ピンボールマシンのようにしか生きられないあなたを―Netflix『クィア・アイ』S6-EP1
今日はNetflixのドキュメンタリー『クィア・アイ』のシーズン6をもう一回見ていた。前に見た時は最初のエピソードを適当に流してしまっていたので、新シーズンが出る前にもう一度見直しておこうと思ったのだ。
『クィア・アイ』は、ファブファイブと呼ばれる5人のクィアがそれぞれの専門分野を受け持って、自分に自信が持てずにいたり、自分を大切にできずにいる人々のファッションやヘアスタイルからライフスタイルまでを「その人らしく」トータルプロデュースするという番組。
メンバーはヘアメイク担当のジョナサン、料理とワイン担当のアントニ、ファッション担当のタン、インテリア担当のボビー、メンター担当のカラモの5人から成り、シーズン6はカウボーイ文化の街、テキサスはオースティンで撮影された。
その記念すべき一人目の主人公が、セクシーな砂時計ボディの58歳、テリ・ホワイト。ダンス教室で現役で教えている彼女は、足や胸を露出したファッションと、ブロンドのロングヘアのウィッグを愛用している。
自分を若々しく見せることにこだわって、薄くなった地毛は隠したまま、決して他人に見せようとはしない。
彼女の家の中はめちゃくちゃで、キッチンに新品の靴が置いてあったり、天井はペンキが塗りかけのままで放置してあったりする。娘のアシュリーによると、テリはストレスを感じるとあちこち家のことに手を出して気を逸らそうとするらしい。話をしようとしてもすぐ耳を塞いで、こちらの言うことを聞こうともしない。
テリは、ADD(注意欠陥障害)も持っている。気が散りやすいのはそのせいでもあるんだろう。
そんなふうに居直っていて、一見、人前でも自信満々に振る舞うこともできているテリは、その実、いつも批判されること、変えようとされることを恐れていた。
まじめで出来の良い娘のアシュリーと比べて、自分は良い親でもないし、人として成熟してもいない。落ち着きがなくて、生活も乱れている。
それがわかっているからこそ、彼女は娘と正面切って話すことや、自分のスタイルに口を出されることを怖がっていた。だから話が核心に及ぶと、目を合わせなくなり、話を終わらせようとしてしまう。
「どうせあたしはそういう風にしか生きられないから」
テリを見ていると、そんな言葉が聴こえてくるようだった。
きっとADDやADHDの人にはよくわかる心境じゃないかと思う。変わらなければいけないとは思っていても、努力をすれば変われるというものではないし、変わったら自分ではなくなるような気がするのだ。
番組の半ばでは、メンター役のカラモが仲立ちをして、テリとアシュリーが話し合う場面がある。
そこでアシュリーはどうか自分の話を聞いてほしいと訴え、テリは、別に逃げているわけじゃないんだと言い張った。
このくだりを見ていて思い出したのは、私自身の母のことだった。
私自身はアシュリーのようなよくできた娘ではない(姉の方がアシュリーに近い)けれど、テリと私の母親はよく似ている。母は私とはまた違った形でADHDの傾向が強いタイプで、物心ついてから、家の中はいつもめちゃくちゃに散らかっていた。
共働きだったから家事に手が回らなかったという部分もあっただろう。
だけれど、掃除をする時にもあちこちに手をつけては途中でやめ、衝動性のおもむくままに買い込んだ食材は賞味期限を切らして無駄にし、出かける時に限って財布や用事を忘れて家族を待たせ……といったことがあまりにも頻繁だった。さらに忘れっぽく、何か約束をしてもすぐに頭から消えてしまうし、しょっちゅう鍵をかけ忘れたりもする。
それでも悪びれないような明るさがあったので、周囲に人は多く、慕われていたようだったけれど、私は母がどうして「そう」なのか、いつも怪訝に思っていた。
