2023/8/1 ライバルライブに行ったよ
今日は7時に起きた。
昨日は22000歩の大散歩をしたので、早く眠った。そのおかげで起床も早かった。
本来は今日のライブ「若手漫才勉強会」というあさかぜさん主催のライブで披露する漫才を昨晩やる準備するつもりだった。
しかしあまりに眠たかったため眠ってしまった。
早起きして、準備を始めた。まだ時間に余裕があるので、カレーを食べたり朝顔の世話をしながら準備した。
ここからはひたすらにネタを見直したので特に書くことは無い。気づけば、16時ころ。出発の時間である。
地下鉄に乗り込み、新橋を目指す。電車の中は外国のかたであふれていた。本当に日本は、観光客も含めた外国の方が増えた。昨日の一蘭も西洋人東洋人と混在しながら満席であった。
日本の物価は安いのでどんどんお金を使っていただければと思う。そして経営者諸氏はそこで得たお金を働いている人に還元していただきたいものである。
ちょっとここで日本の物価について思うことを一つ話したい。先日、私はキン肉マンの最初期のアニメを見た。第2話あたりで、キン肉マンが歓楽街の居酒屋のキャッチをするというギャグシーンがあった。そこでキン肉マンが言い放ったセリフと言うのが「安いよ安いよ~。食べ飲み放題で3500円~。」というものだった。これを見た時に私はたまげてしまった。このアニメは数十年前に放送されたものだ。にもかかわらず、3500円の食べ飲み放題が安いというこの金銭感覚は現代とそう変わらない。つまり、日本の貨幣価値はこの数十年でほとんど変わっていないということだ。
こういったシーンはテレビを見ているとよくある。数年前の映像が懐かし映像として紹介されるが、それでも、物価、物の価値は大きくは変わっていない。驚かされる。
一方で、戦中戦後あたりの映像では○○が〇銭という看板がある。この「銭」というものもいまいちつかめない。このあたりの日本のモノの値段の変遷がとても気になる。当時の人たちはどのような心持で生活していたのであろうか。また、物価の高騰と賃金の上昇これはどのように遷移していったのか。もし、これについて詳しく書いてある本などご存じでしたら教えていただきたい。
そんなことを考えていれば、新橋に到着した。新橋は通り過ぎることこそあれ、降り立ったのはほぼ初めてであると思う。
新橋のライブ会場近くの公園でネタ合わせをした。この公園には大きな喫煙所があった。うわ~嬉しい。都内で喫煙所のある公園はすでに数えられるほどに減っていると私は感じている。ちなみに浅草東洋館近くの2つの公演にはどちらも喫煙所がある。居心地最高である。
ネタ合わせを済まして、18時に会場に入った。落語家さんに加えて、主催のあさかぜ(野村さんは元「ぼっけもん」)、ホンキートンクさん、うすくら屋(元「うすくら~ず」)、ウーデンガーデン(ムサシさんは元 「東京ランペイジ」「華笑」藤田さんは元「わっしょい」「右脳左脳」)、漫才56号(堀江さんは元「わっしょい」)といった()がやたらと多いメンバーが多く集まった。
挨拶をすませて、この会について説明を受ける。これがまた説明が難しい会なのである。
なるべく簡単に言うと席亭の方があさかぜさん、若手落語家さんのレベルアップに寄与したいと、場所を提供しているということが分かった。そういうことで良いと思う。
お客様も集まって非常に楽しい会になった。席亭の方としては、ホンキートンクさんから若手へ漫才のアドバイスをする会にしたいということであったようだが、弾さんはお忙しかったようですぐに帰られてしまった。
そうなれば、ホンキートンクの遊次さんからアドバイスをもらおうと思ったが畏れ多いとのことで特にアドバイスはいただけなかった。
その後、席亭の方と打ち上げが居酒屋で行われた。
これを正直に書いてしまう私は悪い人間であることを理解したうえで書くのだが、席割をどうするかの問題が発生する。漫才師数組に席亭さん、若手落語家さんで二つのテーブルで分かれるとなれば、自然と漫才師は漫才師で固まろうとする。私はこれはチャンスだと思い、落語家さんと席亭さんとのテーブルに着いた。
