【名モナキ夜ノ標ニ】黛 冬優子True Endについて考えました。
シャニマス5周年おめでとうございます!
この記事は「せっかく5周年だから俺も何か書きてぇなぁ~」というわけではなく、単に色々考えてたら、たまたま今日になってしまっただけの記事になります。
2023年4月13日にenza対応ゲームアイドルマスターシャイニーカラーズにて、My Songs Collection P-SSRアイドル【聞いてマイハート】大崎甘奈と【名モナキ夜ノ標ニ】黛冬優子が実装されました。
予告なしのゲリラ実装だったため驚いた方も多かったのではないでしょうか。
私も驚きとともに放送されていたアイドルマスターシンデレラガールズU149の視聴を一時中断し、ガシャをぶん回し無事担当の冬優子のSSRを確保しました。
その後、夜更かししてMVやコミュを拝見しましたが、今回そのTrueEndのコミュがなかなか難解……。
というか、どう解釈すれば良いのか一読しただけではよくわからない内容で頭を抱えました。
後日、TLに流れてくる感想も「わかんねー」「わからん」という内容が非常に多く、大勢の冬優子Pが頭を悩ませている様子でした。
この記事では、そんな【名モナキ夜ノ標ニ】黛冬優子のTrueEndの内容について、冬優子担当の端くれが無い頭であれこれ考えたことを書いていきます。
せっかくの担当のマイコレコミュなので、わかんねーで終わるのはもったいないですから、皆様も黛冬優子と今回のコミュについて是非是非考えてみてください。
※この記事を読み始める前に
当記事は私個人の考えをまとめたものなので、内容として間違っているもの(特に後半の内容は付け焼き刃のため)、不足しているものがあるかも知れません。
実装直後にもTwitterで感想文を書き散らかしましたが、その時と多少内容が重複、もしくは異なる部分があります。
重ねて、当記事は以下についてのコミュ内容などの盛大なネタバレを含みます。問題ない方のみ閲覧いただければと思います。
【名モナキ夜ノ標ニ】黛冬優子
【オ♡フ♡レ♡コ】黛冬優子
【ザ・冬優子イズム】黛冬優子
イベントコミュ「YOUR/MY Love letter」
黛冬優子W.I.N.G. ファン感謝祭 G.R.A.D. Landing Pointコミュなど
TrueEndコミュの内容について
TrueEndコミュの内容について、簡単に書かせていただきます。
というところでコミュは終わります。
ガシャ演出がめちゃくちゃ素晴らしいのですが、コミュ内では特に劇的なことは起こりません。演出後の冬優子はなんだか不思議な様子。
だけども、そのことに特に言及することもなくコミュは終わります。
初見時は「つまり、今の何?」という印象を抱く内容でした。
こちらのコミュの内容について色々考えていきたいと思います。
ガシャ演出について
ガシャ演出のアニメーションですが、TrueEndコミュ内で流れます。
ガシャ演出の内容とコミュの内容は切っても切り離せないため、確認してみます。
と言いつつ、いきなりコミュ内では出ないものですが、ガシャで引いた時の台詞演出から見ていきます。
冬優子のシナリオを一通り読んでいる方であれば、WING~LPまでのコミュで散々聞いてきたワードかと思います。
冬優子はプロデューサーに対し、ことあるごとに「ちゃんと見ていろ」と何度も何度も言ってきます。
これだけ繰り返すということは、それだけ冬優子にとって黛冬優子自身を見ていて貰うことは重要なことなのだと思いますし、TrueEndコミュの内容を読み解くためのキーワードのひとつになるかと思います。
続いてアニメーション演出の内容についてですが、こちらはアイマス公式チャンネルの動画でご確認ください。
アニメーション演出は初期P-SSRの【オ♡フ♡レ♡コ】や、初期P-SRの【ザ・冬優子イズム】などを連想させる内容になっているかなと思います。
