贅沢な二週間
歳を重ねるごとに誕生日の過ごし方がわからなくなっている。
毎年の誕生日を“誰かに祝ってもらう”ことが確定しているわけではないわたしみたいな人間は、どうその一日を過ごすかを自分が考えてあげなくちゃ、ただ孤独を感じる一日になって、特別さが薄らいでいく気がする。わたしはいくつになっても自分の誕生日にうきうきしていたいよ。
そんなわけで、今年の誕生日、わたしはずっと念願だった免許合宿に行くことに決めた。実のところこの人生で免許を取るつもりはなかったが、運転手が疲れ切ってるときに運転を代われない不甲斐なさを何度も経験するうち、自然と取りたいと思うようになっていた。
すでに免許を取得している友人たちの話を聞くと、どうやら教習所や合宿先によって当たり外れがあるらしい。一生に一度の免許取得というイベント、どうせなら素敵な場所で二週間過ごしたい。わたしは昔からペンションやログハウスが大好きで、あるかどうかもわからないけど宿泊先に洋館のような場所があったらなあ、と夢見て探してみたら本当にあった。それも白馬の山奥である。こうしてわたしは、自分が一年のうち一番好きな五月を、大好きな土地のペンションで過ごすことになった。今振り返っても、わたしにとってこれ以上の免許合宿は何処を探してもないだろう。
春夏秋冬、と別に五月という季節があるとわたしは思っている。五月病というものは、強烈に生命が芽吹く緑色が人を狂わせているのだ、きっと。
合宿初日の集合時間は朝が早いので、前泊して乗り込む。二週間分の荷物をトランクケースに詰め込んで、東京から長野へ向かう。高校生の頃に生まれて初めての一人旅の行き先に選んだ土地も長野だった。五年前のあのときは少しでも移動費を節約するため青春18きっぷで鈍行に揺られたなあ、と思い出しながら、今は特急に乗っていることに大人になった自分を感じる。
翌朝、駅前で迎えのバスを待ち、教習所へ連れられた。同日に入校した生徒はわたしを含め四人。校舎はそれなりに古びているが、清潔に保たれている。
教習所の説明のほかに、ペンションの案内と、教習所のすぐそばのどら焼き屋さんの引換券ももらった。こういうささやかなおもてなしに弱い。
昼は教習所でお弁当。朝と夜はペンションのオーナーの美味しい手作りごはんが食べられる。
免許を取ったら、赤いレトロカーで夜の高速道路を窓を開けて走ってみたかった。わたしが生まれ育った家は高速道路のすぐ隣にあって、幼い頃から等間隔で流れていく車の光と音を浴びて夜眠りに就いていた。いつしか、眠れない夜に高速道路の向こう側へ連れて行ってくれる誰かを待ち侘びるようになり、そんな日を恋焦がれて夜の高速道路を走るためだけのプレイリストも作っていた。
一日目の教習が終わり、バスで30分ほどかけていよいよ今回の目玉のペンションへ向かう。
洋風のポスト、バルコニー、綺麗に手入れされたお庭、白格子の窓、外から眺めているだけで満ち足りた気持ちになり、深呼吸をする。
漆喰の壁、アーチ型の廊下、レースのカーテン、花のランプ、アンティークの家具、自分が好きなものがこれでもかとふんだんに詰められた空間だった。夢かと思った。ここで二週間過ごせるなんて! 人生でしてみたかった「山奥のコテージで借り暮らし」が思わぬ形で叶った。
寡黙なオーナーに出身はどこかと訊かれ、「横浜です」と答えたら、オーナーも横浜出身と聞いて驚いた。しかし、どうりでこんなに惹かれるわけだ。横浜から離れた場所で共鳴するものに巡り会えて嬉しい。
素敵な場所だと思って五年ぶりに降り立った長野なのに、心は横浜に帰ってきたかのような感覚になった。感性って導かれるものなのだろうか。五年前も横浜の街をよく散策していた。
長野の五月は肌寒い。長袖の上着が必要だし、朝と夜はまだストーブが必要なほどだ。その肌寒さの中、夕食を終えて紅茶を飲んだり教習の勉強をしたり思い思いに過ごす時間が好きだった。
教習所の先生の中には曲者もいたけれど大体優しかった。そりゃこんなに壮大な自然の風景と美味しいご飯に囲まれたら意地悪になる方が難しいか。技能教習のときは毎回車に乗る前に元気良く挨拶すれば大丈夫。元吹奏楽部員として先生の懐の入り方はわかっている。
連日、技能と学科をこなし、仮免許に合格し、二週間はあっという間に経った。初めての「高速道路に乗る日」は偶然にもわたしの誕生日当日だった。
どきどきしながら走り終えたとき、もう高速道路の向こう側へ連れて行ってくれる誰かを待つ日々は終わって、自分の力でどこへでも自分を連れて行ける大人になれたのだと、これが自分への誕生日プレゼントになったと思った。
合宿の終盤、自由時間があったので、五月の長野の芝生の上で寝っ転がって電子音楽を聴きたくて近所を散歩した。
芝生に寝っ転がって、電子音楽浴びてお昼寝するためのプレイリスト
都会での暮らしに、知らずのうちに疲れ果てていたけれど、同じ日本でも山奥にはこんなゆったりと時間が流れる場所があるんだなあと心が落ち着いた。おいしいご飯が毎食出てきて、仕事を気にせずに毎日新しいことを教えてもらえて、大自然に囲まれて、新鮮な空気と水があって、素敵なベッドルームで眠る、こんな贅沢な二週間、もう後にも先にもないんじゃなかろうか。一生に一度の免許合宿は間違いなく最高の誕生日祝いになった。いつか都会を離れてもいいと思える年齢になったら、こんなふうに山奥で日々をただゆっくり過ごすのもいいなと思った。
もう免許は取り終えた方も、これから取るという方も、人生のどこかでこの季節に白馬のペンションで過ごすことをぜひおすすめしたい。
五月の長野が大好きだ、新緑の色も移りゆく空の色も。
Special Thanks:
大町自動車教習所
ペンションエアメイル