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現実のススメ

おはこんばんちは!
どうもエロ界の子午線ことバーテンの貴さんです。

noteに初挑戦です。これまでもTwitter、ブログ、line@で発信してきたのですが、いよいよテキストでの有料コンテンツをやってみようと思い挑戦してみました。

今回のタイトルである「現実のススメ」ですが、どういうことかと言いますと、普段僕が発信していることは基本的に「もっと楽に楽しく生きていいんだよ」ということなのですが、言い換えると「現実」を見るということになります。
世間一般では「現実」は厳しいもので「楽」「楽しい」とは真逆では?という認識だと思うのですが、まずそこから覆していこうかなと思いこのタイトルにしました。これまでに発信してきたことが線として繋がってくることでより理解が深まれば幸いです。はじめましての方にもこの考え方に触れて少しでも楽になれることを願います。

目次
1・[現実を見ているか?]
2・[生きづらさの正体]
3・[嘘や誤解]
4・[変わりたい、変われるのか]
5・[自発性]
6・[足し算と引き算]
7・[感情と自分]
8・[セッティング]
9・[0に向かう]

1・[現実を見ているか?]

「現実を見ろ」「現実を見ているか?」「現実的ではない」等々聞いたり言われたことは誰しもがあるのではないでしょうか?そもそも「現実」ってなんだ?となってきますよね。辞書では「頭の中で考えるだけのことではなく、現に実際こうであるという状態、事実。」とあります。つまり「現実を見る」というのは実際に見たり聞いたり感じることだということがわかります。

できてますか?

僕はできてない人に現実を感じてもらうためによく「やったらわかる」と言います。しかし帰ってくる言葉はだいたい「なにがわかるんですか?」とか「具体的にどういうことですか?」等々です。それに対して僕は「わかりません、何故なら僕はあなたではないからです、どの様に感じるかは人それぞれです、だからやってみないとわからない。」と返します。
上の会話から現実を見てない人の特徴が見えてきます。
・行動ができない
・なぜ行動ができないかわからない
・言葉に囚われている
・考えてるフリをしたり考えることをサボったり、考察と頭の中でこねくりまわすことを混同している
等々です。
まず行動について、いくつか要因を挙げます。
・その行動によってどんな利益があるのか知りたい
・利益が生じないことはしたくない
・怖い
この3つが大きいのではないかなと思います。利益が生まれないことをしたくないとか実利を求めるのはとてもよく解るのですが、それを求めて実利を得たり、継続できることって少ないんじゃないでしょうか?後述する[自発性]で詳しく書きますが単純な足し算的行動(以下足し算)ができないように人間はできています。また、怖いというのは「知らない」ということです。そこで知識や他者の知見が役に立ちます。しかし知識だけではわかったことにはなりません。知識はあくまで未体験という暗闇を照らす灯りで現実はその先にあり、自分でやることによって本当にわかる、つまり現実を見るということになります。上の様に説明するととても長くなりますし、読み疲れを理解した手応えと感じてしまう人には余計わからなくなってしまうので短い言葉にまとめると
「実際にやった感覚が言葉を超えてくるのが現実」
これが抽象的すぎるなら、やはり「やったらわかる」が適切なのかなと思います。
こうしたやってわかった現実を積み上げていったものが経験になり人は成熟していきます。つまり、かなり多くの人がまだ現実を見ていなかったり未熟なまま大人をやっています。
仕事や専門分野では現実を見ているのに自分の現実は見えていない人も多いです。それはやはり「現実=厳しいもの」と捉えて仕事では現実的に、プライベートでは嘘や現実逃避をすることをオンオフのメリハリをつけることと勘違いしている人が多いからではないかなと思います。そうなると自分や人生を見詰めた時に迷ったり疲れたりしてしまう。だからそもそも現実を見ていたほうが楽だし楽しいということです。


2・[生きづらさの正体]


現実を見れなかったりわからないという人はやはりどこか生きづらさを抱えていたりするのですが、それすらわからない、なにが生きづらさなのかわからないという人が多いと思います。そこでいくつか例を挙げてその正体に迫りたいと思います。
・男性と女性
・遺伝
・個性
・飼われてきたか育てられてきたか
もちろんこれだけではないですし、個別に話を聞かなければ実際のところはわからないということを頭に入れて読んでもらえると幸いです。

