『普通の人生』という呪縛に苦しむ30歳無職
こんにちは、安心院バクです。30歳無職です。
私は今年で30歳ですが、現在は無職・独身・実家暮らしです。親のスネかじりまくってます。
世間一般の「普通の30歳」といえば仕事して、結婚して、子育てして…
毎日忙しいと思いながらも、充実した日々を過ごしていることでしょう。
『普通の30歳』なら…普通の人間なら…普通なら…普通…
…普通ってなんだ?
今回は「普通の人生」について、私の学生時代を振り返りながら考えてみようと思います。
世間のイメージする『普通』の難易度が高すぎる
私は1992年生まれ、今年で30歳です。
現在の私は無職・独身・実家暮らしです。
全然「普通の30歳じゃない」ですね。(当然ですが)普通の人じゃないという自覚はあります。
『普通の30歳』といえば、会社なら新人の先輩にあたるポジション。主任や係長といった役職も与えられているはずです。
どうすれば新人を成長させられるのか?
どうすればより良い仕事ができるのか?
どうすれば売り上げがアップするのか?
そんなことを毎日必死に考えながら働いていると思います。
そして、仕事終わりにはジムへ行き、ランニングマシンで汗を流し、シャワーを浴びてから自宅へ帰っているかもしれません。
また、『普通の30歳』なら当然、素敵なパートナーに出会って結婚もしているでしょう。
子供も1〜2人いると思います。会社まで電車1本で通える沿線地域に、マイホームをローンで購入しているかもしれません。
週末はマイカーでイオンモールへ行って…ベビーカーを押しながら家族で買い物をして…
フードコートで昼食を食べて…子どもの写真を撮って両親に送り…「次の夏休みは実家に帰るからね〜」…
そんな生活を送っているはずです。
で、実際はどうでしょう?こんな人生を送っている30歳って何人いるのよ?
子どもの頃の私は「大人になれば自然と就職して、結婚して、幸せな家庭を築く」ものだと勝手に思い込んでいました。
しかし、30歳になった今ならわかります。難しすぎる。普通の人生の難易度が高すぎると強く感じます。
『こんなの“普通”に生きてたら達成できなくね?』
『普通の人生は相当な努力をしないと送れない』
社会人になった頃から、そう感じるようになりました。
「普通」というか、もはや『理想』なのでは?
『普通の30歳』と聞いて、あなたはどのような人をイメージしますか?
私の場合、普通の30歳と聞くと「現在の自分とは正反対の生活を送っている人たち」をイメージします。
つまり「会社で働いてて結婚して子供もいる人」ですね。
「大人になったら仕事して、結婚して、子ども作って、マイホームを買うのが普通だ」
私の中ではこれこそが『普通の大人』というイメージです。
もうちょっと具体的にすると以下のような人たちです。
立派な会社で働いている
会社では「主任」や「係長」といった役職を得ている
結婚して子供が1〜2人
毎朝の幼稚園の送り迎えが大変
週末は家族でイオンモールに行く
アパートが狭くなってきたのでそろそろ郊外に庭付きのマイホームがほしい
↑私がイメージする「普通の30歳」はこんなイメージです。
う〜ん…どれも現在の私にはまったく関係のないことばかりですね。
つまり、私にとって『普通の30歳』とは人生の重大なイベント(ライフイベント)を順調にクリアしている人たちのことです。
実際のところ、私と同年代(1992年生まれ)でこれらのライフイベントを順調にクリアしている人はどの程度いるのでしょうか?
就職はしたけど結婚はしていない
結婚はしたけどマイホームは買っていない
そもそも結婚してない
就職もしてない
そんな人たちも大勢いるはずです。
最近は経済的な事情や価値観の変化などにより「結婚しない人」や「仕事が原因で心身を壊してしまう人」も増加しています。
はたして、ライフイベントは本当に「普通の人間なら誰でもクリアできるもの」なのでしょうか?
普通の人生は、もはや「普通」というより『理想』なのでは…?