夜の街頭モニターを見上げる冬優子は【オ♡フ♡レ♡コ】のTrueEndコミュで、同じく街頭モニターを見上げている冬優子がいます。
横目でプロデューサーを見ているのも似ていますね。
マスクを取る仕草は、W.I.N.G.での出会いのシーンや【ザ・冬優子イズム】のイラストなどを連想させます。
そして背景のモニターに映し出される冬優子は【ザ・冬優子イズム】のフェスイラストです。
過去のイラストを使用したり、また過去イラストや過去演出などのオマージュのような演出内容。
そして当時とは変わった柔らかな笑顔の冬優子が、過去と現在を対比させるような内容になっているかと思います。
対比させる、ということは【オ♡フ♡レ♡コ】や【ザ・冬優子イズム】のコミュを見ると何かヒントになるかと思います。
【オ♡フ♡レ♡コ】TrueEndとの共通点
「なんなのよほんと。ご用意しなさいよ」であまりにも有名な【オ♡フ♡レ♡コ】です。
TrueEndコミュでは、冒頭に冬優子が街頭モニターに流れるバンドの世界ツアーや映画の宣伝を眺めるシーンがあり、
冬優子は、いっぱい楽しいものがある世の中で、自分を応援してて良かったと思ってもらえるアイドルで在りたいと、アイドルとしての決意を新たにします。
【オ♡フ♡レ♡コ】TrueEndとの共通点として、今回のガシャ演出でも冬優子は街頭モニターを眺めています(違う点としては、最後にはモニターに「ふゆ」の映像が映し出されます。)
また【オ♡フ♡レ♡コ】冬優子の私服衣装はハートの形のイヤリングをしていますが、今回の【名モナキ夜ノ標ニ】も私服衣装でハートの形のイヤリングをしてますね。
ここまで要素が揃っているのであれば【名モナキ夜ノ標ニ】は【オ♡フ♡レ♡コ】のオマージュでもあると考えて良いと思います。
【ザ・冬優子イズム】との共通点
モニターに映るアイドル「ふゆ」は、【ザ・冬優子イズム】のフェスイラストです。
そうなると当然、今回のコミュの内容とも無関係ではないと思います。
【ザ・冬優子イズム】との共通点としては、コミュ「店舗付近での交換はご遠慮下さい」と、TrueEnd「暗闇の中でも見つけてくれたから」のシチュエーションが上げられます。
「店舗付近での交換はご遠慮下さい」は、仕事を巻きで終わらせた冬優子がプロデューサーと一緒に買い物に行く話。
TrueEndは、ソロステージの仕事を終えた冬優子の楽屋での話です。
今回の冬優子もソロ曲関連の仕事がひと区切りついたところで、仕事を終えた後というのがシチュエーションとして共通しています。
またもう一つの共通点として、コミュ内でプロデューサー以外誰も冬優子を見ていない、という点が上げられます。
【ザ・冬優子イズム】では、周りの買い物客は自分の好きなものに夢中なので、誰も冬優子のことを見ていない。
今回は夜中の人通りの少ない状況のため、冬優子のことを見ている人がいないといった形です。
【オ♡フ♡レ♡コ】【ザ・冬優子イズム】との対比
【オ♡フ♡レ♡コ】のTrueEndの内容から考えると、今回冬優子はソロ曲をリリースすることになったわけですが、それは【オ♡フ♡レ♡コ】の頃よりは仕事も増え、アイドルとして大きく成長したことになります。
ソロ曲の仕事が一区切りついた後の夜に、かつて眺めている側だったモニターにアイドル「ふゆ」が映る演出は、これまで冬優子を応援し続けた(冬優子を応援しててよかったと思ってる)人が確実にいて、冬優子が自分を応援してて良かったと思ってもらえるアイドルになれている。
そういった【オ♡フ♡レ♡コ】TrueEndコミュとの対比と考えると、感慨深いものがありますね。
【ザ・冬優子イズム】もある程度の共通点がある中で、違う点として上げられるのがプロデューサーです。
【ザ・冬優子イズム】では、人混みでプロデューサーが冬優子を見失いかける場面がありますが、今回プロデューサーは、夜でもしっかり見失わずに冬優子と合流します。
そんな中でモニターに映るのが駆け出しの頃のソロステージ衣装の冬優子。
