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パパ、とけい ってなんでまわってるの? A

ねえ パパ なんで」はQ&Aで構成されています。
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四次元の最重要ファクターのくせして、時計のヤツが壁に貼りついて二次元めいた顔してるから忘れがちなんですが

ビッグバンから生まれ弾け、そこから遠ざかるように時間を進む我々は、繰り返す日々を文字通り、過ごして(しまって)いるわけです。

静止する太陽の周りを地球が回り、一年を経てまたそこに戻る。その繰り返し、

のようでいて、我が星・地球は、"はじまり"から吐き出された勢いのまま広がり続ける宇宙空間を、そしてそこにある太陽の周りを、螺旋を描きながら追従している。

同じようでいて、一年前の地球の位置と、全然違う場所を、いまも移動し続けているんです。ほんまかいな。

時分秒針のついた時計を持ったまま歩いてみて下さい。中心に太陽、針の先に惑星、歩いた足跡が、時間です。

日々同じ場所に時計があるから、毎日が繰り返しと錯覚していますが、実際はチクタクバンバン(調べてみて下さい)なんですよ。

そこに合うであろうレールを必死ですげかえ、進んでみたり、戻ってみたり。でも気づけば知っているようで知らない土地。いわゆる未来に突っ立っている。

で。

その時間の、立体性っていうんでしょうか、ループなのか螺旋なのかの捉え方って、人によって全然違うと思うんですね。

例えば僕の場合、なんとかお笑いという概念で生計を立てて…という目標のようなものが目先に存在しています。

そこに辿り着き、乗り越えて、進み出すまでの準備や時間も必要。いまある時間を消費して、そこへの道を切り拓き、そこから先を目指します。

けど友人の中には、とりあえず迎えくる日々を、昇る太陽と沈む夕陽に影を伸ばしながら、その日の幸せに浸るために、延々今日を生き続けている、みたいな人もいて。

それがどう、とかって話ではなくね。

今迄は僕も、そういいながらもルーレットのような人生、ライブやオーディション、ちょっとした活動の中で、当たりを引けるかの繰り返し、だったようにも思います。

そんな中、こどもが生まれ、急に具現化された時間軸が目の前に出現しました。おぎゃー! とばかりに。にょきにょきと歳を経ていく娘の様を見て、背中を押す宇と宙の強さが圧倒的に増します。ますます、増す。

いつ死ぬかわからんし、まあいつ死んでもしゃあないな、くらいに思っていたんですけど、その死ぬ時は、娘が何歳の時なんだろう、なんて想い巡らせる刻がやってきたのですよ。ようこそ!

への字口だった時計の針を、キリっと10時10分に眉唾つけて、我が家に生まれたビッグバンから、老体にムチ打って走り出せチクタクバンバン。

忘れそうになってた宇宙と夢中の間隙を、四苦八苦と疾駆hackしながら、まるで昔のアニメやコメディの表現みたいに進まぬ平泳ぎで足掻いています。

時に子は時間なのだと、じっ、じっか、じっかんし、しながら…し(喀血して横臥)。妻は「実家にか(轟く銃声)。Time is 間、デスねぃ。

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