・男性と女性

いまだに男女の違いをあげつらって議論にもなっていない喧嘩を日常やネット上でもよく見かけると思います。結論から述べると男女は違うところがあり一長一短がある、そこを補いあえばいいだけ、ということです。では、その違いとは?一長一短とは何か?ということになります。それは見た目や体の作りだけではなく脳の仕組みやそもそもの成り立ちが大きく関係してきます。
知っている人も多いと思いますがそもそも女性より男性のほうが一般的に言うところの「デキの悪い人」がかなり多いです、女性より弱いとか不安定と言ってもいいかもしれません。社会的には女性の10倍くらい多く犯罪を犯すし、脳で見れば発達障害等の割合も女性より多い。そもそも男性は女性からできています。女性の染色体XXに対してXYで構成される男性は言わば女性の突然変異でありその分極端で不安定です。メジャーリーガーの大谷選手のように肉体的にも超優秀な人が女性より出てきやすい反面とても弱い人も出てきやすい。そしてその超優秀な人も個人的に極端な部分がありできることはとことこんやるが、できないことはとことんできないという面があります。これはどういうことなのかと言うと、生き物としてより良い種を残していくための仕組みです。人間は旧石器時代からそんなに進化していません。ですから、本能や上に書いた仕組みが色濃く日常にも出てきます。女性の理性の強さや我慢強さ、言語能力の高さというのは出産の痛みに耐えたり、子供を忍耐強く見守ったり、群れの中でのコミュニケーションをとり仲間外れにされない為であったりします。これを現代社会で生きていく為に使うとどうなるか?自分より周りを優先しやすくなったり、我慢しすぎることに繋がり生きづらさの種となります。
一方男性は狩りや争いの為に肉体が発達し理性から本能へのスイッチが緩い、現代社会の中で上手く適合できれば社会的な成功を納めやすい反面、犯罪やトラブルを起こしやすくそれが生きづらさの種となります、また上述したように極端な能力分布からの格差が生まれやすく、それもまた大きな生きづらさの種となります。
そもそもが男女が対で1つの種なので違いで揉めるのは無駄です。最初に述べたように補いあえばいいのです。
セクシャルマイノリティーの方達も社会に生きているのでなんらかの形で種の繁栄に関わっている(税金等)ので補いあいの輪にはきちんと入っています。

・遺伝

遺伝は人を形成する大きな要素です。見た目にわかることだけではなく性格等の内面も遺伝します。精神疾患等も8割という数字で遺伝します。しかしこれは遺伝で殆ど決まってしまうから諦めろということではないです。諦めたり受け入れずに社会を見れば生きづらさの種になるのですが、自分を知り受け入れればできることできないこと、というのが見えてきます。
仕方のない部分を責めたり責められたりするより、できることを伸ばしていくと楽になります。そうすると他者を許せたり補いあいもしやすいのではないでしょうか。

・個性

個性を押さえつけたり、個性を出せとか板挟みになることも多いと思うのですが個性が何かわかればこんなことに悩むことはなくなります。個性というのはもって生まれたもので体や脳も含めます。つまり変えようがないところです。どんなに矯正しても変えられないところ、やらずにはいられないことが個性です。先に述べた押さえつけたり、出す出さないということができない部分です。
多くの人が今現在考えている「意識」が個性だと考えるから勘違いが起こります。意識はとても流動的でどんどん変わっていきます、つまり個性とは違います。
自分の個性を知るのは簡単です先述した変えられないところを探すだけです。仕方のないところなのでそれを生かすように折り合いをつければ楽です。

