2023/6/21 800円のご祝儀

今日は12時ころに起きた。昨晩、4時ころに寝たとはいえ良く寝たと言えよう。

さすがに運動をしたいなあと、ジムに行きたいと思っていたが気持ちがのっていかない。というのも今日は水曜日だからだ。水曜日と言えば高田馬場でアルバイトである。
私に会いたい人(そんな人はいない)は毎週水曜日、17:45~17:55頃に高田馬場駅戸山口にいけば私はいる。

17時ころに出発しなければいけないので、日記を書いてカレーを食べて、そこにジムに行くというのは絶妙に時間が足りないのである。
おまけに風邪が微妙なのである。お陰様で鼻水は減り、咳はほぼでなくなったが、鼻のかみすぎなのか耳が詰まっている感覚がある。
あと頭が痛いっぽい。

ひとまずお笑いの仕事が落ち着いたので、ここらへんで一回、回復しておきたいと思う。
お笑い脳を数日休ませようと思う。ウーバーとの戦いが始まる。今週も50件で9000円のボーナスウィークが発生している。木・金・土・日で50件をこなしたい。
そのため、日記もウーバーの話が多くなるのでまた人気がなくなるだろう。やはり私もさみしんぼうの気質がある。こんなどうしようもない日記を書いているのに閲覧数が下がればそれなりに落ち込むのである。

じゃあやめればいいじゃないかと知恵者の皆様は思うだろう。しかし、この感情の揺れから目を背け続けてきた結果が、今のふがいない人間性であるから日記を毎日書いて自分を直視してみようと取り組んでいる。

どうしようもない人間だなあとつくづく嫌になるもんである。嫌だなあと思いながらも生きているから偉いと思う。エライ!ニッポンイチ!

そんなことを考えていればバイトに行く時間になった。今日も粛々とバイトだった。ありがたいことにハイパー暇なので、ノートに自分の脳内にある自分達の漫才についてこれから何をしたらいいのかを書いてみる作業をした。
見開き1ページが文字で埋まった。書いてみたはいいが、つくづく私は考えているフリばかりの人間だなと落ち込んだ。落ち込んでばっかりだな。

いろいろと漫才に向き合っているようで見開き1ページしか思い浮かばないのである。漫才哲学者であればこんなものノートに書いても書いても無限に沸き上がり、終わりがないはずである。しょせん私はかっこうつけの中身無し人間である。
子どものころからよく親に言われたものだ。お前は口だけで行動が伴っていないと。その通りだ、いまだにそれは変わっていない。

しかし、今思えば子供は学校くらいしか社会との接点がなく、自分を表現する方法が勉強とスポーツに限られている。そのような状況で中身がないと子供に言いきってしまうのは教育としてはどうなのかと、いまになって親に対して怒りがわいてきた。
私は親を尊敬しているし、親を悪く言うことはよくないとわかっている。しかし、個別具体の例をあげてこれは良かったのか悪かったのかと検証していくことは必要であると思う。尊敬はしても、すべての言動を妄信してしまうほど危険な行為はない。常に自分も他者も疑うべきである。

疑っていくとどうだろう。私のように考えているようで何も考えていない、言葉だけ達者(プロの中ではドへたくそ)で変な自己愛と精神的自傷行為を繰り返す危険な人間になっていくのだ。

また暗い話になってきたので、ここらでバイトを終えたことにする。

今日はバイトの後に、思い切って日暮里で降りてお酒を飲むことにした。日暮里にも行きつけの安いお店があるのだ。これもつくづく私の嫌なところである。多少は高いお金を払ってお酒を飲もうと思うのであるが、いざ店を探すとなると、いつもの激安酒場に行ってしまうのだ。

日暮里にもなんの情緒もないが、いつものひたすらに安い居酒屋に入った。たったいま情緒がないと言ったが、よく考えれば情緒はあった。
店員さんもお客さんもみんな中国のかたで、エアコンが入っておらず、オーダーミスがばんばん発生する。オーダーミスについては、原因がわかっているのに改善されていない。これはいい情緒である。

この店のオーダーミスの発生源は、店員さんの能力ではない。このお店は店員さんがオーダー用のスマホを持ち歩いており、客が口頭で注文したものをその場でスマホに入力する。スマホからキッチンに注文が飛ぶのだが、この店はケータイの電波がめちゃくちゃ弱いのだ。
そのため、うまく注文がキッチンに飛ばない。となればオーダーミスが連発するのである。

でもめちゃくちゃ安いので文句は言わないようにしている。これこそが人間の情緒ではないか。良いサービスを受けたければ高い店に行くべきで、これだけ安いんだから多少のトラブルは仕方がない。ああ情緒。

歩いて帰宅した。その道中、店内改装でながくお休みしていた近所のコンビニがリニューアルプレオープンしていた。
なんだか粋ではない私と言う人間を少しでも粋にしようと、普段買わないようなお値段高めの弁当などを買った。お店へのご祝儀である。
自分はコンビニにご祝儀を払えるのだと自分で自分を肯定してあげた。


今日面白いと思ったことは「コンビニにご祝儀ってなんだ」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。