戻らないから
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ジャネーの法則には争えているのでしょうか、わたくし
今年ははじめて、一人で大晦日の夜を過ごしている。今までの大晦日で、ひとり旅をすることはあったけど、それでも旅先の宿で出逢った人と話して年越しをしていたから、一人じゃなかった。本当なら横浜の祖母の家で過ごしたって、すこし遠くの片田舎へ移った親の元へ行ったって良かったのだけれど、ひとりで過ごしてみたかった。だって、2022年にタイトルをつけるとするなら自立だから
それで、一ヶ月とちょっとしか過ごしていないほとんどなにも知らない街で、一時間ほど自転車で爆走してきた
時間が喪われていくものだと気づいてしまってからわたし、こわいです!
成人式には行かなかったけれど、同窓会にだけ顔を出したらまた学生時代の頃のように戻れるかなと思っていたら、教室で騒いでた頃のわたしたちはどこにも居なかった これからわたしたちはどんどん家族が増えたり仕事をしたりいろんなことを抱えながら変化していくし、成長していく過程をお互い見守れるのはきっと嬉しいことなんだけど、一方でふざけて走り回ってた頃に戻ることなんてないんだと思い知って寂しくなった もう着なくなった中学校の制服を、学校に寄付しに行ったら全然知らない先生しかいなかった
二十年ものあいだ、生まれてからずっとわたしを護ってくれていた家とのお別れ、つらすぎたのか、その家で過ごす最終日の朝気絶して倒れてしまった。さっき久しぶりに検索かけてみたら綺麗にリノベーションされて売りに出されてた、もう自分の生家は姿形がなくなっていて寂しいけど、大事にしてもらえそうな家に生まれ変わっていて嬉しかった。このあいだ、3歳の頃に撮ったチェキが出てきて、あの家だーとなった 愛おしい寂しい
年末年始はたくさんのお店がお休みだからわたしの住む街にも星の光が降ってた、
と言葉、去年の今頃のわたしは、翌年にはもうそこに自分はいないと知らずに、そのときにしか感じられなかったこと、下書きに隠してしまった。愛する横浜の街でもっと謳歌したいことあったはずだろ!小旅行のような距離になってしまった故郷、愛おしい寂しい
十代のわたし、ずっとこころは動いているのに、非力で身体が動けなかった、それがもどかしくて仕方なかったはずなのに、やっと力がついていろんなことができる状態になった今、今度はこころが動かなくなってしまった ときめきが足りない 自分の大切なものを守るってきっとそういうことじゃなかったはずなのに たすけて
学生時代、「ちょっと前までわたし人見知りだったんだよー」というと、絶対嘘!ありえない!と言われてたわたし、今「学生時代は割と人付き合い得意で友だちも多かったんだよー」と言うと、想像つかない!と言われてしまう、振り子のような人生 わたしはさ、卑屈さとか傲慢とかそういうネガティブなもの、忌み嫌われるもの、ぜんぶ味わい尽くして陰極めて陽になりたいんだよ だってそうじゃなきゃ人と関わりたがらない人と友だちになれないじゃん
澄み切った愛なんか役立たず だし
愛は犠牲だと刷り込まれていたことに気づかないまま生きてきてしまった呪いがずっと解けない
いつも駅まで車で送り迎えをしてくれていた祖父は、「最後かな」と言いながら免許更新に行っていた。いつか祖父のような白髪になりたくて毎日髪を櫛で梳かしている。
祖母から譲り受けたイギリスアンティークの家具が自分のもとへ届いた。本当はフランスアンティークが好きなのだけれど、最近は重いブラウンも好きになった。わたしもきっとだれかに譲りたい。
親はずっと元気なものだと思っていたけれど、いつのまにか白髪が増えている 帰省したってもう毎日一緒に過ごすこともない 父親と一緒にいく遊園地が楽しくて堪らなかった小学生のとき、遊んで帰った後にひとりでお風呂に浸かりながら、ふと自分はいつかお父さんと二人で遊園地に行ったりしなくなるんだろうなと考えて、ものすごく寂しくなって湯船のなかで啜り泣いてしまった。
