アウトプットの機会
こんにちは。
年末年始の忙しさもひと段落して、胃腸もだいぶ落ち着いてきました。
恒例の家族と過ごす時間に加え、今回は知人・友人たちとも会う機会が多く、貴重な会話の時間が取れて非常に良かったと感じてます。
ふと思うと、学生時代と比べて人と話す機会というのは明らかに少なくなったと感じます。
もちろん仕事に関する会話は毎日しているわけですが、近況報告や最近の興味などを誰かに話すことは、家族を除くとだいぶ少なくなりました。
仕事中に誰かを捕まえて話しかけることは結構しちゃってると自負しておりますが(私が発注者だから許して)そうでもしないとみんながどんなことに興味があるのかや、どんな情報を持っているのかを把握することが出来ないため、積極的にそのように振舞っています。
実際には仕事場を明るくしたいと思ってやっている側面も半分ぐらいありますが。
専門的な知識をサービスとしている私の仕事場では、当然その業界の人ばかりになってしまい、話す内容も専門的なものが多くなります。
ただし、長くその世界にいるとその専門性にも気が付かないこともあり、普通の会話として行なっています。
おそらくこれはどこの世界でも起こりうることだとは思うのですが、つい最近会った仕事の後輩たちと食事をした際に、以前していただろう会話とあまりに変化がないことに違和感を覚えました。
後輩たちとは2、3年ぶりに会ったのですが、なんだか少し馴染めてない自分に不安を覚えたのです。
ブランクがあるからそういうものかと最初は思ったのですが、気が付くとそんな話をしたいわけではないと確信しておりました。
何が言いたいかと言うと、自分の環境以外の話というのは意識しないと出てこないし、意識したとしても日頃からアウトプットしていないと整然とした会話にもならないのだと感じたということです。
興味を持ったことも調べるだけでは良くないと思います。
いざそれを誰かに伝えようとすると内容がまとまってないことが多々あります。
普通の会話の中にそれを組み込もうとしようものなら文脈も内容もごちゃごちゃしてなんのこっちゃわからないということもよくあります。
年末年始に、新しい話題を盛り込んだ会話って思ってる以上に難しいものだと実感しながら過ごすこととなりました。
そうはいってもこれは練習あるのみだと思うのです。
よく考えると、さまざまなメディアで流暢に喋れる方々いますが、やはり場数が違うのだと思いました。
内容の是非は置いておいても、その滑らかさは一般の人とは明らかに違うでしょう。
ましてや不特定多数に話しかけるというのはかなり難しいことだと想像します。
何かにひたすら打ち込むことも良いと思いますが、定期的にアウトプットをすることで自分自身の思考整理と伝える能力を鍛えるということがとても大切だと感じました。
コロナをきっかけに外出しないことが癖になりつつありましたが、今年はアウトプットを実施する機会を設けて頭の整理をする癖を身につけたいと思います。
それが今年の抱負です。
では、また。