・飼われてきたか育てられてきたか

人間の人格を形成する要素として大きいのは遺伝と親との非共有環境です。家庭内が親との共有環境で、それ以外の友達関係等を非共有環境と言います。つまり親が行う教育や言うことはあまり人格に作用しないということです。
しかし、例外がありますそれは「マルトリートメント(不適切な教育)」です。
これが飼うのと育てるの大きな違いです。上述したように子供は基本的に非共有環境を優先するので親の言うことを聞きません。ただしそれは適切な環境における話です。言うことを聞かせるために虐待とまではいかなくても抑圧的だったり自尊心を攻撃するような発言や態度を取られ続けていけば精神的にもダメージを受け、脳も萎縮します。つまり人為的な発達阻害です。もちろんこんなことをされ続ければ親にとっては都合のよい飼いやすい状態なのですが、子供は心も脳も育ちません。こんな状態でいきなり社会に放り出されるとどうなるか?
子供のままこの現代社会を生き抜いていかなければならなくなり、大きな生きづらさの種になります。もちろん親の責任も大きいのですが、殆どの場合親にも自覚はありません、それどころか良かれと思っていることの方が多いでしょう。どうすればいいのか?
自立するためには自分で考えて生きていかなければなりません。親を憎んだり責任を押し付けたくなる気持ちはわかりますが、そんなことを言っていてもなにも始まりません。
飼われてきたことを受け止めて、できることからはじめましょう。そうしてあなたが育った先に親を許すこともできるのではないでしょうか。(極端な毒親等すぐにでも関係を絶ったほうがよい場合を除く)


3・[嘘や誤解]

ここまでは主に自分の内面を見るということをしてきました。一人称の現実です。ここでは二人称や集団の中での現実を見ていくうえで大事な、嘘と誤解について述べていきます。

・嘘や誤解との付き合い方
・嘘のつき方の違い
・なぜ嘘に惹かれてしまうのか?

・嘘や誤解との付き合い方

一人称の現実を見ても他者と関わると違いや嘘、誤解で混乱したりトラブルが起こったりします。相手との関係性や社会の常識も作用して悩みや生きづらさの種になりやすく、人間関係が難しく嫌なものに感じるかもしれません。その中でも嘘や誤解は厄介なものだと感じやすいと思います。しかし、自分が自分にも他者にも正直に生きていれば嘘をついた人や誤解をした人が最後に損をするということがわかります。究極を言えば嘘や誤解が降りかかっても放っておけば自分が損をすることはないとうことです。
冷たく聞こえるかもしれませんが、他者に期待せずに、嘘や誤解にも振り回されないようにしておけばしておけば、信頼、信用、裏切りといったことからも解放されます。
大事だと思う関係ならば尚更お互いが正直になれるようにしておけばとてもよい関係が築けます。期待をしていないので喜ばしいことは更に嬉しいし何かトラブルがあっても仕方のないことと割り切れます。
観察してみればわかりますが、信頼、信用、裏切りという言葉は自分にも他者にも嘘をついている人がよく使う言葉です。良好な関係を築くことができていればそんな言葉を使う必要が無い。わかりやすい例でいくと口約束と契約です、関係性が育っていれば口約束で済むし、契約は嘘をつかせない、またはつけば訴えることができるものです。

・嘘のつき方の違い

嘘にも個人差があります。極端な例でいくと虚言癖等です。子供を見ているとわかりますが、嘘は防衛本能です。つまり未熟な人や怯えて育ってきた人に顕著だということがわかります。
また、男女差もあります。よく言われるのが「女性の嘘は新聞や週刊誌、男性の嘘は東スポ」です。女性はそもそもの事柄は事実だが詳細が嘘であることが多く、男性はそもそもが嘘ということが多いということの比喩です。そして、女性は自分に嘘をつくことが多いのに対して男性は他者に対して嘘をつくというものです。これは本能が大きな要因です。女性の自分に嘘をつくのは我慢しやすい本能が、男性が他者に嘘をつくのは攻撃性や狩猟本能から。
社会通念的には嘘も方便や、綺麗な嘘等仕方ないものだとされていて、誰もが罪悪感を薄めていますが上述したように、最後に損をするので、とっとと止めたほうがいいのではないかなと思います。

・なぜ嘘に惹かれてしまうのか?

