「密」も必要だよな
週末息子は県外遠征へ。
サッカー経験値的にも、思い出的にも貴重な遠征だが、この夏は遠征予定がほぼ軒並みキャンセルになり、そういう意味でも今回の遠征は貴重なものとなった。
同行したわけじゃないのでおれは遠征中の様子を知る由もないが、帰って来た息子がやたら饒舌だったところを見るとよっぽど楽しかったんだろうと思う。
遠征はいつも楽しいみたいだが、今回は特に楽しかったみたいで、帰ってきた夜はずっと遠征中の話をしていた。かわいいもんである。
そういう息子の姿を見ると遠征に行かせて良かったなあ、と思う。
ご時世的にいろんな行事がキャンセルになり、当たり前が当たり前じゃなくなった昨今で、おれは何気にそういうご時世にアジャストしつつあった。
コロナ前と比べて制限の多いご時世だが、それをあまりに「かわいそうかわいそう」言っていると(確かにかわいそうに思うところもあるが)、本当に子どもたちが哀れな被害者のような感じになってしまう。
幸か不幸か子どもたちは今のこのご時世しか知らないので、これが「当たり前の日常」なわけだ。
あまりに嘆いてばかりいると、子どもたちのその「当たり前の日常」にケチをつけるようなものだ。
だからおれは、中止だ延期だキャンセルだ、というのを、もうそういうものとして受け入れていたわけである。
今回の遠征もキャンセル覚悟でいたのだが、やっぱり行かせて良かった。
いろいろ心配事がないわけではないが、こういう思い出の機会は逃さない方がいいな、と改めて思う。
今年の夏の甲子園で優勝した監督が「青春は密なので」と言っていた。
「でも今の子たちはそういうことをずっと禁止されてきた」と。
それは小学生だってそうだよな、と。
おれくらいの年になれば密じゃない方がありがたいが、密が必要な年ごろもあるよな。
いろんなリスクはあるだろうが、なるべく思い出の機会が失われないようにしてやりたいな、と思った次第である。