かつてと同じく、誰も見ていない状況ですが、冬優子の仕事の成果は確実にここにあり、そんな冬優子を、プロデューサーはしっかり見失わずに見ていられる。
ここで思い出されるのがガシャ演出の台詞です。
今のプロデューサーは、かつてのように冬優子を見失いかけたり、冬優子のことを見誤ったりといったことは、もうしないでしょう。
僅かではありますが、確実な冬優子のステップアップと、そして当時とは変化したプロデューサーとの関係性が描かれているように思われます。
「ふゆ」に気がついていない2人
ここまでは他のコミュを合わせて読めば特にわからんこともないと思いますが、ここからはTrueEndコミュのよくわからんポイントについて考えていきます。
コミュ終盤で、冬優子が何かに違和感を覚えたような様子でしたが、これが何に対してだったかというと、ほぼ間違いなくモニターに映った「ふゆ」のことだと思われます。
ただプロデューサーは「ふゆ」について、何も言いませんし、冬優子もはっきりとは気がついていない様子でした。
イラストやガシャ演出を見ているプレイヤーからすると、何で2人とも気がついてないの?と不思議でした。
私は当初、気がついていないということは、モニターに映った「ふゆ」はMVや広告などではなくて、全く別の何かなのではないか。
つまりあれは「(画面の中の)ふゆちゃん」が冬優子を見つめていた構図で、初のソロ曲の収録という大仕事をやり終えた今の冬優子を「ふゆちゃん」がこっそり労いにやってきたのかな……なんてことを考えました。
(個人的には結構好きな解釈ですが、あまりに本物として作り上げすぎて、ついに冬優子から独立した別存在にまで昇華してしまった「ふゆ」は流石に超常現象すぎる……妄想逞しすぎた)
でも色々考えた結果、
シンプルに冬優子はプロデューサーの方へ振り返ってるから気がついてない
(「ふゆ」は冬優子が振り返った後にモニターに映ったので)
プロデューサーは待たせてた冬優子のことしか見てないから気がついてない
というところに落ち着きました。
一応、モニターの「ふゆ」は画面の発光で少しぼやけて見えるので、それが気がついていないことについての表現なのかな、と思いました。
なのでここのポイントは、「何故気がつかなかったのか」ではなく、2人が気がつかなかったことに「どういう意味があるのか」だと思います。
TrueEndコミュタイトル「我〉-汝〈」について
ここでコミュタイトルについて、考えてみます。
恐らくマイコレ冬優子においての一番の難物がTrueEndのこのコミュタイトルです。
そもそも何て読むのかがわからんですし、ペルソナ?何かプログラムのコード?と色々考えられますが、私がTwitterで参考になりそうな感想がないか探している中で、冬優子のコミュタイトルの元ネタはマルティン・ブーバーの「我と汝」ではないか、と仰っている方がいました。
(改めて該当ツイートを探したのですが、見つけられませんでした)
浅学なので少し調べてみると、確かになんだかそれっぽい気がするので、簡単に「我と汝」について記述します。
「我と汝」
「我と汝」はユダヤ系宗教哲学者であるマルティン・ブーバーの著書です。
著書内でブーバーは、人間の世界への認識は2種類あるとしています。
ひとつは、〈我〉-〈汝〉という関係。
もうひとつは、〈我〉-〈それ〉という関係。
〈汝〉とは、対象化されていない未知の他者。〈それ〉とは、〈我〉によって対象化された他者。
(ここで言う他者は人間に限らず、動物や自然や神なども含まれる)
〈我〉-〈汝〉における〈汝〉は、〈我〉に対して与えられるものであり、〈我〉が自分勝手に利用できるものではなく、〈我〉が全身全霊を込めて相対していなければならないものだそうです。
〈我〉-〈汝〉の関係を最もよく表す場合は「出会い」だといいます。
また〈我〉と〈汝〉は、それぞれが主体であると言って良いかと思います。