生きづらい人やしんどい人だけではなく、多くの人が嘘、または夢に惹かれます。オンとオフを切り替えた時のオフを現実逃避に当てることが価値観として広く認知されていることが大きいのかもしれません。
サービス業ではこの嘘がよく使われます。感情や感覚というのはそもそも自分から感じるものなのに「癒します」「楽しませます」等々耳触りの良いキャッチコピーで集客します。ほとんどの人が感情の動きは外からの刺激に対する反応が大きな要因だと思っているので、そのような嘘に惹かれます。
感情や感覚が自分から感じるものという認識が無いので、この手のサービスでは得をする人と損をする人の差がとてつもなく大きいです。得をする人は元から自分から楽しみを掴みにいけるので得をしますが、そうでない人は楽しめず、また、得をした人を羨みます。というより、得をする人はそもそもこの手の嘘のサービスを使いません。やはり嘘のサービスをしている人達もターゲットを損をしやすい人に絞っているところが多いです。また、この手の嘘のサービスを利用すると感情や感覚の引き金が外にあるものだと勘違いしてサービスに病的な依存をしてしまうことが多いです。
サービスに限らず人間関係でも嘘というものに惹かれてしまう人が多いです。恋愛はそれが顕著に出ます。
「察する」「エスコート」等が代表的です。どちらも気が利くと思われがちですが、適切なコミュニケーションをとったうえでならとても良いのですが、コミュニケーションをとらずに過去の経験に当てはめるだけの「えせ」が多いように感じます。受ける側もコミュニケーションをサボれるので楽なのかもしれませんが、後々しんどくなります、嘘なので。
相手に嫌われないために自分に嘘をついたり、相手を手に入れるために嘘をついたり、嘘が重なれば後々後悔や損をします。一般的には嘘の価値観のほうが主流ですが、しんどいと気付けたなら嘘をやめてみることをおすすめします。


4・[変わりたい、変われるのか]

この記事を読んでいる人は生きづらさを抱えていたり、変わりたいと願っていると思います。「変わりたいけど、変われるのか?」という問いに先に答えておきます。結論から言うと「変われるところは変われるし、変われないところもある」となります。
2・[生きづらさの正体]の個性のところで述べたように、変えられないところを先に認識して受け入れる、それ以外は変えれるというか日々放っておいても変わっていってます。
多くの人が「自分=意識」だと考えていて、自分は自分変わらないと思っていたりします。しかし、それは意識があるが故の勘違いです。一年もあれば体の細胞は入れ替わりますし、意識なんて毎秒うつろい変わっていっています。
自分は自分で変わらないと思うのは脳の仕組み上の錯覚です、「自己同一性」とも言われます。この仕組みのお陰で私は私、あなたはあなたと区別がついたり、寝て起きる度に性格が大きく変わるというようなことがなく、社会も上手く回ります。ただ、やはり極端すぎるとしんどくなります。
「軸がぶれるといけない」と言われることも多いですが、上で書いた通り、そんなものを意識しなくても変わらないところは変わらないので気にしなくてもいいです。ただし、人間の脳には「継続する」という強い特性があるので、これまでのしんどい生活や、怠惰な生活をいきなり変えるのはなかなかしんどいと思います。その覚悟は必要です。なのでやらずにはいられないことからスタートすることをおすすめします。
世間に溢れるハウツーや発信者達は個人の感想を一般化しがちなので「最初は私もしんどかった」「はじめはコツコツ」「諦めたら終わり」と言いますがあまり真に受けない方がいいでしょう。それができたのは発信者のやらずにはいられなかったことだからです。ここを勘違いして発信者のやらずにはいられなかったことを自分のやらずにはいられないことと思ってしまうとやりたくはなるが続かないという状態になります。
世間には足し算が溢れていて眩しいので引き寄せられるのですが、それはあくまで自分のしたいことではないということを認識しておいたほうがよいと思います。


5・[自発性]