母親との思い出はへんてこだ 一緒に過ごす時間が短くて母娘というより姉妹に近い 海外で働き暮らすお母さんを空港で見送るときの大粒の涙はもうわたしの目からは出てこない 代わりに今はお母さんのほうばっかり泣き虫になってしまった 大泣きするあの頃のわたしの前ではぐっと堪えて、遠のく日本を窓から眺めながら飛行機のなかで涙を流していたんじゃなかろうかと今は思う わたしはもうお母さんのこと責めてないよ
モラトリアムの時間はもう終わりだよー!!と毎朝目覚まし時計が鳴る すこしは定まってきたルーティン 火曜と金曜は燃えるごみの日 生活は本当に止まってくれない 一息ついたときに浮かぶ幼少期の記憶のすべてが眩しい愛おしい寂しい 大泣きしていたことさえ
中指と舌を突き出して社会を呪っていた自分はいつのまにか、大切な人がいつか居なくなることを何度も考えては勝手に悲しんでいる 時間というものがおそろしい 小学生のときにはもう時計が嫌いで自分の部屋の壁から外した
社会性を身に付けかけていた自分をばっさり捨てて衝動を大切にしてきたはずなのに、もうその衝動もない
どうしても自分の足で立ちたくて仕方なく身を軽くするため置いてきたものやひとや記憶への愛おしさ寂しさがずっとこころにあって もう身体は軽いしどこへでも行けるはずだって知ってるのに、たぶんこころがまだ持ちたがってる
なにか悩んでいるわけでないはずなのに、家族と仲違いしたわけでもないのに、家を出てからというものの、一人になったときにずっと涙が止まらなかった
わたしがいくらこどものままで居たいと振る舞ったって、こどもの頃にわたしの周りにあったものはわたしの思い通りそこに在り続けてくれるはずもなく、勝手に変わっていってしまう
時間は本当に恐ろしくこわいから、次に闘う相手は自分でも社会でもなく時間なんだろうなと思う すべての瞬間に意識を研ぎ澄ませていたい やり残したことなんてないと言いたい わたしが死を迎えるときはきっと時間に勝ち誇っていたい
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こんな言葉が浮かぶのもまた今だけだろうからきちんと書き記しておきたくて、そうしました
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お父さんとの思い出もお母さんとの思い出も、おばあちゃんとの思い出もおじいちゃんとの思い出も、可愛がってくれた叔父ちゃんとの思い出も、たしかにいやなこともあったけど、優しい思い出をわたしはたくさん憶えている
もう会うことはないだろうけど、むかしもらった手紙だけが手元に残っているいつかのお友だち、かつて好きだった人、恩師、習いごとの先生、旅先で終バスを逃したときに自分の車で駅まで送ってくれたバス会社の社長さん、閉店間際に到着したお店で、もう今日は営業終わっちゃいましたと言われて諦めて帰ろうと自転車に跨ったら後ろから「お客さん!なにがほしいの?」と声を掛けてくれた店主さん、これ壊れてるしきっと買い手がつかないだろうから持って行っていいよと言って素敵なアンティークのティーポットをくれた蚤の市の出店者さん、わたしの人生に優しさをくれた名も知らないすべての人、いや、今まで交わったすべての人 たった一瞬の優しさがずっとこころに残ったまま人生が続いていること、直接伝えたいけど伝えられないことがちょっぴり痛い 生きているのかどうかすら知らない
ですが
優しさをくれたその人自身になにかすることだけが恩返しなのではなく、優しさが伝染してまたその人やその人の大切な人のもとへ還るようにすることもまた、届くかどうかわからない紙ひこうきのような恩返しなのでしょう そんなふうにわたしも振る舞いたい みんなしあわせだと嬉しい
だからわたしもしあわせで在りたい でも誰も置いてけぼりにしたくない
いまわたしを好きで居てくれる方や応援してくださる方も、きっといつかはわたしのこと忘れちゃうから、なるべく気持ちが本当に在るうちにお礼を伝えたいです ありがとう がんばります これからも