2023/1/24にあった面白いと思ったこと 罪の償いと足が遅いことについて

今日は昼から茶色の動画を2本撮りし、昼寝をしてしまった。18時頃からウーバーをやって帰宅後お好み焼きを作って食べた。

今日は寒くなるとの予報が一週間くらい前からニュースでやっていた。雪がふるのではないかと言っていたが、我が台東区では確認できなかった。
18時頃からのウーバーは寒かった。雪こそふらなかったが風が強い。ウーバーの大きなカバンと私の背中との間に風が入り、飛んでしまいそうだった。それはそれでE・Tのようでかっこいい。
ウーバーをやっているうちに狭い路地に入った。そこでは真っ暗な道で男女が社交ダンスを踊っていた。こんな暗がりで何やっとんねんと思いながらも私はバイクで近づいた。だんだん近づいていくと、その男女は社交ダンスを踊っているのではなく、おばあさんが風に飛ばされそうになっているのをおじいさんが手を繋いで引き留めていたことに気づいた。おじいさんの周りをおばあさんがくるくる回っていた。なんやそれ。と口からついてでた。

また走っていると駅前にきた。この駅前には信号機のない横断歩道がある。さらに信号機のない横断歩道が2方向から渡っている。車両から見て前を横切る形に一本。この横切る形の横断歩道の始終ポイントに向けて奥から手前にかけて渡る横断歩道だ。全然伝わらないのでイメージで言えば口の形で横断歩道があり、この口の直線部分が横断歩道であり車両が抜けるための道が通っている。
これでも伝わらなければ南千住駅の西口ロータリーを見ればいいと思う。ここの話をしている。
私はここが嫌いだ。東京のベッドタウンの夜ご飯時の駅前だ、若いアベックから仕事終わりのブルーカラーでごった返しており、ここを車やバイクで抜けるには辛抱がいる。横断歩道の前でバイクを止める。バイクは押してしまえば歩行者として動けるので押してしまおうかと思った。ただ、いい感じに人もまばらになっておりタイミングを見計らう。口の下の直線の横断歩道の前に私がいるとして、私は左折したかった。左折するには手前の直線が空き、左の直線が空くというタイミングが必要だ。
まず、目の前を横切る横断歩道が空く。よし。
そして左の直線におじいさんが自転車で差し掛かろうとしていた。このおじいさんがわたりきればいよいよ私が左折する番だ。
そう思った刹那、おじいさんが一旦、両足をついた。横断歩道を渡る前に左右を確認しようと思ったのだろうか。これによりタイミングがずれるなあと私は思った。と思ったさらにその瞬間、おじいさんは風に煽られバランスを崩し倒れてしまった。
あ、助けに行こうかしらと思った。しかし、私の中で悪魔が囁いた。おじいさんが倒れている隙に左折ができる、と。この悪魔のささやきに耳を傾けた私はおじいさんの倒れているあいだに左折してしまった。
この心理戦の中では一瞬の隙を突かなければいけない。そう思うあまりに私は人の心を失い、一人の老人を犠牲に左折してしまったのだ。
あとから申し訳なく思い、ここに私の過ちを書くことで罪滅ぼしをしたいと思った。

贖罪を済ませたところで、話はかわり私は足が遅いという話をする。本当に足が遅い。
足の速さの指標として50m走がある。
私は中学生まで9秒台だった。小学生で速い子は7秒くらいで走る。かなり遅い。
そして高校に入り、野球部で徹底的に走り込んだが最速でも8秒を切らなかった。センスが無いのだ。その後、大学生、今に至るがその時より運動量はかなり減ったので遅くなっているはずだ。
そんな私だがいずれは足が早くなりたいという気持ちがある。いつか、いつの日か100m走を11秒で走るためのトレーニング企画を行えたらと思っている。足が遅いことについてここまで書いたのには理由がある。
今日、ウーバーをやっていてバイクを押して走る場面があったからだ。
ウーバーをやっているとバイクを押す場面が多い。配達先の家に近づいたが一方通行で遠回りするにはロスが大きすぎる場合や、渋滞で遅れているときに一度捕まるとなかなか変わらない信号に捕まったときなどだ。このような場合、歩行者となってなんとか早く届けるための道を探すのだ。
今日は一方通行ではない片側一車線の道を行き、大通りに出ようとしていたとき、その大通りに出るための最後の15mくらいが進入禁止になっていたのだ。大通り側からは入ってこられる道、しかし大通りに出ることはできない道だ。うまく伝わっていればそんな道なかなかないだろう!と思うはずだ。私も驚いてしまった。
そして、この道は左右に回るための道がなく、Uターンして遠回りするしかない状況になってしまったのだ。そこで、進入禁止の道をバイクを押すことで通過したのだ。
このときになるべく早めに出たかった私はバイクを押しながら走った。そのとき気づいたのだ。私はバイクを押して走るのも普通に走るのもほぼ同じ速さであるということに。

この気づきは大きかった。私は速さでは劣るが、パワーがすごいのだ。いわば、車やバイクで言えばギア1の人間なのだ。マニュアルの車やバイクに乗ったことがある人ならばわかるだろう。1速はパワーがあるがスピードが出ない。数字が上がるに連れてパワーが下がる分、最高速度が上がる。そのため、重い車体を走らせ始めるときには1速から。そこから速度に合わせてギアを上げていくことで効率よく速度が上がるという仕組みだ。

私の体は重たいものを持とうが持つまいが時速がかわらない。つまりギア1の人間なのである。ここまでついてきているだろうか。
ついてこられなくても安心してほしい、この話はだから何だという話だからだ。

私はこれまでの足が遅いというコンプレックスをギア1人間であると思うことで克服できたのだ。これを読んでいる小学生諸君。足が遅いのであればパワーを鍛えよう。ただ女の子は足が速い子が好きなのでいくらパワーを鍛えてもモテないということは先に伝えておきたい。そして、大人になるに連れて学力や集団への影響力、財力へとモテる要素は変わっていく。ついぞ、パワーがあるから持てるということはない。ただウーバーイーツをやるときには有利だからパワーを鍛えてほしい。
以上だ。

今日の面白いと思ったことは「物事を別のもので例えることで見え方が変わることがある」た。


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こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。