『就職するのが普通』
『結婚するのが普通』
『30歳になったらこれくらい普通でしょ?』
『普通の人生を送れなかった人生おしまい』
そんな見えない圧力を、30歳になった現在でも感じています…
毎日「違和感」があった学生時代
昔を振り返ってみると、私は学生時代から「普通」ではなかったと思います。
私は昔から集団行動が苦手です。自分のペースで物事を進められないことがとてもストレスでした。
「毎日同じ教室に同じ人たちが集まって勉強するシステム」も苦手でした。
体育祭や修学旅行といった学校行事も「早く終わってほしい」と思いながら参加していました。
しかし、当時の私は「学校に行かない人は普通じゃない」と思っていたので、嫌々ながら毎日学校には通っていました。
「学校へ行くのが普通なんだ」「学校行事は楽しむのが普通なんだ」と自分に言い聞かせながら毎日を過ごしていました。
私は学生時代から何も持っていません。学力・運動神経・芸術・音楽など、他人より優れた才能なんて何もありません。
『特殊な才能』がある人なら「普通のレール」から外れても、自分の才能を活かして生きていくことが可能でしょう。
しかし、私には何も才能がありません。なので「周囲の人たちに合わせて行動すること」が私の唯一の生きる道です。
周りの人たちに同調して『普通の人のフリ』をすることで、なんとか日々を過ごしていました。
「違和感」は社会人になっても消えなかった
『社会人になれば、大人になれば自分も変われる』
『苦手だったことも大人になれば自然と克服できる』
学生時代の私はそんな風に考えていましたが、当然ながら全然そんなことはありませんでした。
学生時代から続く「違和感」は社会人になっても消えることはなかったです。
毎日朝早く起きて、毎日嫌な仕事をして、毎日疲れて帰宅して…
社会人になっても「これが普通なんだ」と自分に言い聞かせて『普通の人のフリ』をなんとか続けていました。
私は会社員を5年間続けたのですが、普通の社会人なら「5年目」といえば中堅ポジションになるはずです。
どうすれば仕事の効率が上がるのか?
どうすれば会社の売り上げがアップするのか?
どうすれば仕事を通して社会に貢献できるのか?
他の会社で働いている同級生たちは、そんなことを毎日考えていたはずです。
一方、社会人5年目の私が考えていたことは、
どうすれば上司に怒られずに済むのか?
どうすれば普通の人のフリができるのか?
いつまでこんな労働の日々が続くのか?
“これ”はいつまで続ければいいんだ…?
毎日そんなことばかりです。自分以外のことを考える余裕なんてありませんでした。
『仕事は嫌でも続けるのが普通なんだ』
『普通の人じゃないと思われるのはイヤ』
『社会人じゃない人間は普通じゃない』
社会人の私は『普通』の圧力に毎日心をすり減らされていました。
「普通じゃない人生」のほうが自分には合っている
そんなわけで、私は慣れない社会人を5年間続けてみたのですが、いろいろと限界が来てしまい2020年に退職しました。
私は30歳にして『普通のレール』から外れました。現在、無職・独身・実家暮らしの私は全然普通じゃないです。
今までの私はずっと「普通の人」になろうと、毎日必死になって努力していました。
苦手なことを一生懸命がんばっていました。余計なエネルギーを使い続けてました。
しかし、現在の私はもう「普通の人」ではありません。なので周囲の人たちに合わせる必要もないです。
学生時代から会社員時代までの私は『周りの人たちを気にする人生』でした。
そう考えると、無職の現在は「初めて周りを気にせず自発的に行動した結果」だと思います。
そのおかげか、生まれてはじめて「肩の荷が下りた感覚」を味わっています。
もう周りの人たちと“歩くペース”を合わせなくていい。そう考えるととても穏やかな気持ちになります。
「普通の人生」ではなく「自分の人生」を目指したい
ここまでいろいろと書いておいて、こんなことを言うのもアレなんですが……
やはり、多くの人にとっては『普通の人生』が幸せだと思います。
就職して、結婚して、子育てして…それが普通の人にとっては『幸せへの最短コース』でしょう。
実際、厚生労働省のデータによると、2021年は50万組以上が結婚しているようです。
年々減ってるとはいえ、結婚して『普通の人生』を歩んでいる人たちはまだまだ大勢いますよね。
しかし、私にとって、『普通の人生』は合いませんでした。
普通の人生を目指して長年努力をしてきましたが、「自分には向いていない」と30歳になってようやく気がつきました。
そして、無職になって、『普通じゃない人』になって初めて「自分はこっちのほうが合っているかもしれない」と感じ始めました。
『普通の人生』『普通の幸せ』という違和感に悩みながら生きてきましたが、無職になってやっと『自分の幸せ』のヒントが見つかったような気がします。
だから、せめて、今後の人生くらいは、
普通の人生を無理して目指すのではなく、自分の人生を探して生きたいと思います。
【おわりに】
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