逆に〈我〉-〈汝〉においては、〈我〉は〈それ〉を自分勝手に利用する主体であり、〈我〉を取り巻く全てのものは、その機能の対象に過ぎないそうです。
〈我〉-〈それ〉の関係の世界は、他人を自分の欲望実現の手段としか見ない集団的社会で、この関係性においては「独語」しか行われない。
逆に〈我〉-〈汝〉の関係の世界は、愛ある人格的共同体で、ここでは真実の「対話」が行われると言います。
ただし、人間は〈汝〉を認識すると、〈汝〉を対象化することで、認識を固定してしまった〈それ〉と化する宿命を背負っているそうです。
人は〈それ〉なくして生くることを得ず。されど、〈それ〉により生くるものは、真の人間にあらざるなり、とのこと。
「我と汝」の内容を簡単に書くとこんなところでしょうか。
宗教的思想を含む内容なので、一読ではなかなか全ての内容を理解し尽くすのは難しかったのですが、コミュタイトルの元ネタとして考えるだけなら、一旦このくらい把握しておけば良いかなと思います。
(というか、このくらいしかわからなかった)
これを踏まえて、改めてコミュタイトル「我〉-汝〈」について考えてみます。
まず使用されている記号などから見るに「我と汝」における〈我〉-〈汝〉の崩しかと思います。(記号は><不等号ではなく、〉〈山括弧)
どういう意味かは推測するしかありませんが、「我〉-汝〈」という表記は、「汝」が〈〉で囲われていませんし、「我」の〈〉も中途半端な形式になっています。
「〈我〉-〈汝〉」の関係を最もよく表す場合は「出会い」だといいます。
そうすると「〈我〉-〈汝〉」の〈〉が崩れているということで「我〉-汝〈」とは、未だ出会っていない(関係を結べていない)〈我〉と〈汝〉という意味合いのタイトルなのではないかと推測します。
「ふゆ」に気がつかなかったことの意味
TrueEndコミュタイトル「我〉-汝〈」が「未だ出会っていない〈我〉と〈汝〉」という意味合いだという前提で話を進めます。
まず、このコミュでいう「我」と「汝」は誰を指すのかという点ですが、恐らく「冬優子(ふゆ)」と「未だ出会っていない誰か」を指すのではないかと思います。
ただし〈我〉と〈汝〉はそれぞれが主体となりますので、
「我(ふゆ)-汝(未だ出会っていない誰か)」でもあるし、
「我(誰か)-汝(未だ出会っていないふゆ)」でもあるかと思います。
ソロ曲の収録を終えた冬優子ですが、人通りの少ない街中でモニターに映る「ふゆ」は誰に注目されているわけでもありません。
(少なくとも「注目されている」という描写はありません。)
例えばこれが誰もが知るトップアイドルであれば、誰かしらモニターに注目する人間もいるかも知れませんが、アイドル「ふゆ」は未だそこまでのステージには至っていない。
その表現として、冬優子自身やプロデューサーも、モニターの「ふゆ」に気がつかなかった、ということではないかと推測します。
つまり冬優子は、駆け出しの頃から比べればアイドルとして大きく成長しましたが、未だ道半ばという話なのかなと思います。
ここからは、あっ、私の妄想の話ね!程度になりますが、
この話は、冬優子がアイドルとして未だ道半ばということではありますが、それだけではなくこれからの出会いの可能性についての話なのだと思います。
確かにソロ曲の収録は大仕事ですが、言ってしまえば冬優子はまだソロ曲を1曲リリースしただけに過ぎないわけで、アイドルとしてこれからもっともっと成長していけるはずです。
そしてコミュタイトルの元ネタは「〈我〉-〈汝〉」ですから、「我」である「ふゆ」は、これから「汝」たる「未だ見ぬ誰か」と出会えるかも知れない。
また「我」である「誰か」も、これから「汝」たる「ふゆ」と出会えるかも知れない。
今はまだ冬優子自身やプロデューサーですらニアミスしている状態ですが、少なくとも前述の通り【ザ・冬優子イズム】や【オ♡フ♡レ♡コ】の頃から冬優子はアイドルとして、人間として成長していますし、何より当時とは冬優子とプロデューサーの関係性は激変しています。