人が何かをやる時に一番大きな要素は自発性です、この自発性にはかなり本能が色濃く残っています。その本能とは「欲してないものや自分で得たもの以外を拒絶する」という特性です。ライオンに自分で捕獲していない肉を与えても口には入れないという習性と同じです。この特性は誰しもが普段感じているが無意識な部分も大きいので気付けないところでもあります。
与えようとしても、思ったより反応が薄かったり、拒絶されたことはないでしょうか?それもこの特性です。この自発性は何かをやる、継続するときには欠かせないものです。しかし、多くの人が偶然や運などに任せていたり、強い自発性を発揮する前に一生を終えたりしています。
ではこの自発性はどのようにして生まれるのでしょうか?
それは「自分の足りていない部分を埋めたいという強い気持ち」です。何かを足していくポジティブな気持ちではないのか?と思うのは無理もありません。世の中ではそう思っている人の方が多いので。しかし、その足し算は続きませんよね?だからダイエット本やハウツー本は手を変え品を変え生まれ続けるのです。ほとんどの人が自発性を出せずに断念するので、そこに新しい希望を与えるというビジネスです。  
本題に戻って自発性の出し方ですが、自分の足りない部分というのは足し算では見付からないどころか、見えにくくなります。これまでに述べてきたように、できることとできないことを見つめる必要があります。その時にやりたいことや、やらずにはいられないことを見つけられます。足りないところとはつまり弱いところなので、なかなか受け入れるのは難しいのですがそこを受け入れないと自発性どころか生きるのも辛くなります。
また、この自発性の仕組みを知れば情報の取捨選択も容易になってきます。自分の欲しているもの、必要なもの、できるかできないか、がわかりやすいからです。そこを経ていけば「未知の領域」しか残らなくなってきて大きな挑戦もできるようになってきます。
しかし、せっかく自発性が生まれても与えられてしまうと満足感が減るどころか渇きを覚えてしまいかねません。
慣れないと自発性はなかなか出てこないので、サボりたい気持ちをグッとこらえて掴みにいけるといいのではないでしょうか。自分で掴みにいった認識さえあれば与えられても満足できたりしますがせっかくなのではじめは自分でやりましょう。


6・[足し算と引き算]

足し算というのは世間や他者の価値観を得ようとすることです。ハウツー本や発信者の感想等がこれに当たります。
引き算というのは真逆で、今現在持っている世間や他者の価値観でしんどいと感じているものを捨てたり減らしたりすることです。
順序的には

「足し算の場合」
しんどい自分、変わりたい自分に気付く

良いと思った価値観を足し算する

自発性が出ない、または継続できない

自己嫌悪の後にまた足し算を探す

「引き算の場合」
しんどい自分に気付く

引き算をして自分を見つめ、できることできないことを明確にする

自発性が生まれる

やってみる

できることでやらずにはいられないことなので楽しめる

足し算はわかりやすいしそれをできた人が勧めてくるので、説得力もあり飛びついてしまいます。それを自発性と勘違いしてしまうのはしょうがないですが振り替えってみると無駄なことというのがわかります。
しんどい時や変わりたいときというのは比較的元気なので足し算をしてしまいがちなのですが、元気が無くなってきたときによりしんどくなります。持ち物が多くてしんどいのに足し算をすればしんどいのは当たり前なのですが気付けないのは知らないからです。
しんどいと感じたり変わりたいときというのは、できないことできること、世間の価値観や他者の価値観でやめれることを見つめ直してしんどい荷物を引き算していくことからはじめましょう。元気が無いときは引き算すらできなくなってしまいます。元気があるときに引き算をして楽になればどんどん楽になってくるので自発性が芽生える土台ができます。引き算をして自分のやらずにはいられないことやできることが見えてくるので自発性が芽生え行動もできるようになってきます。
言葉にすれば難しいですがやってみればどんどん楽になってくるのがわかるので是非実践してみてください。
実践の仕方としてはやりたくないことやしんどいことで生活に影響が少ないことからやめていくというのが最初はしんどくなくてよいです。自分が好きではない部分にお金、時間、体力をかけないというのが基本になってきます。実践してみれば本来の自分も見えてきます。


7・[感情と自分]

ここまでを経てやっと自分の片鱗が見えてきます。人の仕組みを知ったり引き算をしていけばどれだけ自分がよそものの価値観を身に纏ってきたかがわかると思います。ここからもう少し掘り下げて自分というものの理解を深めてもらいます。

