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武藤敬司選手お疲れ様でした。私の武藤選手ベストバウト、かつプロレスで一番好きな試合について

先日、2023年2月21日に、とうとう武藤敬司選手が引退されましたね。
武藤選手が一番好きなプロレスラーと言うわけではありませんでした。しかし一つの時代、そして私の青春もようやく終わりを迎えたような(青春長過ぎ😅)、そんな感慨があります。

正式な引退試合である内藤哲也選手との試合の後に、同日入門のライバルであり、デビュー戦の相手であった蝶野選手とのサプライズ試合があったと言うのはまさに胸アツ❗️

ですが、私の武藤選手のベストバウト、そしてこれまで観たプロレス試合で最高の試合は、1995年、10.9の、新日本vsUインター全面対抗戦メインイベント、対高田延彦戦なのです❗️

1995年10月当時、私は名古屋の大学3年生で、就職活動を始めたくらいだったと記憶しています。
調べて思い出したのですが、この年は阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件と言う、私たちの世代全体にとって大きな出来事があった年でもありました。
当時購読していた、週刊プロレスの記事で知った、長州-高田のトップ電話会談から、急転直下決定した(まあそれもいわゆるアングルですが)10.9東京ドーム大会。

長州力の「ドーム押さえろ!」は当時よく仲間内でネタとして使ってました。(友人と意見が対立した時など、「ドーム押さえろ!」なんて言ってました😁)

私はこれは女房(いなかったけど)を質に入れてでも観に行かねば❗️と思い、友人の加藤くんと二人でドームのチケット、名古屋-東京の夜行バスを準備し、10.8夜、二人で名古屋駅を出発しました。
水道橋駅に着くと、駅前から大勢のダフ屋が声をかけて来ます。俺もとうとう後楽園ホールのあるプロレスの聖地に降り立った、と感慨もひとしお。
ドーム周辺に着くと、新日本のTシャツ、UインターのTシャツを着込んだそれぞれのファンたち。対抗戦ならではの、ファン同士のピリピリしたムードが緊張感に拍車をかけます。
私にとって初めての東京ドームはこのような様々な感情がないまぜになった、ただの興奮状態ともまた違った、上手く言葉で表現できない、不思議な感情を抱くものでした。

私自身は、その当時はどちらかと言うとUWF系が好きだったのですが、それでも新日本の選手はガチでやったら強いだろう、と言う思いがありました。
UWF信者と言うほどでもなかったので、どちらかを応援すると言うよりは、この歴史的な大会をこの目で見届けようと言う思いでした。
しかし今思うと、心の奥底では、新日本に勝って欲しいと思っていたようです。なぜなら、興行後とても満足した気持ちだったからです。

新日本は何度か生観戦していましたが、Uインターは、以前に名古屋レインボーホールで行われた高田-ベイダー戦に続いて二度目。田村潔司選手が不参加になったのを残念に思った覚えがあります。

まさに人がごった返していたドーム入場口前。67,000人の観客動員数は当時のドーム記録を塗り替えたそうです。

興行は、本当にシンプルな構成でした。余計な演出が無く、対抗戦一色。それが良かった。全ての試合が良かった。
第一試合、良かったなぁ。
石澤、永田組 対 金原、桜庭組。
ブックがあるとしても、若い選手たちの対抗意識が剥き出しだった。アントニオ猪木氏も大絶賛の試合だったそうです。今思えば後に大活躍する選手ばかり。

ちなみに、長州小力のネタ、「キレてないですよ」と言うのは、この興行での安生洋二選手戦後の長州力選手の会見でのコメントが元です。実際には「キレちゃいないよ」と言ってたのですが。
逸れましたが、肝心のメイン。
この試合が、結果として、今まで私が観戦したプロレスの試合の中でのベストバウトとなりました。

団体のプライドを賭けた大将戦。
入場から、緊張感マックスとなりました。高田選手は対抗戦らしく静かな入場。しかしその中にも闘志を感じさせます。
対して、武藤選手はIWGPチャンピオンであることを存分にアピールする入場❗️ベルトを見せつけ両手を広げて観客を煽ります❗️
アントニオ猪木氏には不評だったと言うこの入場、でも私はとても良かったと思います。二人の対比が鮮明になりましたから。

試合は、割と地味なグラウンドの展開から始まり、途中武藤選手が流れを変えるムーンサルト(当然高田選手受けない)、高田選手のキック連発などもあり、そして最後はドラゴンスクリューからの足4の字固め❗️
正直ビックリしましたよ。
足4の字固めという古典的なプロレス技で格闘プロレスの象徴、「最強」と言うキャッチフレーズを標榜していた高田がギブアップするという決着。
武藤選手のセンスの良さ、本当にすごいと思います。

勝利の瞬間、正にドーム大爆発❗️私と加藤くんももちろん立ち上がって雄叫びを挙げました。
この時の興奮は忘れられません。

その一方で、敗れて、負傷した足からレガースを外した状態で肩を担がれながら引き上げて行く高田選手を見ると、何やら切ないような気持ちにも、一瞬ですがなりました。

しかし、その気持ちはやはり一瞬で、すぐに、武藤選手が新日本の看板を守ってくれたことの嬉しさの気持ちに戻りました。

大会が終了して、興奮冷めやらぬ中、水道橋駅に向かう途中、見知らぬお兄さんから、「対抗戦、どうなったんですか?」と声をかけられました。
私たちも興奮気味に試合経過と結果を話しました。そのお兄さんもものすごく驚いていました。試合結果そのものよりも、ドラゴンスクリューから足四の字と言うフィニッシュに驚いてらっしゃったのを覚えています。

この大会の見方として、いわゆる「イデオロギー対決」と言うものがあります。ストロングスタイルの新日イズムが、「強さ」を純粋に求めるUWFのイズム(もちろん今ではUWFも一つのプロレスの形と言う考えが一般的ですが)を制した、と言う見方です。
しかし、他の試合はそうかもしれないですが、メインの武藤-高田戦だけは、唯一無二の「武藤イズム」がUを消した、と感じました。(でも、実はUは消えてなかった、と後年感じたのですが、それはまた別の話)

武藤選手は、UWFが流行っても、総合格闘技が流行っても、アメリカ仕込みの自分のプロレスを貫いていました。
それはきっと、自分自身の「強さ」に自信があったから、UWFに嫉妬したり憧れたりコンプレックスを抱いたりすることが無かったのだと思います。同じ三銃士でも、橋本真也選手はUWFの影響をかなり受けていたと思います。
UWFや総合格闘技のムーヴメントに一切関わらず自分のスタイルを貫いた武藤選手、本当に稀有な存在だったと思いますね。

武藤選手、今までファンのために身体を酷使されていたと思います。これからはご自身とご家族のために、お身体を大事にしていただきたいな、と思っています。

しかし、昨年アントニオ猪木氏が亡くなり、武藤選手は引退。
子どもの頃から40近くまで夢中だったプロレスを観なくなって、もう何年になるだろう。この先、プロレスに夢中になる日がまた来るだろうか?

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