償い
もうじき、キリスト教では、「灰の水曜日」と呼ばれる日がくる。
この日は、額に灰で十字架を司祭に書いてもらう。ここから四旬節という
期間にはいる。
この時期、断食も欲望節制もできないわたしは、小さな償いをすることにしている。日ごろ疎遠にしている人に電話をかけること。いそいそと電話を掛けやすい人もいれば、かけにくい人もいる。でも、頑張って電話をして「ご無沙汰しています。お元気?」とか言って話をすることにしている。
レントには早いのだが、病気で教会にこれないAさんに電話をしてみた。
電話口のその方は寝ていらっしゃったのか、数か月ぶりに聞くその声がかすれて随分弱弱しくなっていた。
「今は抗がん剤治療でかなりしんどいの」とAさん。
「電話切りましょうか?」
「ううん、いいの。少しはしゃべらないと声がでなくなるから」と。
なんだかんだと20分ぐらい話して、いろいろと大笑いしたところで、その方が神妙に言われた。
「ねえ、私の声、おかしいでしょ?かすれたようでしょ。抗がん剤治療が始まって、声も目もかすれてしまって、ショックなの。でも、お医者さんにいうとそんな副作用はこの薬にはないっていわれたの。でも、声はかすれるし、目もかすむし……」
わたしは、ハタと気が付いた。電話をかけてすぐの彼女の声は確かにかすれて弱弱しかったのだが、今は、ふつうに聞こえるのだ。そう、さっき、大笑いしたときに喉につかえたものがとれたみたいに。そのことを告げるとまたまたAさん、大笑い。
「ねぇ、Aさん、それって、抗がん剤のせいじゃなくて、声帯が衰えているだけじゃないの?腹式呼吸で朗読したりして鍛たほうがいいわよ」
さっきまで、具合悪いの連発だったAさんがすごく元気な声になった。
「でもね、わたしは、島根の人間だから、腹式呼吸は苦手で大きな声もだせないのよ」と。
「あのね、(大きな声を)出すの!!腹式呼吸してください!!」とわたし。つべこべいわず、声帯をきたえるのじゃ!と心の中で思った。
電話を切るころのAさんはとても元気になっていた。
「あ~、私は結構無神経だからズケズケ言うからねぇ~」と言って、心のなかでちょっと「しまった」と思った。もう少し状況をわきまえたらよかったのかなと。どんなに声がかすれていても「そんなことない」って言ってあげる方が思いやりだよねと思った。Aさんは、しみじみと
「娘たちは、病気の私に遠慮して、声がおかしくても「そんなことない」っていうの。でも、はっきり言ってほしいのよ。そう言ってくれる人がほしいのよ」と。
とりあえずは、今回のかすれ声は「声帯の衰え」ということでAさんは納得された。きっと、今夜からAさんの腹式呼吸の練習は始まるのだろうなぁ。
これはまさしく、レントの償いになるのかも。
大斎節。四旬祭。レント:イエスの受難・十字架の死をしのんで修養(斎戒)する,復活祭の前の40日間(六主日を除く)。イエスが荒野で断食・修行した40日間(四旬)にちなんだもの。