冬優子とプロデューサーの関係は、お互いがお互いに全身全霊で向き合ってきたこれまでの道程の結果です。
冬優子とプロデューサーがより良い関係が結べたように、これから冬優子はアイドル「ふゆ」として、誰かとより良い〈我〉-〈汝〉の関係を結べる可能性を秘めている。
その象徴として、冬優子のプロデューサーに向けた柔らかな笑顔があるのだと思います。
TrueEndコミュの解釈については、ひとまずこんなところです。
以降は、その他の要素についてあれこれ考えを書いていきます。
ここに書いた内容と重複する部分が多々あるので、お腹いっぱいの方はまとめのとこまで読み飛ばしちゃって大丈夫です。
冬優子のソロ曲への意気込み「世界を変えてやる」について
1つ目のコミュ「IDOL-ing」にて、冬優子が以下のソロ曲への意気込みを語ります。
「この曲で世界を変えてやる……」とはものすごい意気込みです。
もちろん「アイドルのソロ曲くらいじゃ何も変わらないかもしれない」ということは冬優子も理解していますが、それでも「変える気でやらなきゃ、意味がない」と語ります。
現実主義者で理想家の冬優子らしいと思います。
冬優子はビッグマウスとも取れる発言をすることが多々ありますが、それは常に目標を高く設定し、完璧なアイドル「ふゆ」でファンを騙し通す、冬優子の持つ強い熱意の現れであると思います。
ですが「世界を変える」とまで言い出すとは、近年の成熟してきた冬優子がここまで大きなことを言うのは珍しいので非常に印象的でした。
この「世界を変える」という台詞ですが、今回のTrueEndの冬優子の回想の中でも出てきており、回想の中では「世界変えてやろう!」とプロデューサーが冬優子に激励を送るシーンが流れます。
冬優子の意志を尊重し、共通の目的意識でアイドルとともに二人三脚で歩む姿勢は、冬優子の共犯者に相応しいです。
繰り返される、ということはこの台詞もひとつポイントになるかと思うので、「我と汝」をベースに考えてみたいと思います。
「我と汝」において、世界とは人間の経験と何の関係も無いとされています。
世界そのものは、人間の経験について全く無関心であり、世界は人間の経験に何の作用も及ぼさないし、人間の経験も世界に何一つ付け加えない、といいます。
〈我〉-〈汝〉や〈我〉-〈それ〉とは、あくまで主体と主体の関係性(人間社会の秩序)を指すからかと思います。
冬優子の「世界を変える」という意気込みですが、彼女の歌で世界が変わったか、と言われると大きく変わったことはないと思います。
それはTrueEndコミュ内で、モニターに映った「ふゆ」について特に誰からも言及されていないように。
ただ、冬優子の想いはこれから多くのファンに届くかも知れませんし、現状唯一ですが、プロデューサーには届いています。
ここでも話としては、関係性に主軸があるのだと思います。
冬優子の大言壮語とも言える熱意に、全力で激励を送るプロデューサーがいるように、これから誰かに冬優子の想いが届き、その誰かも冬優子とより良い関係が結べるかも知れない。
そんな祈りにも似た、想いの話なのだと思います。
カード名【名モナキ夜ノ標ニ】について
カード名【名モナキ夜ノ標ニ】についても考えてみます。
「名モナキ夜」とは何か、「標」とは何かについて検討する必要があります。
とりあえずワードを分解してみます。
名モナキ夜
シンプルにコミュ内の時間帯が夜なので、「名モナキ夜」とはこの夜のことを指すのかと思いますが、「名モナキ」というワードはどういう意味なのでしょう。
シンプルに言葉の意味から考えると、名前が無いということは「特筆すべきものではない」あるいは「知られていない」というような意味合いでしょうか。標ニ
続いて「標」ですが、言葉の意味としては、
①しるし。めじるし。
②まと。めあて。