・自分と感情は別物
・感情の波
・怒り
・感情に基づく行動

・自分と感情は別物

いきなりこう言われても「自分=自分の感情ではないのか?」と思っても仕方ないと思います。どちらも自分の心、すなわち脳の中の動きなので。
言葉で伝えてもわかりにくいので30秒ほど目を閉じて極力何も考えないようにしてください。どうですか?たった30秒でも考えないというのは難しいのではないでしょうか?しかも目まぐるしくコロコロと考える事柄が変わっていく。これが感情です。そして、それを俯瞰で見ていたのが自分です。
感情というのは脳の機能であり本来の自分とは少し離れたところにあるという認識があると楽です。自分と感情を同一視してしまうのは知らなければ仕方ないことです。知らずにいれば怒っていたり、悲しんでいたり感情に翻弄される自分を嫌悪したり卑屈になったりしてとてもしんどいのではないかなと思います。
本来の自分と感情は別物という意識を持つことでコントロールしていくことを覚えてみましょう。
ただ感情は解き放つことも大事です、解き放つことができる場や人間関係を作る、これも一つのコントロールです。

・感情の波

上で述べたように感情は機能です。良い面もあれば悪い面もあります。人間は旧石器時代からさほど進化していないので生命を維持する為にネガティブな感情に敏感です。だからネガティブな感情に陥りやすかったり左右されるのです。
このネガティブな感情に敏感な仕組みは現代社会で生きていくには少々厄介でもあります。旧石器時代と比べれば生命の危機は減っているのでネガティブなことに反応しすぎるとしんどいからです。
感情は水面をイメージするとわかりやすいです。その感情がネガティブなことで波打つことがしんどさや心のダメージになります。自分と感情を同一視して感情の波に気付かなければダメージは深まります。
では、どうすれば波は収まるのでしょうか?
実はとても簡単です。気付いて認めるだけです。
それだけ?と思うかもしれませんがやってみるとわかります。今の感情が怒っているなら「怒っている」と何回か心の中でもいいので唱えてみて下さい。8割くらいは落ち着きます。
数日や数ヵ月後にネガティブな感情が波打つのもその場で感情の認識ができないことが大きな原因です。まずは日常のちょっとしたイライラなどから試してみてください。
人間は感情的なほうが人間らしくていいという意見もありますがそれはハレの日に活躍している人の良いところしか見ていないのではないかなと思います。常日頃波打っている様では疲れてしまいます。なのでハレの日などで解放する体力を残したり日常を楽しむ為にも感情を波を落ち着かせることを覚えましょう。

・怒り

上でネガティブな感情の波がしんどさや心のダメージになると述べました、ではネガティブな感情とはなんなのでしょうか。ネガティブな感情には怒りや悲しみ寂しさ等色々ありますが心理学や仏教等でも大まかには全て怒りが大本にあるとされています。
怒りは心に直接ダメージを与えたり残します。蓄積すれば大きな害もありますし怒り癖がついたり悪循環に陥ることも少なくないです。特に感情のまま怒りを外に出した「キレた」状態は周りにも自分にもダメージが大きいです。「キレる」と「怒る」の違いは感情のままに怒りを出すか出さないかです。混同されている方もいますが、全く違います。
最初は上でも述べたようにその怒りの感情に気付くことから始めましょう。そのワンクシッションを敷くことでキレることは無くなったり大幅に減ります。
そのワンクシッションの先でなぜそうなったのか等原因を考えれるようになります。

・感情に基づく行動

人間の行動は意識的なものと無意識なものがあります。無意識な行動というのはコントロールしにくかったりできなかったりするのですが、意識的なことはコントロールしていけます。
意識的な行動は以下のような順番で行われます。

①感情(欲求)

②現実を考える(自分や相手、金銭、スケジュール等)

③行動

男性は理性が弱い傾向にあるので②を飛ばすことによって行動で問題を抱えやすく、女性は②ばかり考えてしまい(考えているだけなので現実とは言えませんが)③においてなにもしないという行動をとりがちという傾向が強いです。  
個人差もありますがどちらの場合においても生きづらい人というのは①の感情や欲求を認識することができていないことが自分の行動に自信を持てなかったりする大きな要因になっています。
また、なにもしないというのも行動なので常習化すれば脳の継続する特性によってなにもできないということになりやすいので注意が必要です。②で問題ばかり考えていると、どうすればいいか?ばかりで現実から離れなにもしないということになりますが、感情や欲求を放っておけばしんどさの種になります。だから一度感情を掘り下げて、なぜ?その感情が起こったのか考えてみてください。そうすると今できることを考えやすくなります。