ここで気に入ってもらえば仕事につながるのだ、これは大チャンスであろう。ほどよく気を使いほどよく崩して会話をした。気に入られることは無かったが(ガビーン)、もしよろしければ今後ともよろしくお願いしたいところである。それにしても同席した落語家さんの他の方に対する配慮力には感服した。噂はかねがね聞いていたが、本当に気配りがすごい。我々なんて、吹けば飛ぶような漫才師なんて気を配る必要はない。にもかかわらず、ジョッキのお酒がもうじきなくなるぞ(頼むにはちょっと早いかもと思うタイミングだが笑)というときには率先して店員さんにお声がけして次のものを注文していた。は~すっごい。
そうなると、私はその緊張感を崩して、友達として接することができればなあと思った。
落語家さんには前座~二つ目~と位があるなかで、今回ご一緒した方は前座さんであった。前座さんはどうやら、師匠の前でお酒を飲んではいけないそうだ。この会では偉い人がいないので飲めるんですと嬉しそうだった。最初はレモンサワーをいただこうかしらなんておっしゃっていたが、私がハイボールのギガジョッキを注文したところ、やっぱり私もそれで、とのことだった。お酒好きなんじゃ~んと嬉しくなった。
その後、このライブ会場の社員として働いている方も参加した。この方が、有名航空会社で働いたのちに有名テーマパークで働いていた経歴があるという方で、とてもお話がおもしろかった。世間で噂されている、テーマパークの噂は本当なのかと気になっていたものにどんどん答えてくださった。かねがね事実のようであった。楽しかった!
この会が終わって、いったん解散となった。そのあと、野村さんとムサシさんと遊次さんがもう一軒行きたいという感じだったので同行した(本当のことを言えば、ムサシさんが行きたがっていた)。
新橋の明け方までやっているらしい居酒屋に入った。到着すると、野村さんはお金だけを置いてさ~っと帰られた。世渡り上手である。
そこからはムサシさんの独壇場であった。飲みながら、正直にムサシさんに伝えたのは「あなたの話には句読点が無さすぎる」「つうかあの漫才なんて最初からできるもんではないのだからとにかく信頼しなさい」これらである。ムサシさんからは漫才の中でここはどうかと、相談していただくことは多いのだが、今日分かった明らかな課題はこれらであろう。
しっかり改善していただければと思う。私はこの世に面白くない芸人さんなんかいないと思っている。自分の面白いと思うことをお客さんにどれだけわかりやすく伝えられるかが勝負であろうと睨んでいる。となった中で、ウーデンガーデンのお二人は漫才がうまくウケないことについて悩んでいるが、それは台本の良し悪しというよりも、その表現方法に課題があるのではないだろうか。
例えば、子供が「うんちがくさい」でゲラゲラ笑っている。しかし、大人は笑わない。なぜか。それはあまりにもストレートすぎるからではないか。70代のおじいさんが舞台にゆっくり上がって「うんちがくさい」と言えば、めちゃくちゃ大人でも笑ってしまう。それは、これだけ人生経験を積んできて、わからないこともたくさんあるのに「うんちがくさい」という事実がそこに置かれたことによるおかしみである。
また、若手であっても「なんかすっごいいい匂いがするなあと思ってよくよく見たら、うんちがありましてん。」「くさいだろ!」となればこれは面白くなる。くさいはずのものを「いい匂い」と表現する。この捻りがおかしみを増大させるのだ。
これは当然、うんちに限った話ではなく、芸人さんが多用する表現技法である。めちゃくちゃすべった芸人さんがいて、それに対してゲラゲラと笑えば「そんなに面白くないだろ」と一つの笑いが成立するのだ。
だから何と言う話を長々としてしまった。いま、この行を書き始める前に休憩を挟んだら続きを書く気持ちが切れてしまった。これくらいにしよう。
遊次さんとムサシさんは二人で夜の街に消えていった。そのあと、この二人の姿を見た者はいない。
今日面白いと思ったことは「漫才はまだまだおもしろい。いろんな人の漫才を見たいと思った日であった。」
こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。