③あらわす。しるす。書きしるす。
④こずえ。高い小枝。
などの意味があります。
そして名モナキ夜ノ標「ニ」とありますので、何かしらその後に続く言葉がありそうです。
(何か元ネタがあるのかなと思ってググったら安部公房の「名もなき夜のため」や「終りし道の標べに」というタイトルの小説が見つかりましたが、こちらは未読のため元ネタかどうかわかりません)
・名モナキ夜
特筆すべきことのない何でもない夜。
冬優子にとっては大仕事が一段落して、充実感のある夜かと思いますが、道行く人々にとっては特に変わりない日常の夜かも知れません。
また知名度としては、誰もが知る存在にまでは至っていない冬優子の現状とも掛かっているかも知れません。
・標ニ
「目標」あるいは「座標」という意味で考えると、
冬優子のアイドルとしての目標(夢)、あるいは座標(現在地)みたいな意味合いになるかなと思います。
名モナキ夜ノ標=ソロ曲の仕事を終えた、アイドルとして未だ道半ばの冬優子(ふゆ)に、これから誰かが出会うかも知れない。
という意味合いのタイトルかと推測します。
他には「目印」という意味で、街頭モニターに映る「ふゆ」を指すのではないか、と仰っている方がいました。
街頭モニターを待ち合わせの目印(それが冬優子である)にする人がいたかも知れない。
何でもない夜の標に、冬優子がなったかも知れない。
という意味合いですね。個人的にはかなり好きです。
思い出アピール名[夜よ]こんにちは について
マイコレ冬優子の思い出Lv5のアピール名[夜よ]こんにちはについてです。
「夜」に対し呼びかけて挨拶をしているような意味合いでしょうか。
「こんにちは」は誰かに出会った時の挨拶かと思いますので、ここでも「出会い」を表現していると思われます。
また「我と汝」では、挨拶はその人が幸福であることを望んだり、愛していることを示したり、祝福を与え給うように祈ったりすること、と書いてありました。
まとめ
今はまだ、アイドル「ふゆ」と誰かは関係を結べていないけれども、これから名モナキ夜ノ標の「ふゆ」は誰かと出会えるかも知れない。
そして「ふゆ」を通して、冬優子の想いは誰かに届くかも知れない。
マイコレ冬優子のTrueEndコミュは、そういった未来への祈りのような、道半ばの希望の話なのではないでしょうか。
書いてて思ったんですけど、これYOUR/MY Love letterの「花のひとひら」じゃない?
YOUR/MY Love letterは作中では所謂モブと呼ばれるような、名もなき人たちをメインにした話が描かれましたが、エンディングでは逆にコンビニ店員の銀之介くんから見た甘奈が「高校生くらいの子」というも名もなき人として描かれていました。
もしかしたら「名モナキ夜」の意味合いもこれに近いかも知れませんね。
甘奈と同時に実装したのも、そういう……?
やっぱYOUR/MY Love letterって神だわ。
終わりに
ここまでオタクの深読み文章をお読みいただきありがとうございました。
長文であれこれ書いていますが、シナリオに書いてもいないことを読みすぎです。
でもあのシャニマスライター陣に限って「脚本の人、そこまで考えてないと思うよ」とも思えず、無い頭を振り絞って色々書かせていただきました。
正直、単品で読み解くには難解すぎる(行間が多すぎる)内容だったので、もしかしたら後日、アンサーコミュみたいなのが実装されたりしないだろうか……。
もし実装されたとして、内容的に全然違うじゃん!となった際には深読み乙!と笑ってやってください。
最後に、改めてシャニマス5周年おめでとうございます!
これからも冬優子のプロデュース頑張ります!
そして、ここまでお読みいただきありがとうございました。
皆様も、黛冬優子と今回のコミュについて是非是非考えてみてください。
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