①高級な肉を食べたい

②今はお金が無い

一度①に戻り掘り下げると肉が食べたい、お腹が空いていることがわかり放っておくとストレスになるのでできる範囲のことを考える

③とりあえず出せる範囲のお金で肉を食べたり、食べさせてもらう。

感情に基づく行動は上手く考えて世間や周りとも折り合いをつけて行っていけば、ストレスが減るだけでなく満足感を得れます。自発性や考えが上手く作用すればお金を稼いだりすることにも繋がります。


8・[セッティング]

車や楽器等道具には上手く使うためにセッティングが必要な様に人や人生にもセッティングが必要になってきます。自分がどういう人間になりたいか、どういう人生を歩みたいか、というようなことが所謂人や人生におけるセッティングだと考えるとわかりやすいかもしれません。
しかし、自分のことや人生となると途端に見えなくなったり迷う人が多いと思います。それは一人一人の人間が個別であり、その人生も個別だからです。不安やあまり考えたくないという怠惰、わかりやすいという理由で「こうすればこうなる」的なものや「○○な人は○○」という偏見に惹かれてしまうのも仕方ないとは思いますが、楽に楽しく生きるためにも自分に向き合うことが必要になってきます。
道具等のセッティングと同じで人や人生でもセッティングの仕方というのは大きく変わりません。最初からいきなりベストを目指すのではなく、自分の好みの方に振ってみて徐々に合わせていく。自分も環境も変わるのでそれを適時合わせていくのが見失わないポイントになってきます。

屋内派〇ーーーーーー屋外派 
最初はわかりやすいので屋内派に思いきり振って当てはめてみる。

屋内派ーー〇ーーーー屋外派
しかし、違和感を覚えたり自分の中の例外(この例の場合だと基本は屋内派だが屋外派な部分もあるということ)等もありズレを感じるので修正をする。

上の例をイメージするとわかりやすいかもしれません。人や世の中は常に変わっていくので適時調整をしてあげるということが大事になってきます。途中で見失ったりすることがあればまた最初に戻って極端に降ってみるのも一つの手段です。
この様にセッティングをする考え方を持っていると、選択や自分を伝える時に大変役に立ちます。そして自分というものを形作っていく上での成熟度も上がっていきます。変わっていく自分や世間の中でもある程度の基準点になるので普段の選択における心の消費を少なくしたり、大きな決断をするときの選択の精度を上げることができます。



9・[0に向かう]

これまでの話の中で現実を見ていくうえで役に立つ考え方をいくつか紹介しました。引き算等をしていき本来の自分=0に向き合い、そこからできることややらずにはいられないことをしたほうが楽だし楽しいということを述べてきました。それではできることややらずにはいられないことをしていく中で身に付けたことは足し算ではないのか?という疑問が生まれると思います。最初はそうかもしれません、しかし0である本来の自分から生まれたものなので自然に0の状態に戻っていくことができます。そのときに0に戻れずにしんどい場合はまた引き算をしていけばいいのです。数字で表したのに数学的にはおかしな話ですが、そういった過程を経て0を大きくしていくイメージで育てながら生きていくと成熟したり実りの大きな人生になるのではないかなと思います。単純な足し算でも成功することは多々あります、しかし虚しい成功者という状態に陥りやすい。どんなに稼いでも、物を溢れさせても満たされない。やはり本来の自分を蔑ろにすれば虚しさに襲われるというわかりやすい例かもしれません。
感情に気付いて引き算やセッティングを適時行いながら0に向かう考え方を持っていればいろんなことに応用が効きます。常に0でいられることは難しいですが目指していれば少しずつでも0でいられる時間は増えてきます。そうなってきたときに0=現実を見やすい状態ということに気付けます。


[あとがき]

読めばわかると思いますが、この「現実のススメ」を読んだからどうなるということはないです。少しずつでも実践していくことで本当にわかることばかりです。また、これは僕の現時点での考えであり、読んだ人の考えとは違うので、実践していく中で自分にあった考えを育てられるといいなと考えています。それでも解らなかったり煮詰まった時は依頼してみてください。この記事はあくまで広くに発したもので一人一人に寄り添ったものではありません。依頼ではオーダメイドになってくるのでより理解が深まったり糸口が見つかりやすいと思います。では、バイチャ!

カモンお布施!レッツゴーお布施!