母は時々、深夜に掃除をし始めることがあった。それも、散らかった廊下やリビングじゃなく、シンクの下みたいな普段手を着けない場所ばかり。夜中の二時を過ぎても台所に明かりが点いているので見に行くと、母がシンク下の戸棚の中身を全て床に出していて驚いたことがある。夜が明けるまでにはとても終わらないような量の醤油やお酒の瓶の中に埋もれている母に「どうして寝ないの?」と声をかけても、母はこちらを見ようともせず、黙々と掃除を続けていた。
子ども心にも何かストレスを溜めていることは伝わってきたけれど、それが掃除をすることと何の関係があるのだろうと思っていた。
きっとあれは、何かと向き合うことからの逃避だったのだろう。
別の時には、時間もないのに急に手作りの化粧品を作り始め、キッチンを余計散らかしたり、自分の家のこともままならないのに他人からの頼みを引き受けて裁縫や熨斗書きをしていたり、とにかく多忙な人だった。
むしろ多忙でないと、ピンボールの玉みたいに動き回ってないと落ち着かないんじゃないかと思うほどに。
そして、テリがそうだったように、母も人の話を聞かない人だった。
家の食事がスーパーの総菜ばかりになっていた頃、「出来合いのものばっかり食べるくらいなら、私が料理を作るのに」と言っても、母は顔をよそに向けたまま「余計なこと言わないで」と言い、雪の日、学校に迎えに来る約束から二時間も遅れたことを責めた時は、「あたしは仕事で忙しいんだから」の一点張りだった。謝ろうとか、人に頼ろうということができないのだ。私はそういう態度が一番嫌だった。
きっと母もテリと同じように、批判されたくなかったのだろう。
彼女もまた、そういうふうにしか生きられなかったから。
彼女たちが自分が傷つかないためにそうしているのはわかる。だけれど、そうやってないがしろにされた側だって傷付いているのだ。
母は思い込みも強く、訂正してもまったく聞く耳を持たないような頑固さがあった。私は中学生の頃に亡くなった父方の祖父に対していろいろ複雑な思いがあり、葬儀でも泣くに泣けなかったのだけれど、母はどういうわけか「あんた、おじいちゃんのお葬式で鼻水たらしてワンワン泣いてたわよねえ」と記憶していて、私がそんなはずはないと否定してもまともに聞こうともせず、笑ってからかい続けるようなところがあった。
そういうデリカシーのなさも、私は本当に嫌いだった。
都合の悪いことは何ひとつ聞かないで、子どものことさえまともに見ていない。母のことを、ずっとそういう人だと思っていた。
――だけれど、さっきの話し合いの続きで、テリとアシュリーはこんなふうに和解する。
話を聞いていないように見えても、耳を素通りさせていたんじゃない。
ただ、うまく対処できなかっただけ。テリは不器用な言葉でそう告白するのだった。ちゃんと考えてる。考えて、考えて、考えている。だけれど、どうしてもうまくやれない。「まともな母親らしく」なることができない。テリはそれが苦しかったと言うのだ。
私は、母親についてずっと知っていたことをいくつか思い出した。
私が無職になった時、彼女から一言も責められはしなかったこと。誕生日の度に段ボールに入った仕送りが届いたこと。その中には決まって暖かいコートやセーターが入っていたこと。
少し前、私が発達障害の診断を受けたことを告げた時、母は「そんなのは性格の問題で、障害なんかではない」と言って、私はひどくショックを受けた。
私が今まで感じてきた社会とのズレを、「性格の問題」だと言われてしまったことも、母が「障害なんか」と不用意な言葉を使ったことも、私を孤立させるには十分だった。
母親のデリカシーのなさは相変わらずだし、自分の言葉で傷ついたなら、傷付いた方が悪いと思っているようなところは、きっと変わっていないのだろう。
それでも多分、彼女もきっと愛情深い人ではあるのだ。
そのことに、私はどう折り合いを付けていったらいいだろう。