伝えなければいけないこと・自分の意見を表明するポイント」では、はっきりと言葉にすることが、文化というか雰囲気としてあったように思います。
それは、「大学生だから」「社会人だから」「女性だから」「男性だから」「介護職だから」「介護職ではないから」というような言葉たちを超えて、いいものを作ろうとか、いい活動をしていこうという想いが根底にあるからこそ、湧き出ているものだったのかもしれないです。
もし、「やさしさ」が前面に出るような活動だったとしたら、私はどこかで息苦しくなっていたし、自分のやりたいことだけをやっていたかもしれないし、「私なんかが言ったって、どうせ変わらないだろうな」と諦めてしまっていたかもしれません。
私のこだわりや積み重ねてきたものを大切にしながら、「それってどうやったら実現できるだろう」とか、「こういう発言だと、あやかちゃんが想定していたこととは違う形で受け取られてしまうかも」、「事前打ち合わせには、こういう準備がもっと必要だったね」と、はっきりと伝えてくれる場面が沢山あったことが、本当にありがたかったです。
やさしさだけじゃない。
だからこそ、年齢や性別、立場や職業といったラベルを剥がせた。「今の私にできることはなんだろう?」と考えられた。
振り返ってみると、そう思います。
最後は…
最後はこちら。「矛盾は、ある。すべてが綺麗な訳じゃない。でもね…」
もはやなんのことやら、と思われるような言葉選びかも。でも、飾らない言葉で本当の私の気持ちを書いてみたかったので、こんな形になりました。
活動を積み重ねる中で、私の介護との接点を考える機会は山ほどありました。社会福祉学科に在籍していることもあって、大学の学びとすぐに繋がることばかりでしたが、もう一つ、自分の中での原体験とぐいぐい結びつくことが一番多かったです。
簡単にいうと、いくら自分が介護や福祉を通して、「こんな風な社会を作りたい」と願っていても、私は全くのいくじなしで、無責任で、自分の手の届く範囲のしあわせのために動けない、無力な人間だということです。
大学1年生の秋に、祖父が亡くなって。
その時の気持ちは初めて書いたnoteにちょっと綴っています。
そこから一転して、私は家族とうまく付き合えなくなりました。
表面上では偽りの自分が笑っていたけれど、心の奥底では泣いていて、失望していて、本当に、本当にどん底でした。誰にも相談できなくて、行き場のない思いと向き合う時間も長かったです。
誰かのためを思って行動することが、あんなにも好きだったのに。本当に大切な人のために、当時の私は動くことができませんでした。
祖父がこの世を去った後、大きな家族の問題が発覚したことから、信頼とか、家族の愛とか、夢を描くとか、普通の定義を考えるとか、こういう一つ一つのものたちがなんだかうざったくて。
カイゴリーダーシップを発揮できるようなひとにならなきゃいけないのに。自分が楽しく前向きに活動していることに、後ろめたさを感じる瞬間が何度もありました。
こうした実生活で起こっていることと、運営メンバーとしての活動の間に、矛盾というか、すき間ができてしまっていることを感じる。言葉にできない、罪悪感がありました。
***
そんな思いを抱えながら活動して2年が経ち、3年目である大学4年生の頃、ちょっとずつ自分自身が抱いてる気持ちと向き合えるようになりました。
矛盾とか、すき間とか、罪悪感とか。そういうものを持っているからこそ、作れるものがあるんじゃないか。そう思えるようになったのです。
介護や福祉に対する前向きな投稿をSNSにあげながら、心のどこかで後ろめたさや自分の中にある冷たさを感じているのが、ずっとずっとあったけれど、そういう想いこそ言葉にして届けてみようと、徐々に気持ちが変わっていきました。
何か一貫性があることが、とってもカッコよく見えるけれど。そんな一本の道を作ることはできなくても、自分がふらふら、うろうろして歩いてきた道に価値を感じてくれる人や、一緒に歩みたいと思ってくれる人だっている。
運営メンバーとしての活動は、私の内面的な小さな、でも確実な変化を与えてくれました。
介護や福祉に想いがあるだけじゃない。
「介護や福祉に想いがあるだけじゃない。等身大の自分に、何ができるかを考えることからはじまる世界」というタイトルを、このnoteにつけました。
この裏側には、沢山支えてくださった運営メンバーの皆さんや事務局の皆さんがいて、わたしの家族や友達がいて、大学の教授がいて、ボランティア活動で出会った仲間がいます。
私の大切な、大切な3年間は、誰かの気づきになるかはわからないけれど、たった1人の大学生が奮闘した時間をここに残しておくことが、これからの私を救うかもしれないと思って、書いてみました。
これまで出会ってくださった方、支えてくださった方、「あやかちゃんならできるよ!」と声をかけてくださった方、全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、ありがとうございました。
明日から、また頑張るぞ!