2023/7/7 おしゃべり
今日は11時ころに起きたんじゃないか。記憶がなくなっている。
昨日の朝顔はまだ全部は咲いていなかった。
支度して夜のライブ前にウーバーでご飯を運んだ。
今週もウーバーは50件で9000円のボーナスだ。最近はウーバーの報酬が下がっていると言われているが、このボーナスが多めな気がする。
つまり、いっぱい運んでくれる人(専業に近い人)には多めに報酬を出すし、あんまり運ばない人は別の仕事があるんだろうからそんなにいらないよね、という方針だろうか。
平日のお昼であるが、依頼数は増えている感覚があった。こう暑いと外に出たくないもんである。まったくの同感だ。
今日のお客様は良い人が多かった。こんだけ暑い中で運んでもらってありがたいという気持ちが伝わってきた。お互い様ですから、お互いに感謝しあいたいもんである。
12時過ぎから15時ころまで駆け抜けた。
現在17/50で、あと33件を土日ですませなければいけない。あともう2,3踏ん張り。
さて、19時からは町屋のジオラマ喫茶 かふぇ若茶でライブである。こちらは笑組 ゆたさんの活動の拠点と言われている。笑組さんは寄席漫才界では一目も二目も三目もおかれる重鎮である。しかし、意外と知られていないのはカフェ漫才界でもその名声をほしいままにしているということだ。
カフェ漫才界と言うものがそもそも存在しないというのは、皆さん承知しているものとする。
18時に会場に入ってとのご連絡があった。会場に入ってアイスコーヒーをいただく。アイスコーヒーをいただきながら雑談を繰り広げる。
絵にかいたような田舎の会話が店員さん、常連さんで繰り広げられた、「冷房を我慢している」「冷房は我慢しちゃだめよ」「風邪をひいちゃってね」「熱中症になるよ」「病院を変えたら薬が変わった」戦後から平成のすべての世帯で行われた会話がいま、ここ町屋の喫茶店で行われた。
もはや会話でもない気がする。Youtubeで『睡眠導入BGM』で検索すればでてくるんじゃないか。鳥の鳴き声、川のせせらぎ、木の葉がゆれる音、波の音、カモメが鳴く港、冷房を我慢する老人。
これらは自然豊かな日本に育った日本人にとっての原風景である。
そんなBGMを楽しんでいると、ライブのお客様がちょこちょこといらっしゃり始めた。支度をして、出迎える。
笠生(変換が面倒なので以下、K氏)くんのお客様がたくさんいらした。タイタンの学校で知り合った方々らしい。こういっては何だが、一目見てタイタンっぽいなあと思った。
事務所によって、それに関わる方には雰囲気と言うものがやはり存在している。タイタンといえば、爆笑問題さんを筆頭とする事務所である。理知的でありながら、悪ふざけもいきすぎた個性も許容するようなイメージだ。
まさにそういった方々っぽいなあと思った。
K氏にそのむね伝えたところ、まさにその通りで爆笑問題カーボーイ、日曜サンデーといった爆笑問題さんのラジオにとりつかれた人たちですよ、とのことだった。となれば、K氏もそうだが私も爆笑問題さんに伊集院光さんにと東京っぽいラジオが好きであるから、仲間みたいなもんである。類は友を呼ぶとはよくできたことわざである。
ライブも楽しい回になった。正直な話をすれば、もっといろいろあるのだがやはり気をつかう。普段、漫才協会が好きでいてくださる皆様の前であるから、もし誤って変なことを言って「ああ、そんなことがあるのか。」と冷められては悲しい。
いくつかストッパーをかけてしゃべった。もっときたねえところがいっぱいあるのだ。
記録に残ることは無いが、みなさんの心には残っただろうか。自分も含めて他者のおもしろいところを伝えるのって難しい。話すってのは難しいことだ。
ライブを終えて、そのまま会場で食事をして帰宅した。帰宅して、話すって難しいよなあと思いながら、Youtubeで怪談をいくつか聞いた。人気怪談師が勢ぞろいの動画で、男性、女性、おじさん、おばさんが次々と怪談を語る動画だった。
怪談も話術がいる。笑わせるか、怖がらせるか、つまり言葉で人の感情を動かすということで、お笑いと怪談には通ずるものがある。学びがあった。
怪談を怖くさせるのはやはり、細かなところまでの気遣いではないかと思った。その話限りでの登場人物たちであるから、必要最小限の情報でおぼえてもらわなければいけない。しかし、少なすぎても心を動かされるほど感情移入できない。また、その登場人物の性格やなんかをぱっとイメージさせて、その人ならこうった行動をするだろうなと想像させる。奥深い。
なぜ突然に怪談話について思ったことを語りだしたのかと言うと、ひとりの怪談師のお話にとても違和感があったからだ。
この方は、女性の怪談師であった。話術も申し分ない。男性の低い声で聴くのとはまた違ったおもしろさがあるなあ思いながら聞いていた。
この方が話していたのが、男子大学生が経験した話というものだ。
大学が夏休みに入り友達は皆帰省してしまい、遊び相手もおらず寂しい。男子大学生は彼女を自宅に招いて、お酒を飲むことにした。
もう寝ようと二人で横になったところ、彼女はすぐに寝息を上げて眠りについた。男子学生は彼女の寝顔もかわいいなあと思っていると、怪異が部屋を訪れるというものだった。
このお話は十分に怖いのだが、この登場人物、男子大学生の挙動がおかしいのだ。男子大学生といえば、もっとも性行為に興味がある時期だ。いや、興味で言えば中高生のほうがあるが、大学生のころが一番、現実的にどうすれば性行為ができるのかと思い悩む時期だ。
その時期に彼女を家に招くということはつまり目的は性行為であり、彼女を自宅へ呼ぶ理由も、お酒を飲んでいるときも、寝ようとするときも常に、「このあとは性行為だ」と思っているはずである。
怪談でよくある語り口で「妙だなと思った男性は、ドアをぎいっとあけた」という人物の心情をしゃべるやりかたがある。この話でもそのような語り口だった。男子学生の思っていることをこの女性の語り手は代弁しているのだが、性行為への興味については一切触れていなかった。
この男子大学生は、純粋にさみしさを感じ、純粋に彼女とお酒を飲みたいと思い、性行為のことなどみじんも期待せずに二人でシングルベッドに横になったという表現がされていた。
なんだか嘘っぽい話をしているなと思った私は一気に興味がさめてしまった。
この女性怪談師は怖い話を思いついて、これは良い案だと丁寧に丁寧に練り上げてこの話を作ったのだろう。しかし、男子学生の異常なまでの性行為に対する思いまでもは想像することができず、かつて男子学生であった我々男からすると作り物のように感じる話になってしまった。
昨今は女性的な視点(ポジティブに使われることが多い)、男性的な視点(こちらはネガティブに使われることが多い)というものが連日、SNSやニュースなどで話題になっている。
女性的な視点はこれまでの男性だけで構築されてきた社会に、新しい風を吹き込む可能性が高いことについては私も賛同する。
しかし、男子大学生の半ば犯罪的な性欲を知ることは難しい。怪談において男子大学生の気持ちを代弁するというのは女性怪談師には難しいのかもしれない。
本物の男子大学生であれば、呪いのビデオで現れた貞子ですら、恐怖を感じる前に「なんかエロい」と思ってしまうものだ。
怖い話についてしゃべっているついでに、私の知っている目からうろこの除霊、退魔方法をお伝えしようと思ったのだが、3000字が近づいてきたのでまたの機会にする。
今日面白いと思ったことは「おしゃべりは楽しい」
こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。