2023/4/2 誕生日に時事漫才
昨日は午前6時に眠った。目が覚めたのは12時過ぎだった。今日はなんだかあわただしい一日だった。たいしたことはしていないのに。
今日は漫才大行進だ。新年度に入って一回目の出番のため、多少気合が入っていた。
14時ころには東洋館の屋上でネタ合わせをする。ちょうど10分くらいの台本になっていた。感覚が研ぎ澄まされている。これがプロの仕事と言うやつだろう。
出番をこなしたが、なんとかネタは最後までできた。出番後にパラダイムシフト高倉さんといろんな話をする。
でも、何を話したのか記憶がない。それが高倉イズムなのだろう。色即是空。空即是色。色は空であり、空は色である。これを高倉和尚はおっしゃっていたのだろう。
あまりに高尚な話であったから、私の頭に残ることはなかったのだ。
高倉和尚を略すと高尚になる。これはすごい発見だ。
高倉和尚が今日の日記をブログにアップされていたので拝読した。
とても忙しく袖の手伝いをしていたようだ。それも私の頭に言葉が残らなかった原因だったのだろう。会話の内容が空となっていたのだ。
その後、ある程度帰り支度をしたところで出口への通り道である袖に行く。ロケット団の三浦さんが話しかけてくださる。今日の時事ネタは何をやった?と。
ロケット団さんと言えば、寄席の漫才日本代表と言う声もある。一年中休むことなく、浅草、都内各地の演芸場、地方、学校寄席と毎日数回さまざまなところで漫才をやっている本物のお化けである。
我々の世代では、爆笑レッドカーペットで「最新語や流行語は山形では昔から使われている」というネタでブレイクしたことを憶えている方も多いだろう。
普段は時事ネタ漫才をしている。私はこっそりチェックして参考にさせていただいている。
意外と思う方は意外と思うだろうが、三浦さんとちゃんと会話したのは初めてだった。というのも、こちらから話しかけるのはなんだか怖いからだ。
我々も時事ネタ漫才をやっていきたいと志している。となると、ロケット団さんと会話をしてめちゃくちゃダメ出しされたら立ち直れないなと思っているからだ。
そんななかで、三浦さんから話しかけていただいたのはありがたい。
これはチャンスといろいろ聞いてみる。
いろいろ話したが、書かないでおく。時事ネタ大好きおじさんの企業秘密としておく。
ひとつ言えることとすれば、やはり「難しい」の一言に尽きるのだ。
この時事ネタ難しい問題は永遠のテーマだ。しかし、私とすれば時事ネタ以外で漫才を作るほうがよっぽど難しいと思う。
この話をする前に、前提として保険をかけておきたいのは我々の時事ネタ漫才はまだまだの部類であり、私が何か正解を知っているわけではないということを言っておく。
時事ネタ以外の漫才をやっている方のネタを見て思うのは、よくそんなことを思いつくなあと言う感嘆の気持ちだ。
理論ではわかっているつもりだ。例えばコンビニのコント漫才であれば、コンビニの入店や、商品を選ぶ、レジを通すといった当たり前の行動にあたりまえでない状況を当てはめることでボケていく。日常会話系の漫才であれば、「俺だけが許せない他人の行動」といったテーマを明示して、無理筋な理論で相方を説得することで笑わせる。
ゲーム系漫才であれば、ボケの考えたルールでゲームを展開してルールの矛盾点や後付けのルールなどで笑わせる。
さまざまな漫才の形にさまざまな発想方法がある。でも、それを私が漫才にすることは苦手なのだ。
そもそも、私の場合は相方と二人で立ち話をするのに「○○がやりたい」「ゲームを考えてきた」といった会話をすること自体が不自然だと感じてしまう。コンビの関係性も関わっていると言える。
その点、我々の日常会話と言えば○○というコンビがいい漫才をやっていた。○○が悪いことをしていた。最近、○○をやってきたという会話が主だ。となると、現代を生きる我々の行動のすべてに世間の空気感がかかわっており、時事性をはらんでいる。そう考えると、舞台に立って二人で立ち話をするという「てい」の漫才において私は時事ネタ以外を作ることができないのだ。
うまく伝わっただろうか?伝わっていないだろう。なぜなら私の中でも整理できていない感覚だからだ。
そういうぼんやりとした感覚から「時事ネタは難しい」からやらない(やれない)という感覚は私は理解ができていない。
「時事ネタで売れる」ことの難しさについては簡単に証明できる。爆笑問題という時事漫才という文化において圧倒的な王様がいるからだ。
爆笑問題さんの時事ネタはいわゆる王道と言われる形だ。田中さんがニュースを説明して太田さんがボケる。この一番の王道な形の特許を取ってしまった。そして太田さんはぼろぼろになるまで漫才を続けると明言している。
シンプルな時事ネタ漫才で天下を取ろうと思うなら爆笑問題の二人が漫才ができなくなり、そして世間の人々の記憶から爆笑問題が消えるときということになる。それには100年近い時間がかかる。
土台無理と言っていいだろう。
そんななかで時事ネタをやるのであれば、絶対に変化球が必要だ。それは、自分達だからこそできる発想、話の展開が必要ということである。
じゃあ、「自分は絶対に他の人と違うものを持っている」と自信を持って言えるのか。それは難しい。
多くの人が普通の環境で普通の大人になっている。差をつけるには自分自身の特異性を探し続け、運よく見つけることができれば今度はネタに落とし込む能力が必要になる。
あら。めちゃくちゃ難しいじゃん!時事ネタ難しいじゃん!よくチャレンジしてるな。エライ!
そんな中で、私がひとつ見つけた時事ネタの形がある。見つけることができたが、我々には絶対に無理である。
それは「女性時事ネタ漫才師」という形だ。これまで名声をあげた時事ネタ漫才師は全員男性である。
女性が普通だと思って見ている世間を語るだけで珍しいものになる。
ここで言っておきたいのは、決して男女を差別して語りたいと思っているわけではないということだ。差別の意図はないものとして聞いてほしい。
お笑いの世界は世間が見たことが無いものを見せることができればお金になる。
女性の時事ネタ漫才師というだけで既に一つの壁を越えている。そこにさらに人間性が乗っかればいよいよ敵なしだ。
ライブにでていると女性芸人にもよく会う。そのたびに時事ネタをやればいいのに!と心の中で叫んでいる。
さて、よく考えたらこんな話は純粋にお笑いを楽しんでいる皆様からすればどうでもいい話だろう。
これくらいにしておく。
でも、こんなことをずっと書き続けている私もなかなかの変わり者だ。これが漫才に活かせればいいのだが。
はーあ。
そういえば、4/2。今日は私の誕生日だった。
先月の健康保険代で口座のお金がすっからかんだ。おまけに日記には自分でも整理できていない漫才論をだらだらと長く書き続けてしまった。
さらにおまけに、今はYoutubeの「茶色」というチャンネルでの企画のために映画を見ているのだが、これが尋常じゃないくらいつまらない。感想発表会は明後日の水曜日にアップロードされると思うのでぜひ見ていただきたい。
今日面白いと思ったことは「どうでもいいことを語り続ける私という人間」